日の神・主晴

『二〇一八年一月十八日、夜八時八分~、神々見(かがみ)開きの式典』

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年一月十七日

「お供え」という言葉がある。
人と書いて、共と書きての、供える。
人というのは、共に生きようという事で、これ、御縁を与えて、供えているわけである。
(供という字は、人偏に共と書く)
タケル「ああ(感心する)」
決まった面々となる。
まあ、物はこちらの、これは、準備の備(び)、何事も準備している。
(備えという字を書かれる)
生まれてから、何年何月何日何時何分何秒、又、繰り返し、Aさん、Bさん、Cさんという風なる、出会いの順番も、全ては供えられているわけだ。
物事の準備、人との出会いの、この供えという事。
全てにこれ、与えられているわけでありて、これ、どの様なる御縁かという事は、勿論、フタを開けねば分からぬという風なる事。
「ああ、この人とは、うまくやっていけるだろうな」、という、確証はない、ハハハ。
タケル「(吹き出す)」
「あんな人と関わるの、イヤだな」と思ったら、案外気が合うという話も、よくあるわけだ。
つまりはこれ、全てにお供え、ハハハ。
御神殿にお供え、御先祖様にお供え、うーん。
神は、人に供えているという事だ。
タケル「はい」
だからこそ、一人一人との出会いというもの、全てこれ、与えられているわけだから、どの様なる結果が生まれたとしても、実に感謝、又は、お詫びという風なる事を、それが(神の学校の)優等生となるわけだ。
タケル「はい」
うん。
今年は、まあ、今迄もそうであるだろうが、これ、自分が「よし」と思える事。
(自由という字は、自らの由(よし)と書く)
この自由というものを、人に与えているから、自分が、自らが「よし」とする判断には、何かしら自分の、この選んでいる、否々、選ば?
タケル「されている」
というのが、本来であるが、その様にして、右に行こうか、左に行こうか。
然しながらも、道迷いた時は、これからは、真か否かということの選ぶ事が、これから肝心となってくる。
「真を尽くせ」という事。
徹底してこれ、今、自分がこの瞬間に正しい事を、選んでゆく。
たとえ、それが間違った道であったとしても、その選んだ道が、崖に落ちそうな、谷底の様な、その様な事だったとしてもだ。
真で、真で、この第三の目で感じるのが、この真であるから、よく「第三の目を開く」という言葉があるが、ハハハ。
第三の目というのは、まさしく直神(ちょっかん・直感)。
目玉親父の天地創造神、主神(スシン)様と繋がりての目であるからこそ、真か否かで、何度も申すが、瞳が大きくなったり、又は、小さくなったりという風なる事が起こるわけだ。
正しい事、自分が今、真と思って信じて、それを選んでは、たとえそこに何かしらの、例えば自分にとって「得」なる事、ハハハ。
…よりも、こちらの「徳」を積んでいくことが、大事ということだ。
タケル「はい」
さすれば、これ、神は、この「徳」であるならば、天の棚に積み上げた、「棚から、ぼたもち」ではなくて、御宝(みたから)が降りるという事だ。
否々、こちらの徳川家康の「徳」を積む方ではなくて、欲得の「得」を選ぶ。
それも自由なり、ハハハ。
だが、これ、あまりの我欲なる者。
自分の為に、人を利用する。
自分の為に、人を騙す。
自分の為に、命やモノを奪うという風なる事の欲得は、この「罪」を積むわけだ。
つまり、同じ「積み木」でも、徳の「積み氣」と、悪の「罪気」(つみき)だ。
徳の積み木は、天の蔵であるから、これ、崩るる事なし。
こちらの悪徳の方の積み木(罪気)は、崩れ落ちては、地の底という風なる事。
得るだけの方の「得」は、「一寸、得したな」と思えども(得という字に、一寸という字が入る)、悪徳であるならば、まったくもって、こちらの積み木は、ドンドンと崩れ去る。
こちらの徳の積み木は、神の光充満なりよ。
この様にして、得と徳、相反するものだ。
どちらか選ぶという事だ。
例えば、Aの仕事であるなら、お給料もよく、又は、商売繁盛で大儲けであるけれども、人間関係悪しとなって、ああでもない、こうでもないと、トラブル多いとする。
そうしては、辞めていく者も多くありて、出たり入ったりの、その様なる会社だとしよう。
それが、A社だ。
B社は逆に,あまりほどほどのお給料ではあるが,皆,社内で仲良く,楽しく,愉快に,だから居心地が良くて,お給料はそこそこであっても,あまりこれ,辞めたりする者がいないとしよう.
とするならば,今迄は今迄であるが,神,愛でる(めでる・目出る)のは、どちらかというと、いうまでもなし。
「金は、天下のまわりもの」と申す。
仲良しの者たちは、お互い様で、何かしら相手に気遣い。
そうしては、おもてなし。
自分にできる事、精いっぱいなる事。
人様の御為(おんため)にという風なる、「和の会社」であるならば、左回転で、ドンドン昇り昇り上りては、お給料も増えてゆくという風なる事。
こういう現象が、これからだ。
想念が行く年であるから、真をもって行くという事。
神の目の「真」か、そして、日の神の「眞」、いずれにせよ、神の御心(みこころ)に沿うた真心が成就する時代となる。
どちらの「とく」か(徳か得か)、先程の二種類だ。
目先の得る方の「得」を選ぶのか、もっと先の「徳」を積むの、永いスパンで見ると、これ、人生というのは、実は、お任せの世界。
正しき者が、ドンドンと上に行く時代に、そういう風なるのが、次元上昇。
まだまだ、まやかしなる闇の活動(はたらき)もあるが、これ、神試し、神鍛えで、悪をも使うという風に、然れども、必ずや悪出し(灰汁だし)の時期、到来となる。
真なる者よ、神の教え賜わりては、一つでも、二つでも、三つでも、実践実行しては、これ、想念を一段一段上げて、霊層界を上げるべし。
タケル「はい」
思う通りの世界ではあるが、霊層界の、まさしく頂上、山頂となる。
明日(みょうにち)、夜8時8分より、「太陽の御紋」供えたりの、これ、光のサロンの神殿は、こちらの「神々見開き」(かがみびらき)。
タケル「はい」
御神酒(おみき)、玄米のお米を供えての、式典を行う。
タケル「はい」
今日は、何日?
タケル「17日です」
17日となると、「いいな」となるは、明日、18は「神開く」だ。
(十はカミ、八は末広がり)
昨日参りたる、「太陽の御紋」、いよいよもって、明日の式典から、この神々という事は、三大神なる、どなたと、どなたと、どなたの神?はい。
タケル「はい、天地創造の神様、天照日大神様(あまてらすひおおかみさま)、天照大御神様(あまてらすおおみかみさま)です」
この三大神。
タケル「はい」
……が、まあ、祀られたるわけであるが、改めてこれ、太陽の紋章である、「太陽の御紋」供えたるが、いよいよ 、2019年1月18日、夜8時8分、全世界に向けて、この太陽の御紋、光と教え、広めゆくなりよ。
タケル「はい」
世界遺産の中にも、世界中の遺跡という所にも、この太陽の御紋というもの、残されているわけでありて、そういう風に、日本の天皇家の「菊の御紋」ではなく、当時、スメラミコトである、
又、スメラミコトと呼ばれている天皇。
世界の天皇だったという証も含めては、太陽信仰、人類界は、ずーっと永い事、続いていたという証なり。
明日、「神々見(かがみ)開き」の祭典。
これは、こうなったなーとなる。
日の神様    2019年1月17日 夜11時11分~11時38分



面白いものでね。
この第三の目ってね。
一番目が左だとすると、二番目が右目、第三の目でね、本当にその、天地創造の宇宙の神様、よく第三の目というの、皆さん、持ち合わせているんですよ。
それが開いている人というのは、どういった事かと言ったら、まさしく神様の教え、スーイスーイって、入るという事なんだ。
閉じているというのは、そういう目に見えない世界、今だに知らない人や、信じる事が許されない、疑ってしまうという事ね。
だから、どうしても、この肉眼の目でしか、信じようとしないでしょう?
だから、第三の目というのは、意識で、いくらでも開くんだよ。
誰かに開いてもらうものでは、決してありませんからね、ハハハ。
そうなってるの、ね。
だって、本当にそうなってますから、。
大事なのはね、神様が、自分が自ら「良し」とした事。
それは、今の時点で、自分が正しいか、どうかって、選択しているわけでしょう。
ですけれども、神様から御覧になっての、真かどうかって言うのは、同じではない場合も多くあります。
だって、神様は大慈大悲ですから、神様の大愛(たいあい)は厳しいですからね。
曇りがあれば、ある程、綺麗にされたいという、お思いで、御愛情で浄化、ドンドン起こされますから、そうすると長い事ね、辛い思いをしたり、ね。
いつ、トンネル抜けれるのだろうと、いう風なる事、多くあると思いますよ、ね。
でも、本当に神様は、綺麗にされたいと思って、浄化をなされているの。
まず、そこに気付いて、そうして、いくらようでも神様のね、大愛にて救って頂けるんですよ。
タケル「はい」
憑いておられる方も、本人も。
ですから、まず、自分の心根を、とにかく教えに基づいて、正していく様に。
そうしたならば、合格ですよ。
タケル「はい」
真を、今年は尽くすという事なんだ。
真が、天に行くんです。
(2019年の19は、想念通りの事が、行く年)
真心、これが大事。
タケル「はい」
ね、想念界、そのまま現象化します。
タケル「はい」
間違っている事だと思ったら、すぐに辞める事。
正しいと思える事を、邁進していく。
それが大事ですよ、今年は。
タケル「はい」
目先の欲得で、いつまでも動いたら、それまでです。
常に、目の前に、神様の学校。
天への階段、一段一段、昇華(しょうげ)させて頂こうね。
タケル「はい」
それが、私の指令です。
「早くしれい」です。
主晴(スバル)、ハハハ。

主晴様   ~11時40分
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日の神・主晴

『太陽の御紋、光りのサロンに到来』

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年一月十六日

太陽の御紋、参りた、その為に参りた。
(一月十六日の前夜、レムリア時代の、瞬間移動のエスパー、アムールさんから、世田谷のボロ市に行くようにというメッセージがあり、太陽の御紋が来ました)
これ、16片の光、四方八方十六方という風なる事。
太陽の神を祀り歩いたる者、これ、ヤマトタケルの神社にも、この様にして菊の御紋、否々、太陽の御紋を、まずもって、天皇の証として供えられては(ヤマトタケルも嘗て昔、一時期、天皇になったと、風土記にも記述あり)、これ、日の光というのは、ピカッと放たれる時に、十文字の光をよく見るわけであるが、これ、それがドンドンドンドンと広こりては、八方、いわゆるこの八は、末広がり。
言うまでもなく、富士も、所謂、山というのは、末広がりの形霊であるわけだ。
もって十六方、色々の 16、これ、あらゆる、この世の中というもの。
御仕組みは、色んな必要なるもの、ドンドンドンドンと広ごって、今があるわけだ。
そうしては、人も、全て一人から生まれては、二人になり、そうしてドンドンと増え続けて、御魂というもの、全て始まりから繋がりての事。
然れども、これ、長い年月が経つうちに、生まれ変わる度には、両親から命繋がりし、この世に又、生命誕生。
然しながらも、この世に誕生しただけで、霊界に修行して、又、この世に修行。
その繰り返し繰り返し、今があるわけだ。
あの世に逝けば、霊界誕生。
この世に来れば、現界誕生。
永遠、永遠に繋がれているわけである。
であるから、御魂というのは、いつもいつも自分を真中心に、人の御縁というものも、永遠に繋がっているわけなりよ。
だからこそ、今、結集したる面々は、やはりこれ、十六人の王子なる役目のある者。
誰々がという風なる事よりも、肝心なるは、我こそは、私こそが、何かしら、お役立たせて頂きたいという事。
この世、少しでも平和になる為に、良くなる仕組みを、それぞれが考えては実行する。
一人一人が、この太陽の御紋に示したる、御魂という事なり。
ただ、始まりしの頃の代表が、16人の王子という風な事になるわけでありて、この16人の王子以外、役に立たないという事では全くなし。
立ち上がる、その者が太陽の御紋の様に、人々に光を放つという役目なりよ。
それが、このまさしく形霊だ。
タケルは、今日何の為に、世田谷のボロ市に行ったかという事。
今、やっと分かったという事だ、ハハハハハ。
タケル「(笑う)」
そんなの何するの?
(太陽の御紋を買おうとした時、タケルさんが言った言葉)
否々、これが必要となって、使いを、所謂、アムールという、レムリア時代のエスパーが話した。
そうして行った、そうして買った。
この光のサロンは、天地創造の神と、日月の神という風なる、一見、普通のマンションであるが、「光のサロン」と呼ばせたるは、意味ありての事だ。
目には見えなくとも、光充満なる、この三大神の光エネルギーであるからこそ、本日、紋章が来たという事なりよ。
今日は、奇しくも、16日だ、ハハハハハ。
今日行くべくしての、行かされたという事だ。
奥に秘めたるが、神の意図なり。
それは、全てにそういう事、言えるわけだ。
なかなか気付くというような事は、それも又、必然であるから、これ、寒い中をわざわざ、ハハハ。
いくつものいくつもの露店がありての、お宝見つけたりという事で、人生というのは、そういうもの。
何かしら、心ときめく事、探し歩く旅人なりよ。
自分の喜びいずる事は、何かそれぞれ思考というもの、皆違うわけだ。
何度も申すが、嬉し、楽し、はい?
タケル「面白し」
この三拍子。
タケル「はい」
それが、氣、湧きいずる喜びとなって、光エネルギーを知らずに発している。
であるから、その瞬間は、まさしく光のオーラであるという事。
太陽、まさしく光エネルギーのオーラだ。
そういうオーラの者は、やはりこれ、あの人に会ってみたいな、という風なる、「引き寄せの理」という事が起こるわけだ。
何か、光のサロンに行ったら、ワクワクするな。
お茶や、又は、お酒を飲むだけでも、楽しいな。
又は、何かしら一つの二つでも、学べるのも、ありがたいな。
という風なる事。
それは、人それぞれで良しという事。
又は、色んな感情というものを、持ち合わせているから、神が実は呼んでおるか、そうでないかとなる。
月にたった一度の、神の教えの学校は(つぶやき天使セミナー、毎月13日、開催)、やはりこれ、遠方の方や、なかなか時間の合わない方などに、でき得る限り、これからは、毎日降ろしたる神の教えを、今月から、きちんとワードで伝えるという事。
それはまさしく光エネルギーの発信だ。
だから、この太陽の御紋を、本日から供えしという事なり。
皇室でも何でもない、普通のマンションに、ハハハ、面白いなとなる。
これは何度も申すが、菊の御紋ではなくて、太陽の御紋。
だから、誰しもがこの御紋というもの、でき得る限り、これからは分かる様に伝えゆく事だ。
タケル「はい」
今日は、何日、はい?
タケル「16日です」
そう、16というのは、16人の王子の任務の形霊だ。
ミロク、ミロクの世、段々と神界に近付いてくる世の中だ。
タケル「はい」
色んな事が起こってくる。
それは、そうだ。
任務の日(26日)にも、世の中を良くする為に、意識をもって、皆こういう数霊の日を使って、何かしら、月に一度でも、世の中の為に尽くしたいな、という風なる事をさせて頂く事だ。
まあ、毎日でもよいが、皆これ、何かしら一つでもいい。
これから本当に、色んな現象が起こる。
だからこそ、そういう意識を持って、浄化する事だ。
これは何も、外へ外へと向けるだけではない。
内へ内へと、例えば、お客様が来られる時に、すがすがしい氣に充ち溢れる様な、光のサロンにしたいな。
だからこの日は、改めて模様替え、少しでもするとかいう風なる事。
そうすると来る度に、新鮮と思えては、これは、又違う作品、又は教え、又は気付きというものがあるな。
慣れというものは、これ、普段、共にいるものは、慣れ合いという風に、それは致し方ない。
でも人様が、いくら仲良しのお友達でも、気配りというものが大事だ。
失礼のない様に、おもてなしをさせて頂こうという、意識の任務の日。
そういう風に考えて、行動していく事だ。
タケル「はい」
今日は、16日。
私は日の神。
太陽の御紋、到来なり。

日の神様    2019年1月13日 夜11時11分~11時36分



今日はね、実は本当に、意味が大きかったんだよ、本夛君。
タケル「はい」
全く気付かなかったでしょう。
あれ、今日は、(世田谷のボロ市)呼ばれたはいいけど、俺何しに行ったのかなあ?という風なる事ね。
タケル「(笑う)」
気付きにくいんだよね。
そういうものなんだね、となるの、ねえ。
神様は、こういう風にね、今日なんたって 、13(日の神の数霊)分から始まったんだ。
そうでしょう。
あ、今36分だけどね。
まさしくミロクの36分になっちゃいましたけどね。
世の中ってのいうのは、こういう風になってるんだわ。
気付きさせて頂く事の、ありがたみ。
まあ、こちら側は教えて頂いているから、感動します。
でも、自分で気付く事もあるでしょう。
気付きが、大事なんだなんだわ。
うん、すごいねえ。
主晴(スバル)。

主晴様   ~11時38分
日の神・主晴

『赤いリンゴの様な、実りの人生にせよ』

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年一月十五日

一喜一憂という言霊があるが、これは喜ぶという風なる事も、実にこれ、そこに吉、良し、善しという風に、憂いなる事、うーん。
(喜という字に、吉という字がある)
次に何を書こうかなとなる、はい。
一つ起こすという事は、この友達と共に行くという風なる事。
共に歩むのが、友達である。
友達次第で、いくらようでも、憂いを人生に、いわゆる心の輝きという事。
喜びをもって、味わえるわけだ。
それぐらい友というのは、大事なり。
まあ、それぞれの与える友達というものも、勿論、繰り返しの御縁であるから、これ、今出会う者は、今必要と何度も申す。
そういう事を、やはり自分たちが起こしてきた、良き事も、そうでない事もだ。
朝起きるの、この起こすという字、毎日、朝目覚めては起きるという風なる事。
何か起こるわけであるが、さあ、予定通りという風に、スケジュール、手帳通りになるか、どうかは、運命次第だ。
全員が全員、全て予定通りなってきたであろうかと、我が身を振り返る。
予定通りであるならば、もう富士山の山頂のはずという風になる。
思い起こせば、色々あった。
もしあの時に、こういう事が無かったならば、ああいう人と出会わなかったのであれば、まさしく運命、今は最高なる身分となる。
そういう風に想定するのが、人間だ。
誰もが好き勝手にやっているようでいて、実は、やらされているのが、人生。
思い通りであるならば、もっとうまくいっているはずである。
だけど、こと起きる、ことごとく起こされるわけだ、うーん。
人生のパートナーという事、思い巡らせば、これ、まあ大概は、パートナーといえば、夫婦関係や恋人という風なる、愛し、又は、愛されるお互いのこれ、御縁という事。
然れども、その人が、最後の最後まで一緒に添い遂げる伴侶かなと考える。
始めからうまくいく者と、そうでない者がおるが、これ、どれもが実に、きちんと順番通りに出会わされているわけなりよ。
最後の最後の最後まで、共に伴侶としての者というのは、実にそうしては、お互いに愛しあえる仲というのが、これこそが伴侶といえるわけだ、うーん。
自分の事よりも、自分の事以上に思いやれる、相手という事。
そういう者が傍にいて、今もってこれ、一緒に人生を共に共に生きるという事の、ありがたみという事だ。
然れども、そうでない場合という事は、傍にいる者よりも、そうでない者という風なる事や、望んでいても、今だもって出会えないという事も含めて、全て御縁というものも、与えられしとの事だ。
そうしては、共におっても、これ、価値観というものがあり、同じようなるものと、全くそうでないという風なる事もある。
人生、色々となるわけだ。
伴侶だけではなくて、身近なる御縁の者たち、これ、もし自分が望んでいる、今の夢や希望、計画。
その中において、「ああ、あなたみたいな方、私は出会いたいと常々思っていた人よ」、というようなる事。
まさしく、2019年は、想念通りの世界だ。
(19は、「行く」の数霊)
だから、如何に、この想念の持ち方、相手の心という、そうしては、今の心という、この想念が、如何に如何に、本当に大事かと、身に沁みて分かる年なわけだ。
(想念という字に、相手の心、今の心と入っている)
だからこそ、次元上昇。
然れども、勿論、想念通りにいかない場合は、そこに又、意味あるわけだ。
神は、そうじゃないよという風なる事だ。
それは、例えうまくいかなかったという風に思えても、失敗したという風に感じてもだ。
神は、常に良し良し良しという風に、導いておるという事。
ほらほら、お邪魔の、目に見えないカルマというもの、生じているのも、全て全て、良しと与えているわけなりよ。
無意味に、意味なくして、思う通りに行かないのではなし。
必ずやそこに、神大愛なる、良しが入っているわけである。
こういう考えを持つと、なるほどな。
うまく導きのままに、満ちゆきては、これ、心も満ち満ちたる事という風なる道になれば、満足の満の「満ち」であるが、うまくいかない「道」も多し。
まさしく、今だに、「未知」なる世界の人生の「道」という事だ。
満足したる事は、誰も文句は言わない。
宝くじに2、300円で買った。
大当たりだ、満足だ。ハハハ。
何も苦労なく、大金持ちとなる。
然れども、これも意図ありての事。
天の蔵に積んでいなければ、徳というものが無ければ、これ、一銭も降りぬという、御仕組みが「宇宙の法則」。
徳という事もしなければ、ましてや、罪積みての棚に、多く棚卸しされたなら、これはこれは浄化が起こるのは、当たり前でしょうとなるわけだ。
目に見えないからこそ、人生の棚、いろいろ棚卸しされるという事。
であるから、早い話、宝くじというのも、必然で決まっておるわけなりよ。
目に見えていたならば、「あーあ、自分の人生の棚下されても一銭も積み上げてないな。ならば、宝くじ買っても、意味ない」と分かるわけだ。
分からないからこそ、宝くじ買ってウキウキワクワクしているという風なる、まあ、それもある意味、幸せだなーと神は見ておるなりよ、ハハハ、うーん。
夢や希望を持つという事は、その期間は幸せだ。
例え、フタを開けて、何が入っているかという風なる事、分からなくとも、プレゼントですよ、お土産ですよ、又は、おまけですよ、という風に、袋や箱に綺麗なリボンなどを飾っては、これ、開ける時に、ワクワクドキドキする、うーん。
その開けた時よりも、開ける前のワクワク感が、楽しみ、喜び溢れるという事だ。
人生というのは、常に常に、一寸先は扉。
これ、開く前の時の方が、希望が持てるという事なり。
よいか、ゴールがもし見えていたなら、大したゴールではないと、分かっていたなら、頑張ろうと思わないかもしれない。
終わり良ければ、全て良しだ、という結果。
果実が実るだ。
木の実というのは、全てが全て、同じ様に実るわけではないという風に、頭を巡らせては、これ、リンゴの木、台風が来たとしたならば、これ、まあ大型台風なら、全部落ちる事もあり得るわけだが、まあ、そこそこの強風だとしよう。
然りと、枝にしがみついてのリンゴ、そうでないリンゴは、ポトポトと落ちる。
そうしては、実りの秋、今度は十分に真っ赤に実るリンゴ。
まだまだちょっと早い、子供のリンゴ、それは青いとなりて、その様なる実る、実りの秋というものを、人生皆、色々だ。
今年の秋こそ、実りの秋こそ、人生の実りの時こそ、さあさあ、真っ赤なるリンゴなのか、まだまだ青い食べれぬリンゴなのか、落ちて腐りてのリンゴなのか、これは自分次第だ。
どういう事かというと、まあ、人生謳歌という風に思えるものは、それはそれで真っ赤なリンゴ。
その日暮らしでも、傍にいる者と共に、幸せだな、ありがたいな、と思える事は、これは真っ赤なリンゴ。
お金があって、地位名誉がありても、不平不満。
もっともっと、もっともっと、否々、まだまだ足らずという風に、人のものを奪いての、欲の深いリンゴ。
これは真っ赤に実っているとは、神から申せば、腐ったリンゴと同じという事だ、ハハハ。
「偉そうに」という風なる者、まあ、たまに、そういうような者、国会で物申す政治家の中におるが、これ、ハハハ。
○○大臣という風なる、地位名誉財産、与えられても、はたから見たら、腐ったリンゴと分かる時代だ。
これ、例を上げたわけであるが、人は人であり、自分自身が実に、これ、人生それぞれの実りという、それは、春夏秋冬の秋ではなくて、常に常に、実りの時期というものある。
今年こそ、今月こそ、今日こそ、今こそ、達成するんだという、それは神の御心に沿うた、、人様の御為(おんてめ)であるならば、これ、神応援しよう、という風なる事。
神の応援は、一見、不幸という風なる事も、多くあり。
そういう体験もさせては、乗り越えさせて、より一層、想念向上の為に鍛えるという事もあり。
であるから、神の大愛こそは、天の意志、一つでもって起こされるなり。
結果、全て良しと受け止めよ。
どんな事がありてもだ。
この確信こそが、必ず想念向上となる。
終わり良ければ、全て良しというのは、人間の考えだ。
終わりが良からぬとても、結果は全て良しだ。
それが、神があたうる吉(よし)と書きての、結果だ。
吉(よし)の果実の結果、糸は、御縁の糸、結びての、これからも又、新たなる出会いもある。
今迄の御縁も繋ぎての事。
大事大事なるは、常に常に、終わり、結果は全て。
今日は何日?
タケル「15日です」
サンサンと輝く人生にするには、神が与える結果は、全て吉(よし)として受け取る事。
さすれば、これ、神の御心と同じなり。
傍におるなり。
タケル「はい」
私は、サンサン、 SUN の神

日の神様    2019年1月15日 夜11時11分~11時33分


こんばんは、アムールです。
よろしくお願いです。
今年は、レムリア語をスバル様が広めなさいという事で、まあ、僕も含めて、又レムリア語、発信始まります。
早く早く早くの実現化する言葉は、やはりレムリア時代のパワーワードです。
レムリア時代は、言うまでもなく水没しました。
その後の時代も、ムーの時代も含めて、水没となりました。
今度は、火と水の 大峠ですので、パワーワードで、早く夢、実現化しましょう。
アムール。
(役6万5千年前のレムリア時代の瞬間移動のエスパー、アムールさんより)


レムリア時代っていうね、超高度文明だった時のパワーワード。
一番のスピーディーな、実現化する言葉。
本当に、SFの様な世界は、嘗て大昔にあったという事。
(レムリア時代は、車が空を飛ぶ、スターウォーズの様な世界でした)
いつの時代も皆さん、丸いお盆の中で、出会わされていますが、このレムリア時代の、皆さん生きていらしたんですけれども、特技特徴が、今与えられている。
ですから、レムリア時代の事、又、お伝えが始まりますが、月に一度『レムリアン講座』、また始まるよ。
タケル「はい」
うーん、楽しいねえー。
ちょっと待ってねー。
ちょっと書いておこうねー。
言霊でやはり書くと、分かりやすいんだわ。
神様ね、早くのスピードを、お望みだ。
なので、パワーワードです。

主晴(スバル)様   ~11時36分
日の神・主晴

『開運の護符、日の神直伝なり』

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年一月十四日

千客万来、大入り、商売繁盛、等々、所謂これ、お客さまは、はい?
何と呼ばれるかな?
神、商売的に言うと、お客さまは?
タケル「神様です」
そう、と言う事がある。
神様が、呼んでいるという言葉なんだ、うーん。
客人というのは、どなたがいらっしゃるか、まあ、これ、「今度行くからね」
という風なる予約がある時は分かるが、まあ、お友達が、又、お友達を連れて頂くという風なる事、縁繋ぎだ。
どこまでも、これ、御縁繋がりての出会いであり、それぞれ各々が、まさしくタイムリー、グッドタイミングで出会ったり、又は、離れて行ったりという風なる事の繰り返しである。
出会うべくしての出会いであり、又は離れていくべくしての別れともなるが、いずれにせよ、何度も申すが、今必要ある者たち、今、傍におりては、又これ、必要なる事が起きているわけだ。
各々に与えたるが、特技特徴というもの、それぞれの輝きというもの、皆それぞれ違うわけであるから、これ、相合わさりての共有する事。
所謂、これ、共同開発などのこの共にという、まさしくこの共(友)、同じ言霊にしているのは、此度も同じ面々が、相集どいては出会わせ、そして、人生というもの、歩んでいくわけだ。
ありがたしの友達もおれば、これ、結果とんでもないという事も起こってくるのは、全て勿論、意味ありての事であるから、いずれにせよ、今回は今迄、同じ繰り返しであったわけであるから、自分自身、心磨き来ては、それが神から許される、魂の輝きとなるわけである。
磨き具合では、いくらでも綺麗にできるのが、気持ちを正しては、誠を尽くすという事。
感謝の思いは、感謝で表し、又、お詫びも、お詫びで形にするという事。
人は考え方、皆違うわけであるし、人は、ドンドンと気持ちも流れゆくわけである。
その中において、悪気があってした事であれば、それを悪と申すが、悪気が無くて起きてしまった事は、決して相手を責めるという事は、これ、マイナスの負の波動となるわけだ。
約束事を守らなかったとする。
それは、本当に忘れてしまって、そうなってしまったとするならば、忘れるというのも、亡くなる心と書いての、必要なる事で起きた事であるから、いずれにせよ、相手に迷惑をかけたり、失礼だと思ったり、困らせたりという風なる事、起きたとしたならば、これ、まずはお詫びで、「ごめんなさい」だ。
その後、まあ、こうこうこうでという風なる事、心からのお詫びというもの、相手に通ずる世界である。
「申し訳なかったな」「ごめんなさい」「すみません」という風に、それが大事だという事だ。
何度も申すが、これ、挨拶は愛を察するの、愛察(あいさつ・挨拶)なりよ。
感謝とお詫びの言霊も、これ、愛を察する言葉なり。
であるから、主晴(スバル)に文字霊として示されたる事。
前も、何度もこれ、申したわけだ。
愛を察する、そう、この愛察(あいさつ・挨拶)。
心から、心の底から誠を尽くしては、これ、まずもって、十字と書いての目での「真」と申すが、これ、神の目に繋がりて、瞳が大きくなるという事。
すなわち、真心という事。
というのは、神の御心に沿うた真心だ。
人は、誰しもがこれ、一人では生きていけいけぬという風ななる事。
お互い様の高め合う気持ちというもの。
これからドンドンと、それが自分の人生も、相手の人生も、今よりも、もっともっと高め合うという事が、いくらようでもできる世界である。
それが、和の文明だ、うーん。
本心、本当の自分の今の気持ち、それがこれ、真であるならば、たとえ失敗に終わったとしても、何か、これ、マイナスなる要因、起こりたとしてもだ。
神から見れば、真という風に合格という事だ。
人は、成功、合格、完成などを称賛する。
神は、その経過をみるという事。
人さまの御為(おんため)に、尽くそうとする思いは、大事ということだ。
だが、これ、裏目に出る場合もある。
それは、お互いのカルマが生じた場合であるが、「魔物」という言葉があるが、この言葉は、これから申すのは、怖い方の魔物という意味では全くなしであり、真なるものの「真者」と、こちらの悪魔の方の「魔物」という事だ。
この真と魔は、まさしく天と地という風なる差になりて、これ、一つ一つの物事が真を尽くしたり事でありても、これ、結果裏目に出る事も多いなり。
それは、人生思う通りにはいかないという風なる事。
それを学びとして受け止めれば、これ、又、同じ事を繰り返さぬという風に、努力したり、考えを正したいという事。
それも、一つの心を正させる為の経験。
試し、修行という事なり。
ありがたしとなる、成功する事だけが、良しではないという事だ。
もし簡単に思い通りの世界になるならば、ま、そういう者も、中にはおるが、これ、失敗こそが、何かしらしくじり起きた事が、逆に、学びとなって、もう二度とそういう風に起こさなぬ様に努力しよう、頑張ろう、乗り越えようという事は、まさしく心の今のハードルを、もっともっと超えゆくという事であり、良き事という風に転じる考えは、まさしく、それこそがプラスの想念、そして善の想念となるわけである。
人生いろいろ。
大波小波、山あり谷ありの人生。
谷底の辛い苦しい思いが、山に登りた時の感動、達成感、完成という風な喜び。
本当にこれ、どん底味わった底辺の底に陥ったる者。
その時こそが、実に、ハードル乗り越えるチャンスとなる。
人の話というのは、これも神から与えるもの。
まあ、心に残ったと事というのは、必要に応じて残させる。
真剣に話を聞こうとしたならば、メモを取ったり、まあ許されれば録音したりという風に、その人を通じて、神はいろんな情報を、又、ヒントとなる事を、サインを与えておるわけだ。
「なるほどな、こういう事か」、というひらめきも、毎日、どの瞬間に与えられるかという事だ。
常に常に、これ良き情報という事。
又は、反対の情報も、必要に応じて知り得るという事だ。
世の中は、公になっている事、表面(おもてめん)に表面化している出来事、これ、本来ならば素晴らしき事、多くありても、公に流れるという事は、まあ、それも必要で、ニュースなどのマスコミに流すという事。
それも、まあ必要でありて、情報というもの、賜わる様になっているとなる。
身の回りの自分から見た世界というのは、それこそが与えられている世界でありて、これ、どこまでも御縁を通じての、一人一人との輪というものを、なるべくなるべく、お互い様で繋げては、これ、相手の望んでいる事、何をしようとなされているのか。
まずもって、自分のしたい事も、お互いに助け合い、お手伝いでき得る事はさせて頂き、そしてステージをドンドンと上げていくという仲間、周りに集まっておるわけだ。
これ、全員が全員、同じようなる思いというものを、持ち合わせておる者達、ドンドンと必要に応じて、その時その時に、全員の中で今必要なる事、必要なる者達が、本当に傍にいるという考え。
今年は、いよいよのゴーゴーゴーの年だ。
過去においての、陰陽師の時に降ろされていた、神直伝の護符も、此度同じく、否同じ様に、今の時代に分かりやすい様に降ろしたりよ。
天の扉、開きたり。
それぞれの神と人との、これ、まさしく神界と現界の門である鳥居。
その壁を取り去ったの「取りい」(とりい・鳥居)。
天地創造神、そして、日月の神の御魂、示したる、その護符をこそが、まさしく開運という風に、運命開いては、これ、心のステージと共に、御魂のステージ、グングングングンと、天に昇りたりよ、んー。
その護符は、三大神の光エネルギーを放射するなり、んー。
この門という字は、日の光が地上界に降りるという形霊なりよ。
こちらが、はい?
タケル「日の神」
そうだ。
これは、示すという字を、先に書く。
神というネを使っても、良しではあるが、所謂、日の大神の光エネルギーと、月神だ。
どちらも、太陽エネルギーだ。
天照大御神は、太陽神と呼ばれておるが、これ、女性は、月のみ役、男性は太陽、日のみ役だ。
真もってこれ、天照大御神の御鏡(みかがみ)は、月のみ鏡なりよ。
そうしては、日の光浴びてはこれ、夜、そのエネルギーを放っておるわけでありて、月神なりよ。
どちらも日のエネルギーだ。
昼は太陽、夜は月、そうして昼夜関係なしに、天地創造神、主(ス)の大御神の宇宙エネルギー、この三大神が、運をまさしく天へ天へと運んでくれるという風な、開運の護符、直々賜わった、この直筆というものも、此度の「つぶやき天使セミナー」参加の者のみが、拝受となったわけだ。
後はこれ、小さな開運カードとして、これから出席される者たちに、お配りさせて頂くという事。
今日は、何日?
タケル「十四日です」
神の意志を示したりの、この開運のこの護符こそが、一瞬でこれ、分かるように、悟るように、書かれたる護符だ。
必ず運命開きたり。
幸せ、幸せ。
私はこっち、ハハハ。

日の神様    2019年1月14日 夜11時11分~11時44分


同じ事を、繰り返した事、ほんと、そうなってるねー。
まあ、この人がね、陰陽師の時にね、やはり神様から降ろされたる御符。
当時は、まだまだ分かりにくい、暗号の様なる護符だったんだよ。
今の時代は、分かりやすい様に、一目瞭然という事、大事。
簡単、明快、明瞭、これ大事になってくるんだわ。
だから、日神理神示も暗号ではなくて、訳すことなく、今の言葉で降されているわけでしょう。
大事なんです。
そして、早く早くね、学ばせて頂いて、少しでも悟ってね、人救い頑張って行きましょう。
うん、よろしいの46分、ね。
ここは、神様のコーナーですから、私はこちらに書きますけれど、ね。
私は釈迦。
習字で書きたかったけどね。 )
主晴(スバル)様   ~12時46分
日の神・主晴

『人生の鐘つき堂、ゴーオン』

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年一月十二日
『人生の鐘つき堂、ゴーオン』

物事というのは、順番というものがある。
まずもって、発想、これから何をするのかという事。
常に常にこれ、考えてから行動に移すわけだ。
然れども、これ、例えばテーブルの上に、コップ、水が入ったコップがあるとする。
食事中に、「あらあら、こぼしてしまったな」となる。
これは、実にこの準備、まずもって発想から行動に移すわけであるが、思いも寄らぬという事は、よくある話だ。
道を歩いても、石ころにつまずいて転び、下手すれば、骨を折るやもしれぬという風なる事。
この様にして、実に思い通りにはならぬという事、多々あるわけだ。
そこが人間なりよ。
一寸先は、はい?
タケル「光」
ハハハ、それは神の教えで、その様なる想念界、向上すれば、そうなるが、一般的に言うと、はい?
タケル「闇です」
そうだー。
この一寸先は、という風なる、一秒でも先というのは、まだ体験する前の、ハハハ、分からぬ世界だ。
だからこそ、これ、必然というのは、起こるべくして起こるというのは、自分の思考以外の事、多くあるという事なりよ、ハハハ。
所謂、人の計画通りにはいかないという事。
誰の計画通り?言わなくても分かる。
まあ、とりあえず言わせようとなる、はい?
タケル「神様です」
そうだ。
神様の言う通り、あのねのね、のね、のね、となる、ハハハハハ。
どちらにしようかな?
この選択肢、まだ選択肢があるからいいが、これ、人は選んでいる様でいて、はい?
タケル「選ばされている」
そうだー、うーん。
タケルも、優等生に少しずつ近付いて来たとなる。
まあ、これだけ毎日、神の教え降したるが、これ、少しは成長しないと、となるわけであるが、これ、教えというのは、まずもって基本。
そこから、大概は応用編という風なる、段々段々と、学校を行くのに、まず小学校、中学校、高校、そして行きたければ、大学だ、ハハハ。
神の学校、まずもって基本という事。
それは、基本中の基本、この世は三位一体、ハハハ。
目に見える世界の方が、まあ、神の世界が高次元とすれば、こちら側は地べただ、ハハハ。
然しながらも、これ、地に着いた生き方というのは、大事なり。
絵に描いた餅は、どこまでも食べ物ではない。
然しながらも、神の教えは、まあ、しいて言えば、絵に描いた、神界、霊界だ。
実在するわけであるが、信じる事が許されない者、疑う者は、絵に描いた宇宙の法則なり。
これは実に、実体験、不思議なる体験を、神、人を選びて与えておるわけなりよ。
タケルが以前、この者と出会う、一か月前に体験した、はい?
タケル「分身」
そうだー。
分身、そして、この者、瞬間移動という風に、これこそが当たり前の時代が、かつて六万五千年前に、何時代?はい。
タケル「レムリア時代」
その様なる超高度文明、その時代には、超能力戦争というのがあった。
まあ、この者、念力エスパーだった折に、念力をかけられて、さんざんな目にあった者たちが、何度もこちらに参りては、そうして神の光と教え、諭しとなりて、その者のいる時代、レムリア時代の世界に、今だもってこれ御魂、生きておるわけなりよ。
その様なる御霊たちが、一般的にいう憑依霊、又は地縛霊という風になる。
レムリア時代は、レムリア時代の世界に、今だもって生きているわけだ。
そうしては、こちらにおる、現界におる者たちとの、お互い様のカルマの修行となりて、繋がっておるわけなりよ。
だから、まあ、レムリア時代というのは、気の遠くなる様な大昔だが、一万三千年ごとの周期で、これ、天変地異というものを起こしては、何度も何度も何度も何度も何度もの、以前の時代の話である。
直前の一万三千年前は?はい。
タケル「ムーの時代」
そうだー。
それより、はるか昔だ。
タケル「はい」
まあ、ムーの時代も、今より、相当なるこれ、高度文明であったが、レムリア時代は今迄、最高なる、例えて言えば、何の映画?ハイ。
タケル「スターウォーズ」
の様な世界だ。
フリーエネルギー、まさしく今の時代に、研究開発してはこれ、まあ、まだまだであるが、完成は一応しておるが、レムリア時代は、「スピアード」と言って、空飛ぶ車。
そうしては宇宙船もありて、火星や月などに行っては、金持ち、裕福なる有識者は、実にこれ、いつか地球は、もう「天地かえらく」が起こるという風なる事。
ま、当時の救いのメシアなる者が預言しては、これ、絶対なる預言であるから、これ、いつまでも、地球(ちだま)にいては、大変であるという風なる事であるから、そういった惑星に移動という計画、又はそれを、実行していたわけだ。
であるが、神はこの、「有識者」という言葉がある。
まあ、一般的に言う、そういった者達は、神から言う有識者とは、程遠い存在だ。
神の申す有識者というのは、常識をわきまえている者。
今の時代は、非常識を常識、常識を非常識という風なる考え方、風潮などがあるがこれ、何を申すかは、先程申した基礎、三位一体なる世界という事。
神界霊界現界、この密実一体なる世界という事。
それが、きちんと知るという事。
そして、あると認識するという事だ。
あるかないかという論争は、している暇はない、ハハハ。
まあ、無いともするならば、それで良しの世界だ。
とにかく、ドンドンと思考のステージを上げていくことが大事だ。
無理して信じる必要はないし、分からぬものに、まあ、今まで伝えてきた事も、それでも分からぬかとなれば、これ、それで良しなわけだ。
とにかく、神の教えの有識者なる者達を、光のUFOに乗せてドンドンと上げていく。
これ、どういう事かというと、意識、宇宙意識だ。
宇宙意識というのは、理論理屈など一つもいらない。
ああでもない、こうでもない。
そんな事は、どうでもいい。
あるから、あるで、この宇宙意識を持つ者と共に、ドンドンとこれ、上昇させる。
奥へ奥へと、教えは続くなりよ。
時空間を申せば、よく宇宙飛行士が宇宙に飛び立つ、その折りに、神の存在、実在というもの、体感してくるという話、これは、まさしく天界は、宇宙空間、密実一体なる世界だ。
やはりこれ、この地上界が三次元、そうして四次元、五次元、六次元、七次元。
まあ、この次元というものは、生り鳴り成り立つの七次元。
いくらでも宇宙意識、波長合わせができるわけだ。
天地創造の神との波長合わせが大事なり。
全ての御親(みおや)であられるわけだ。
だからこそ、例えば、祈り合わせ、願い事など、それぞれの信ずる神、又は他の存在、いろいろあるであろうが、これ、一番トップの主(ぬし)なる、主(あるじ)なる親神様、目玉親父さんに、先に挨拶。
それを示したるが、聖雄聖者、みんな天地創造の神を崇めている。
そして、その目玉親父、主神(スシン)様は、はい?
(額に示される)
タケル「第三の目」
と繋がっているわけだ。
だから、第三の目というのは、最も大事、大事なりよ。
天地創造の主神様の光、直々たまわるが、こちらの「レムリアン・テクノロジー・ヒーリング」という名前をつけておるが、これ、その時代は、今迄で一番の、これ、高度文明だった。
そして、レムリア語が、今迄、一番のパワーワードだという事。
とにかく、手短な言霊で、一番のパワーワード。
だから、浄化するを「クリスティーア」、浄化したを、はい?
タケル「クリスティアード」
と言えば、全部一度に浄化してしまう。
(体も、飲食物も、空気界も)
この三位一体なる世界、全てが光に満ち溢るるという事だ。
今年は、レムリア語というものを、ドンドンと公開してゆく。
スピーディー、かつ、パワー。
宇宙のパワーだ、うーん。
その言霊、一つで現象化。
実にこれ、簡単、明快、明瞭、そして実現化する。
憑いておる者たち、神の光と教えにて、一度で悟る者もおれば、そうすると、その瞬間に奇跡を賜わる。
何度か受けて、救われる者もおれば、それは「段々の理」となって悟ってゆく。
現代の人間も、同じなりよ。
一度で、一瞬で、それこそ悟る者もおれば、何度言っても、分からずやもおるわけだ。
それと同じ事。
これは、一度で悟るがいいという風なる事。
それと、段々の理で、悟るという事。
どちらも、実は必要だという事だ。
まあ、分からずやという者は、それでも分からない者もおる。
奇跡を頂いても、これは、ただの偶然だという事、ハハハ。
まあ、いずれにせよ、心根というのは、大事になってくるわけであり、どこまでも真ス直な者は、早いわけだ。
早いという文字は、「日」と書いて「十」と書く。
まさしく、「日の神の教え」。
これからは、何でも全てにおいて、早くするという事だ。
ノロノロ運転じゃない。
超スピード化だ。
頭の思考というのは、一瞬でこれ、宇宙へと飛び立つ事ができる。
思考の持ち方一つだ。
日の神の教えに、早く近付く、それが大事になってくる。
今迄、私が節目の日(2012年5月24日、山梨の浅間神社より)より降ろしたる、日神理神示。
まあ今だもって、ワードにしてないものも含めて、これ、これからは全て公開していくわけであるが、何か一つでも二つでも身につける事だ。
心に根付かせる事だ。
これは、考え方、思考の持ち方というのは、いくらようでも、自分の頭にインプットできるものであり、まあ忘れてしまったら、また再度、読み返すといいわけだし、一つでも二つでも差を取るの「差取り」(さとり・悟り)になって行く事だ。
それが、神の教えに早く近付くという事。
何度も申すが、この差取り、神との差を取ってゆくわけだ。
都会の都、レムリア時代の都会は、やはり現代の同じ都会であり、今の高層ビル、レムリア時代も同じく、否々、もっと高層ビルである。
そして、スカイツリー、それはレムリアンタワーがあった場所だ。
富士山も同じ場所、いつの時代もだとなる。
都会と田舎、どちらも良さがある。
華やかなると都会と、のんびりとなごやかな田舎。
やはり、進んでいるのは都会であり、遅れているのは、田舎。
公害が都会、自然が田舎、どちらもが良き所と、そうでない所を持ち合わせておるが、これ両方大事なり。
まずもって、情報を広めゆく事。
神の教え、でき得る限り、お伝えしていく事。
それは、数ではなし。
神が選んでいるわけだから、まあ、お日さまの日であるという、(十三日、十はとう、で父さん。
十はカミ、三は太陽で、日の神)
13日というのは、月に一度、必ず 13日がやってくる、かな?ハハハ。
いつまでもあるんだろうか?この地球となる。
当たり前は、何もなし。
13日、つぶやき天使セミナー、開催。
開催される時に、神の教えと光、直々賜わる。
又は、間接的に賜わるという風なる。
これからは、まさしく「宇宙意識」というものを、常に常に自分を高めて、少しでも神の世界に想念上昇する事。
それは、御縁を頂いている仲間たちと共に、手を結んで、輪になって、上昇する事だ。
例えこれ、そこの中には、教えが理解できなくても良し、わけ分からんでいても、良しだ。
「なんだか面白そうだなー、お茶飲みに参加するか」、それでも良し。
まあ、その内に分かってくるものもおるが、そういう事で、神は選んだり、選ばなかったりしているわけではなし。
タケルと、この者の御縁の者が集まっておるから、これ、又、勿論、主晴(スバル)の縁で繋がっているわけであるから、自分たちは気付かなくとも、輪の中の面々の方たち、お互いの夢に向かって邁進してゆく事だ。
人生の鐘つき堂、「鐘を鳴らすのは、あなた」、ハハハハハ。
最後に、鐘が鳴ればいいわけだ。
終わり良ければ、全て良しとなる人生、歩むべし。
私は、これ(早いという事を示され)、日の神

日の神様    2019年1月12日 夜11時11分~11時50分


うーん、面白いね、本夛君。
今日は、何日ですか? 
タケル「12日です」
グッドタイミングという言葉があるでしょう、英語で。
タケル「はい」
本当は、全てグッドタイミングなんだわ。
いい事も、そうでない事も、そうなの、うーん。
本夛君、年末から、まあ亜鈴さんにね、猫町の鐘つき堂、早く作って作ってと、さんざん言われても、まあ、ちょいと「ハートスケジュール」で、ま、今に延びて、いつ完成ですか?本当は、はい。
タケル「明日です」
本当は、明日だね、うーん。
完全に完成はね。
タケル「はい」
て事は、 1月13日にまあ、完成になるんだね。
意味大きいよね。
2019年1月の13日ですから、「人類界の鐘つき堂」、本当にそういう風にね、ゴーン、ゴーオンてね、音が鳴る。
神様の鳴らされる鐘は、でき得うれば、少しでも多くの方たちに、和の文明へと、ゴーオン、それがお望みなんです。
ねー、そうでしょう、ね、うーん。
あれー?「GO ON」(ゴーオン)だー。
次の所にまで、書いちゃったかな。
ねえ、こういう事って、よく起こるのかな、という風に、しらじらしくいうわけだけど、ねー。
ほんとにそうですよこれ、ねえ。
これねー、こっちまで書いちゃったんだよ、んーとなるわ。
という事で続き。
鐘いうのはね、ゴーオン、ねえ。
鈴は、リンリンリンですけど、除夜の鐘ね、お伝えしましたように、イロハの108回。
とにかく、今年は、今年で、人生謳歌の鐘を鳴らす。
これは別に、除夜の日にだけに、鳴るわけではないんだわ。
常に常に、うまくいったな、成功したな、又は、相手の方がとっても喜んでくれたなという様な、喜びの鐘。
その人にとって、素晴らしい、良かったなと思える時に、ゴーオン、ね、そういう風に鳴らす。
何度鳴らしてもいいんだわ、そういう鐘は、そうでしょう?
108回以上、いいんだよという事なんだ、ねー。
毎日、鳴らしても、365回だわ。
一日の中で数えてね、あ、あの時の言葉、とってもすばらしかったな。
それを与えてくれてありがとう。
それをゴーオンね。
その言葉で、救われたんだ。
又は、救われたという風なる事、言って下さったんだ、ね。
相手が言っても、自分が言っても、そういう風なる感動が生まれる時にもね、鐘を鳴らす。
何回鳴らしてもいいんだよー、うーん。
黄金の輝きだ、ねー。
という事で、うーん。
今年は、主晴(スバル)と言ったり、釈迦と言ったりね。
私も、ね、尺取り虫なんですよ、ねえ。
(釈迦の釈を示され)
そうなんだよ、という事でね。
解釈の仕方というのは、本当に大事。
神様の教えには、やはり真ス直に、ゴーオンという風なる事、行きましょう。
何分まで話すか、予想できる?本夛君。
何分?
タケル「55分です」
だと思う?
タケル「はい」
と、しらじらしくね。
50分から、 55分なっちゃったの、ねー。
神様 50分ね、私は55分ただわ、ねえ。
という事で、釈迦、ハハハ、又は、主晴(スバル)ハハハ。 )
主晴(スバル)様   ~12時55分
日の神・主晴

『心の尺度は、解釈の釈度』

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年一月十一日

「心の尺度」というもの、皆、それぞれの計りは、一度聞いて、一尺、二尺、三尺という風なる事。
尺取り虫だ、んー。
解釈の「釈」というのは、所謂、相手の話を聞き入れる、まず耳をもちて、これ、どれだけの解釈。
例えば、相手は、悪気が無くて、やった事なのか、言った事なのか、自分の為を思うて、もし、それが裏目に出たなら、また出ようとしたならば、これ、
「そうか、経過は自分達で、結果は神様だから、それは流れというものがあるのだなー」という解釈。
「何だ、結局失敗したではないか」
「言ってる事と、やってる事、違うではないが」
「口ばかりだなあ」という風なる、相手を非難する解釈だ。
悪気があってやる事は、悪い事だ。
悪気がなくて、結果、まあ悪かった、となるならば、これ、そこは自分の解釈次第、器次第だという事なりよ。
御明解、御名答なるという風なる、いつでもこれ、「正解」というのは、あるようで無し。
「不正解」というのも、あるようで無しなわけだ。
何故なら、経過、一生懸命頑張った事、結果失敗に終わった、んー。
自分ひとりの事であれば、自己責任で終わるが、こと相手と共に、例えば、一緒に仕事をしたり、行動したるという風なる事。
そこで、何かしら、これ、トラブルという事が起きたとするならば、それは、それでのお互いの考え方と、それこそ尺度となるわけだ。
この尺度は、実は、横の尺度ではなくて、「天地の尺度」なりよ。
何度も申すが、 霊層界、その高さで物事の尺度というのは、違ってくるわけだ。
低ければ低い程、この尺度が短い、足りないとなってくるわけだ。
何故なら、神の考えに、まずもって遠きもの、人を非難、批判する想念界というのは、程遠いという事だ。
尺取り虫、考え方、思考の持ち方の、これ尺取り虫は、まず、ここに自分がいる。ここが天界としよう。
一生懸命、相手の言い分を聞き入れて、理解しようとしよう。
そうか、「身からサビ」だと申す。
必然だと申す。
相手が、一生懸命やって、結果違ったとしたわけであるから、これも運命だし、流れであるから、また一からやり直し。
「頑張れば、良しだなー」という考え方は、グイグイグイグイと、これ、想念界が高まっていくとなる尺度だ。
逆は、地の底である。
又、人との尺度というのは、ここに相手がいたとしよう。
そしたら、一生懸命、理解しようとする、こういった「横の尺度」だ。
心近く、近くという風に、何を言いたいのか、何を悩んでいるのか、何を聞きたいのか、という様なる、心を近付ける。
この尺度、相手の事を理解しようというのは、こういった尺度だ。
この前話した、「親切は心接」、心を接するという事が、これから、ますます大事になってくるわけだ。
「何かしら、音信不通だなー」
ふとある時、友人を思い出したとしよう。
又、自分の肉親を思い出したとしよう。
そうした時に、必ず相手も、ま、本人が分からなくとも、後ろについておるものは、キャッチするわけだ。
そうすると、よく虫の知らせというものがあるが、勘が働き、相手から突然電話がかかってきて、「いやいや、今、自分はあなたの事を考えていました」、又、「夢に出てきました」となると、そういう時にこそ、キャッチ。
何かしらサインが、起こってくるとなる。
そうでなくとも、必ずや通じてる世界だ。
そうする時に、「久しぶりね、元気だったかな」、という風なる、それだけでも、心の温かみ、労わり、思いやり、というのが、相手に伝わるわけだ。
この「愛の心」というのは、親なら子供へ、友達同士なら、ま、親友、友人、知人へという風に、心の繋がりというものが、こんなにありがたいものかという風なる事が、これから起こってくるわけだ。
普段、付き合いもないのに、突然、何か困った時に、お互いに音信不通は、あり得る話。
普段、友達付き合い、親戚付き合いなどしていて、そうして、何かお互いに困った時に、それこそ、その時にこそ、「助け舟」どちらかが、手を差し伸べるという事は、実にこれ、言葉だけでも、思っただけでも、相通ずる世界という事だ。
それが、何度も申すが、心のはい?心の箱…。
タケル「箱舟」
なりよ。
離れていても、気持ちの「氣」が伝わる。
一瞬で、おおよそ分かってくる時代だ。
この「氣」いうものは、「心の炎」として例えるならば、ちょっとやそっとの強風でも、まったくもって消えない。
ずっと灯し続けるというのが、「愛の氣」だ。
どんな噂を聞いたとしても信じる、相手の事を理解する、受け入れて差し上げれる自分になれる、それが友情、共に一緒に人生歩んでいる友達である。
よく噂に左右されやすいという事。
「Aさん、あの人だめな人よ」
会う前からこういう話、聞く事があるだろうが、これ、まあ、Bから見たAは、あまりよろしくない事、起こりてはこれ、それがカルマの清算であるが、悪く言ったとしよう。
だが、自分自身は、まだAに会った事がない。
一概にそれは、その人自身ではない。
まー、よっぽどの悪人であれば別であるが、これ、お互い様の御縁というのは、その人その人での繋がり。
だからこそ、目で確かめて、自身で実際に会ってから、又、そこの判断は、いい人、そうじゃない人、というのは、自分の都合によく合わせて言いたがるわけだ。
自分の都合で考えるうちは、人と付き合う場合は、これは、本来の友情とは呼べぬわけだ。
まあ、利害関係をもちての、仕事であるならば、これ分かるが、そうではなくて、心から友と呼べる者は、無条件で、そこに何らかの利益を求める事なく、その人の為に、何かしら自分にできる事。
そういう愛に満ち溢れる友情、それが本物だ。
困った時にこそ、手を差し伸べたい、差し伸べれる様な自分になる事だ。
相手が答えを求めているなら、まあ、自分なりの正しき答えというもの、それを持ち合わせるか、どうかだ。
間違った考え方、思考の持ち方では、逆に相手に迷惑となる。
であるから、やはりこれ、正しき見解を持つには、神に通ずる思考の持ち方、それが望ましいという事だ。
神の学校の優等生となるべし、ハハハハハ。
これ、年齢関係なし、うーん。
神に気に入られる様にする事。
光を、自分の気に入れて下さるという様なる事。
それこそが、明るく前向きなる、善の想念である。
いくらようでも、黄金の光、オーラを放てるわけだ。
自分から放ってるなんてとんでもない。
どうやって放っているとなる、ハハハハハ。
色付けは、こちらのする事。
(人のオーラは、天界から、想念界、霊層界が分かりやすい様に、神様が色付けされている)
尺取り虫も、一歩、二歩、三歩、この一歩が、グーンと神に近付き、一瞬で傍に行けるわけだ。
神の傍というのは、徹底して感謝できるものだ。
事あるごとに、ありがたい、もったいない、という風なる事だ。
いかなる場合にもだ。
「有り難い」という言葉自身がもう、有ることが難しいとなるわけだ。
神が、これ、無から有を発しての、有り難いだ。
有り難い、もったいない。
有り難いからこそ、もったいないと思える事だ。
自然の恵み、ありがたい。
雑草という、庭にも、空き地にも、見慣れたる草、雑草にするには、もったいないという風なる時代が到来した。
まあ、所謂、自然界のデトックスというのは、最高のお掃除だ。
体だけではなくて、まずもってエネルギーを賜わるからこそ、力沸きいずる、パワー全開となる。
もうそろそろ、春がやってくる。
春の息吹きというのは、まさしく「芽吹く」というエネルギーだ。
温かな春の時期に、芽吹く草花たち。
その中においての、これ、まあ、去年も主晴(スバル)が、事あるごとに、雑草と呼ぶか、山菜と呼ぶかだ。
芽吹くエネルギーというのは、種から芽が出ては、地上にグングングングンと、天へ天へと、お日さまに向かって伸びていく。
そうしては、そのエネルギーこそが、森羅万象、この空気界を清めゆくわけだ。
植物があってこそ、動物、虫たち、そして人間だ。
まず神は、植物を作りたり。
ある時、タケルは、植物の化石を拾った事がある。
貴重だと言われて、そうそう、宝にしておるが、太古の昔にあった植物の化石。
植物は、何度も何度も生え変っておるが、これ、大地に根付いては、ずっと同じ所で育っては、種で運ばれて、所謂色んな所に、また新たなる住まいとなる。
そうして繁茂繁栄してきたわけだ。
一度きりしか芽が出ない種、ハハハ。
その様なる野菜を食べていても、どれだけのエネルギー賜わるかとなるから、これ、山菜、お宝三昧、ハハハ。
お宝、お宝の山は、まさしく山菜。
お宝だらけだ。
まあ、実りの秋も同じだが、これ、そういう事を多くの者たちに伝えては、共に取りに行こうという風に、うん。。
その旬を賜わる事。
そして、保存を考えては、なるべくなるべく、一日に少しでも、大事なりよ。
タケル「はい」
今日は、何日?
タケル「11日です」
2018年も、山菜、山菜で話は終った。
これは、広ごる為に、まあ、『つぶやき天使』(第二弾)にも載せたわけであるが、今度は、19年というのは、実際に山に行って、取りに行く。
行動する年が、今年なわけだ。
又、申すが、やりたい事、行きたい所、会いたい人、食べたい物、「行く」だ。
実際に行動するのが、今年。
19年も、これ、山菜の山に行く、連れて行くだ、ハハハ、うーん。
田舎に住む者は、今更という風に、案外目の前にあっても、気にもせずとなるが、こと都会におる者たちは、日頃そういった、簡単に手に入らないから、ありがたみも、逆にあるという事。
とにかく、「行動の年」、あらゆる事で行動せよ。
今しかないと思え。
それ位、「貴重なる一年」という事だ。
御掃除中であれば、カルマの清算の時期であれば、早く、なるべく、そのカルマのトンネルを、たとえ苦しくとも、辛くとも、悲しくとも、トンネルの向こうは「光」だ。
光の世界だ。
必ずやこれ、抜けられるわけだ。
「トンネルの向こうは、春の花畑だった」
「雪国だった」は、もうない、ハハハハハ。
今日は何日?
タケル「11日です」
私は日の神。

日の神様    2019年1月11日 夜11時11分~11時42分



今迄は準備、これからが本番だ。
全て神様が、複線で揃えて下さっています。
本当にそうなんです。
今迄、やりたかった事、やってみたかった事を、実現させる年ですから、一年を、宝の山の人生にしましょう。
主晴(スバル)

主晴(スバル)様   ~12時44分
日の神・主晴

『心のバネで、山頂へ』

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年一月十日

さてさてさて、うーん。
父さんの十になっちゃったなーという風なる、今日は十日だ。
ま、とうとう、という風なる事、起きてくるわけだ。
これは、ま、当然の当だ、ハハハとなる。
「当たり前」という事。
それは、起こるべくしての、当然の出来事、物事ということ。
いよいよもって、一番すばらしい時代になったという事だ。
次元上昇というのは、ついて行ける者と、そうでない者とに、ドンドン引き離されるという事。
もうやってられない、見てられない、かまっちゃいられない、という者もおる、ハハハ。
「てんやわんや」という、昔そういう漫才がいたわけであるが、「天やワンや」を、ハハハ 。
ワンというのは、ワンネスのONE、一つ。
天は、一つだ。
神の教えというのは、一つなわけだ。
まあ、枝葉という事で、昔で云えば。釈迦が仏教、イエスがキリスト教、という風に、まるで別な教えの様に思えるであろうが、これ、聖雄聖者、メシアたちが伝えてきた事は、同じなわけだ。
まあ、今も同じだ、ハハハ。
神界に、宗教は無し。
この世のみが、分かれているだけの事であって、これ、飽く迄も、ロイヤルストレートフラッシュという、まあポーカーの言い方ですれば、釈迦が直々その時代に伝えた事、イエスがその時代に直々伝えた事というのは、どの者も、天地創造の神を崇めたわけだ。
これは、何度も申しておる。
耳にタコだ、タコ焼きだ、ハハハ。
はい、釈迦は天地創造の神を?
タケル「梵天」
イエスは?
タケル「主よ」
そうだ。
又は、モーセは ?
タケル「在りて在るもの」
そうだー、合格となる、ハハハ。
どこから、御魂が来てるかという事。
それは何度も申すが、主神(スシン)様だ。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、この主(ぬし)という「主」(ス)という字だ。
天之御中主神というのは、真ん中、宇宙の真ん中だ。
誰もが自分自身を真中心に、こと思うし、考えるし、自分以外は皆、他の人だけれども、他人という言い方は、肉親には呼ばない。
やはりこれ、身内は身内だ。
然れども、心の近き者、遠き者は、別だという事という風なること。
自分にとって、一番大切な人というのは、一概にこれ、傍にいる者とは限らぬわけだ。
もし愛する人という者、この世にいるか、いないかで、やはり、心の彩りというものが違ってくるとなる。
否、一人が大好きという人は、彩りがあるわけであるが、これ、寂しい、誰か傍にいてほしいと思う者であれば、やはりそれは、心の安らぐ、温まる、和む、そして、愛(いと)おしいと思える者、大切にしたいと思える人、大事にしたいな、共に人生を歩みたいという風なる、その様なる者が、傍にいたならば、それは幸せという事だ。
まあ、自分にとっての宝物というのは、そういう、人であったり、又は物事であったり、又は物であったりと、それぞれ違うであろうが、又それが、いつなんどき、心も変るや分からぬわけでありて、これ、今の自分の気持ちに、真ス直なる事。
そして今、自分のステージが、どこにいるかという事。
勿論、想念界高き者は、思う通りの位置へと導かれ、又、逆は逆だ。
想念界の高いステージというのは、行きたい、導いてくれる、成就するという事だ。
それは、いくらでも、そういった思いの世界。
思うだけでは、いくらでも自由に、これ、天界の方へと、所謂、それがプラスプラスの心のスイッチだ。
常にプラスに置き換えるわけだ。
人はやはり、これまー、不幸不運という事、起こらば、心のスイッチもマイナス、底の方へと押される。
然しながらも、これ、そうとは限らぬのは、プラスとマイナスのスイッチというのは、常に二つ持ち合わせているわけだ。
あー、どうせ起きたのだから、プラスのスイッチ押そう、ポン、ハハハ。
そうすると、ポーンと軽くなって、明るーくなって、やる気が出て、これからだぞー、乗り越えるんだからという風になってくるわけだ、ハハハ。
どれだけのバネをつけるかだ。
心のバネだ。
どん底に落ちても、バネであれば、グーンと下に落ちて、ポーンと跳ねる。
下に落ちれば落ちる程、元気百倍となる。
何故なら、どん底の思い、落ちたとする。
その経験は、実にこれ、普通であれば、あまりしたくないなと思うであろうが、これ、なかなか体験でき得ないぐらいのどん底の体験、そうか、ならば、バネになろう。
するとこれ、バネという事は、心いくらでも跳ね返す事ができるとなるわけだ。
おやおや、他の者たちよりも、自分の方が、上に、とーべたとなるわけだ、ハハハ。
それが、心のバネという事、うーん。
それは、ここに落ちても、左回転で上へ上へと、いくらでも大きい大きい峠を、乗り越えれるんですという事。
例えて言えば、富士山。
コツコツ、コツコツ登っている者よりも、グーンと地上からバネに乗って、頂上だ、ハハハ。
富士山の例えで言うならば、ま、神様の教えが、富士山の山だとしよう。
杖をつきながら、一生懸命一生懸命、登る者は、それは、毎日の努力で学んでは、実践するという風に登っていくわけだ。
それは、それでよし。
人は、体験がモノをいう、実体験だ。
神様の教えを、何かの本で読んだり、プログで見たり、講演会で聞いたり、そういう風にコツコツコツコツと学んでは、実践、心の修養。
想念を上げていこうという風に、登っていくわけだ。
神の教え、一つなり。
二つとない「不二(ふじ・富士)の教え」なり。
そうしては、やはり人生、山あり、谷あり。
谷の崖っぷちの、もう今にも落っこちそうな、そういった体験が、又、体験というのは、実に神から与えられての、ありがたき実体験。
ありがたいと思うのは、いいこと、うまくいった事だ。
成功したり、称賛されたり、そういう風に、いい事であれば、ま、感謝もでき得るわけだ。
ところがどっこい、逆に、失敗したり、落ち込んでしまったり、会社が首になったり、その様に、こと不幸と思える時に、果たしてこれ、感謝ができるかとなる。
実は、不幸現象が起こりた時、はたから見たら、あら大変というようなる事。
その時こそ、如何にこれ、徹底した感謝ができるかな。
御魂でかしと、なるわけだ、ハハハ。
何でもプラスに置き換える。
学びだったな、となる。
そうすると、心のバネだから、一変に富士山頂だ!
それは、見晴らしがいい、よーく見えるという事。
そうなってくると、 霊心体、三位一体なるは、心のバネ次第で、それはそれは、上へ上へという、これ、エネルギーであるから、「あれれー?、本当に不幸な事あったの?」という風なる事。
それが、大奇跡と申すなり、ハハハ。
いつでも奇跡は、目の前、何度も言う。
はい、奇跡の奇は?
タケル「大いなる可能性」
(奇という字に、大と可が入っている)
そう、そういう事。
その大いなる可能性というのは、いつもいつもいつも、セットされているんだ。
大事(おおごと)起こることが、実にその時が大事(だいじ)、ね。
言霊、文字霊、音霊だー。ま、言霊だ。
昔話の絵のような、富士山であるが、(富士の絵を描かれる)これ、先程申した様に、一歩一歩と、この様に登る者もおれば、ここから先程の様に、心のバネだ。
山頂に登ると、見え方が違ってくる。
よーく分かってくる。
人の心根も、おおよそ分かってくるわけだ。
今の時代は、何かしらそれ、悩み一つでも二つでもあるわけである。
山頂から手を差し伸べるという風なる、自分になる事だ。
自分より上の人は、救わなくとも、救われているわけだ、ハハハ。
自分も今、富士山のどの辺にいるかは分からない。
山頂だと思い込んでいるだけかもしれないわけだ。
もっともっともっともっと、山は、もっと続くと思ったら、良しだ。
ここ迄というのは無いという事。
想念界は、迷妄の雲に、もっともっともっともっと、もっと知りたい。
神様の奥の教えを、もっと教えてほしい。
いくらでも教えますよ、となる、ハハハ。
まずは基本、基礎からという事で、何度も同じ様なる事、繰り返して申しているようで、実は、新たなる事も付け加えているという事だ。
それは、自分が気付き、自分から進み、自分から身に付けよう、心掛けよう、実践しようという風に、前向きなる姿勢が大事となる。
上向きなる心の姿勢も大事だ。
まだまだまだという風に、登る事だ。
タケル「はい」
想念界を高める事が、あちらの世界のステージを決めるわけだ。
いつなんどき、お迎えに来るかわからない。
タケル「(頷く)」
否、向うは、歓迎会だ。
そのようなる所へと、許される様に、とにかく 一日の中で、何か一つ、新たなる気付きというものを、まずもって見つけては、実践していく事。
面白いのは、神の学校というのは、どれだけの生徒が聞いているか、見ているか、分からないし、ハハハハハ。
こんな長い文書、見てられるか、という者もおる、ハハハハハ。
一生懸命、何度も繰り返し、読む者もおる。
またもっとも、知らない者、気付かない者もおるが、それは、神が与えるか、否かという事である。
これ、取り敢えずという風に、与えておる者は、必ず目にする、耳にする、又は、話をじかに聞くわけだ。
こちら側が決めている、選んでいるという事。
バトンを渡すわけであるが、受け取らない者もおるという事、ハハハ。
まあ、神の与えるバトンを持って走るが、利口となるがこれ、強制は全くゼロという事なりよ、ハハハ。
天界の点数を稼げとなる。。
タケル「(頷く)」
アカシックレコードの、毎日付けられたる「天数」だ。
合格か、又は不合格か。
毎日毎日毎日、テスト用紙、配っているわけだ。
試しの時ほど、ああ、神さまの今回のテスト、厳しいなーという事。
目に見えない世界にしておるが、幾重にも幾重にも幾重にも、その者にとっての、世界の中で他の次元、三次元にいながらも、他の次元に行く事がある。
まあ、これは勿論、神が必要ありて、与えている世界であるが、全てに意味ありて、何も与えなければ、五感を通してのみでないと、これ分からない、感じない、知り得ない、悟れない、体験しないとなるわけだ。
「不思議体験」と呼べるものは、こちらからすれば、まったく「まともな世界」。
三次元は限界があるから、現界であり、益々もって次元上昇であるから、もっともっと不思議体験が起こってくる。
「嘘でしょう、本当?」という様なる大奇跡だ、ハハハ。
神は、人を旅させる。
人それぞれに、体験させるわけだ。
その中で、共有する次空間。
それが人との出会いという事だ。
一期一会の者もおれば、腐れ縁といえる者もおる。
腐れ縁という者も、実にこれ熟していれば、熟せる縁だ。
リンゴもあまり熟し過ぎると、「腐れ縁」というか、まあそういう言い方は。親しきという風なる事だ。
お互いに心、もしぶつかれば、喧嘩もするし、そういった言い合いの中で、お互いの又、学びとして与えられるならば、その喧嘩も、ありがたしなわけだ。
心を裸にして、お互いにス直になって、嫌な所もさらけ出して、それでも仲良くできるという事は、実にこれ、熟したリンゴ同士だという事だ。
目の前の人が、又は、周りの者が、神様から与えられた、ありがたき、リアル映画のキャスト。
監督は?はい。
タケル「神様です」
よーい、スタートで、カチンコだ。
永い映画を見せてきた。
登場人物、毎度毎度、いつの時代もおんなじ。
冠をかぶっているか、ちょんまげ付けてるかだ、ハハハハハ。
でも、いつもだ。
同じ、三大神は元より、担当神も、担当の大天使も、毎回毎回、同じだ。
守護霊の交代というのは起こるが、それが「ソウルガード」として、目に見えないガードマンで守ってくれる。
高まれば高まるほど、高い霊層界のガードマンだ。
ガードマンは、見えないソウルガードは、お金を払えば、高い想念界の守護霊に代わってもらえるとなっておらないから、ハハハ。
まあこの時代、この現界においては、よっぽどのVIPの者であれば、高かーいお金で、ボディーガード。
お金を払わなくても、人類全員に、お一人ずつ、ソウルガード。
言うまでもなく、御先祖様のどなたか、お一人だ。
自分の霊層界、少しお高い所にいらっしゃる、どなたか、お一人だ。
だからこそ、自分が高まれば、守護霊の交代が起きて、もっともっと「先見の明」、所謂、見晴らしの良い、もっともっと山の低き所より、少しでも高い所の方が、見晴らしがよいとなるわけだ。
本当にこれ、大きく違う、うん。
又、オーラこそが守護してくれるクッションだ。
明るいオーラこそが、厚いオーラで守られる、うーん、ありがたし。
今日は、十日だ。
プラスの日だ、神の日だ、父さんの日だ。
何でも十時に組んでゆく。
自分の得意な事と、相手の得意と思える事、これ、その者が気付かなくとも、何かしらのサインで、ああ、こういう事が好きだったんだな、得意だったんだな、やりたい事だったんだな、という事。
それが分かれば、ドンドンと、その道、歩むという事。
まだまだ気付かない者も、おるなりよ。
タケル「はい」
「褒める」という事と、「おだてる」という事は違う。
その者その者の。心の原石、磨けば磨くほど輝いてくる。
そうしては、ああ、そういう事かと気付いてくるわけだ。
やはり、人に褒められると嬉しいものだ。
やる気も起きてくる、元気が出る。
という事は、相手にも同じ様に、そういう風に、「贈り物の言葉」を差し上げる事だ。
タケル「はい」
心で思っているだけでは、届かぬこと多し。
これ素晴らしいね、君が作ったの?あなたが書いたの?
いい事は言霊に出すようにする事。
又はメール、一つの文でも良しとなる、大事なり。
タケル「はい」
ゴーゴーでゆく事だ。
私は、ここに書いた、(日の神と書かれた字を指されて)ハハハハハ。

日の神様    2019年1月10日 夜11時11分~11時55分


「や―ると思えば」という風なる歌、あったっけな?
タケル「はい」
これは、昔の歌だ、ハハハ。
「どこまでやるさ-」。
やると思えば、どこまでもやるという事だ、ね。
やる前から諦めない。
よくね、目標に壁を作る人っているんだよね。
そんなこと無理に決まっているじゃないかってね。
自分で壁作ってるの、気付かないんだね。
そう言っちゃうと、そうなっちゃうんだわ。
見えない壁ね、無理だっていう壁なんだわ。
私はね、一度だってそんなこと思った事ないです。
ただ一つ言える事は、初めは天下を取ろうと思ったけれども、こんな事、ずっと続いていたら、せっかくの人生ね、国取り合戦で終わってしまうから、神ごとしたいとなったんだ。
まあ、これは、私の前世の話ですけどね。
だから、その思いが、神様、今世繋いでくれて、神ごとさせて頂いたんですよ。
(何十年も前に、主晴様が現界に生きておられた時に、ある教祖様でした)
まあ、私がこの世に、現界に居た時の話ですけど。
今は神霊界ですが、お陰様で、私の御縁の方が、周りに集まっていらっしゃるんです。
直接、ま、亜鈴さんの口を借りて、私が直々話す事。
話を聞いておられる方々は、やはり過去世においても同じです。
私の言葉、例えば「つぶやき天使」に載せて、それを見せて下さっている方。
やはりこれも、前世において、私の言葉を、どこかで聞いている方なんだわ。
まあ、人づてであってもね、そういう事になってんの。
何処までも、縁というのは、人なんだ。
神様の御意図の意図(いと・糸)ね。
だから、御縁をこれからも大事にしてほしい、うん。
織田家の方、豊臣の方、そして徳川の方。
何かしらこれ、御縁で皆さん、出会ってますからね、うん。
本当に愉快な方たち、楽しんでね。
人生、みんな謳歌してほしいです。
タケル「はい」
自分次第で、できる事なんだ。
私は、(時計が12時ちょうど)丁度ですよ、本夛君。
ぎりぎりセーフの、釈迦、ハハハ。

主晴(スバル)様   ~12時00分
日の神・主晴

『人生の金メダル、獲得せよ』

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年一月九日

「致し方ない」という事がある。
それは、仕方ないという事は、本来ならば、思う通りに、考え通りにという風なる事。
それを行動に移すわけであるが、これ、何かこと起こりては、致し方ないという風なる事、仕方というのは、どの様にしてこれ、自分と相手の、この二人、十字に組みての両方の御魂、平穏、平和に、平らかなる、なるべくなら、これ、大波を小波にという風に、大難を小難、小難を無難へという事。
こと荒立てる事なく、穏便にという事だ。
どちらもが、「言い分」というのがある。
片方の言い分だけでは、これ、お互いさまの事であるから、両方のまずもって、言い分というもの、それが必要なるが、会話だ、話し合いだ、となるわけだ。
よく、これ誤解を生むのは、AとB、何かこと起こりては、Aの言い分のみを聞くと、これ、Bが悪者。
又、その逆となるわけであるから、AもBもそれぞれが、何かしらのこれ、思いがあって、その結果が、こと起りたとなるわけだ。
それは、やはり過去世での繰り返しなる、重―いカルマという荷物が、ドドンと降りたわけだ。
そして、それは、お互いの背中のリュックに乗せては、山なら、その山岳地帯を昇り昇りてという風なる事。
人生は旅と申すが、まさしく荷物を背負って生まれてくるわけなりよ。
そうして、それは、その折りその折りにドドンと降されるから、背中がまた重くなりて、歩きにくく、昇りにくく、渡りにくくとなってくるからこそ、神は人に気付きを与え、今迄は、やはりこれ、この三位一体なる御仕組みというもの、伝えてない、伝えられていない時代、又は個々に与えられていない場合は、そういう風に、いわゆる宇宙の法則の考え方、思考の持ち方から、どうしても、人のせい、世のせいにしたりする。
然れどもこれ、そういう御仕組みが分かりたならば、やはりその重い荷物は、自分次第でいくらでも軽く、そして相手の荷物をも、軽くでき得るんだという事だ。
荷物の中は何?
「何が入っているんだろう?」と草冠に何と書いた、ハハハ。
(荷という字に何が入っている)
まさしくこれは、カルマという事だ。
然もこれ、「何」という字も、人偏に可能の「可」という風なる事。
その荷物は、まさしく可能という事は、起こるべくしての必然で、背負わされているわけだ。
何も神が好きで、背負わせているのではない。
旅も、やはりこれ、背中のリユック。
軽ければ軽いほど、歩きやすい、登りやすいとなる。
ましてや、今は楽な、キャリーバッグという物もある。
地面にズルズルズルズルと、これ、その方が重―い荷物、楽に移動でき得るわけだ。
そして、これ、今の時代、旅の途中、もし、お土産等で重くなったならば、宅急便という手もあるわけだ、ハハハ。
カルマの宅急便だ、うーん。
然し、不可能ではなーい。
いくらでも身軽にする事、それが神の教え、宇宙の法則に沿ったならば、学んだならば、そして実行できたならば、あり得るわけだ。
リュックを、キャリーバッグにしようではないかと申す。
ハハハ、分かりやすい。
タケルは、今、うんうん、うんうんと頷いておるが、これ、荷物は大事(だいじ)なる、本当に必要なる荷物だけで、実は生きて行ける。
然れどもこれ、ま、カルマの荷物は、こちらに置いといて、旅行に行く時には、必要と思えるものも、何かことあった時に、便利なものなどを、背負うわけだ。
そうして、まー、旅であれば、行きたい時に、行きたい所へと行くわけだ。
又、色んな用事、そういった事で、遊び、レジャーなどで行く時と、仕事で行く時と、他の用事などで行く時、色んな所に行くという場所的なる移動と、心の旅というものもあるわけだ。
心の旅というのは、これ自由なり。
いくらでも頭の中で、空想で旅できるわけだ。
それは、例えば、目の前に、又は、遠くにいても、ある人を思い描いては、これ、あの人の重―い荷物、又は重そうな荷物、何か最近元気がなさそうだから、その中身は分からなくても、たまには、お茶を飲んだり、酒を酌み交わせたり、又は、カラオケなどへ行ったり、又は、その人の好きそうな事で、今度会おうよ、という風に話を持ち掛けたとする。
そして、その重―い荷物の事を、自分に相談したとする。
話すだけで、その者、軽くなる事もあるんだ。
それは、解決する、しないという以前に、まずもって、人の心の痛み、辛さ、迷う事などを、それを、でき得る限り、少しでも元気になってほしい、心少しでも軽くなってほしい、という風なる思いが、利他愛である。
解決する、しないというのは、「心の医者」ではないから、まあ、ある時は、否々、心の医者になるかもしれぬが、最近の医者というと、直すというより、ひどくなるという事が多いから、ハハハハハ。
タケル「(笑いを無理に抑える)」
「心の医者」というのは、その医学の「医」ではなくて、ハハハ、こちらの「偉者」(いしゃ)だ。
どの様な者が、偉いと言うのであろうか。
身分で、皆その様なる事。
「あの方は、お偉い方だから」
どこが、偉いんだとなる。
神から見れば、これ、殆どが、そういう、まあ多いのは、偉そうにしている者ほど、心が狭き者、横柄なる者というのは、一番鼻持ちならないものだ。
役目があって、何々先生、だからどうしたとなる。
「心の偉者(いしゃ)」というのは、人の心というのは、その人その人で、性格も違うし、又、考えもその都度変わってくるし、色々あるわけだ。
少しでも、重―い心を、軽くさせていただいたら、いいなー。
それで良し。
否、それその一言、その一つの行動だけでも、またメールの一本でも、どれだけの救いになるかという事あるわけだ。
「そうか、この一言で、自分は救われた、ありがとう」
そういう風なる事。
それは、本当にお偉い事だ。
タケル「うーん(感心する)」
人は結構、結果で判断しやすい。
例えは、オリンピックであれば、やはり、銅、銀より、金メダルだ、ハハハ。
だから、その過程の努力というものを、称賛するというよりは、
「なーんだ、あの選手、あれだけ金メダルって騒がれていたのに、結局もらえなかったじゃないか」
結果で判断しているわけだ。
神は、そうではない。
一生懸命、頑張ったのであれば、結果はどうであれ、それで良しだ。
必要ありて、結果が起こるわけであるから、そんな事は大したことではない。
メダル取れなくても、オリンピック出るだけでも素晴らしい。
有意義なる夢に向かっての、これ、ありがたき舞台だ。
又は、オリンピックに出られない選手も、同じ様に、いつか目指そうという、そういう思い、夢溢れる、心振るわせる、そういう思い。
そういうもの持ち合わせるならば、それで良しだ。
途中経過の、頑張ろう、一生懸命練習して、目標を立ててという風に、何もオリンピックというのは、スポーツ選手だけの事だけを申しておるのではない。
例えての、そういう事だ。
「人生の金メダル」だ。
それを目指す事。
タケル「はい」
それは、決してこれ、競い合う事ではない。
自分にとっての、思い通りのオリンピックだ。
誰かに称賛されなくとも、夢、獲得したのであれば、金メダルだ、ハハハ、うん。
オリンピックというのは、聖火、ずーっとずーっと、その炎、永いこと繋ぎての、炎だ。
「心の炎」というのは、夢に向かっての聖火は、諦める事なく、燃やし続け、そして、夢の舞台目指して、頑張る、実現する、成功する、完成するんだ、という事なんだ。
今年一年、必ず「人生の金メダル」、獲得せよ。
タケル「はい」
私は、日の神。
続きは、主晴(スバル)。

日の神様    2019年1月9日 夜11時11分~


オリンピックっていったらね、五輪だわ。
それは、何を示しているの、はい?
タケル「五色人」
そうだー。
五色人、相集いてのね、まあ、オリンピックというと、スポーツ選手ね。
色んな国々の五色人の方々が競い合って、そうしてメダルを目指す、ね。
「人生の金メダル」というのは、本当に自分自身の築き上げるオリンピックです、ね。
競い合うなんて、何もないから、自分が一番と思ったら、金メダルなんだわ、うん。
黄金に輝いたる人生のね、オリンピック、頑張っていこう。
タケル「はい」
今日は何日?
タケル「9日です」
うーん、1月の9日、これは「行く」じゃないかとなる、ね、うーん。
そうだよね、行くんだ、んー。
まあ、スタートは、いつでもスタートだ。
だって自由なオリンピックなんだから、そうでしょう?ね。
今日からでもいいし、今迄の続きでもいいし、ね。
いつでもが、まずもって、その夢へのコール、もうスタートライン。
もうね、金メダルっていうのは、輝く、一番輝いているという事だから。
タケル「はい」
黄金のオーラが、神様のオーラですから、その様に近く、ね、輝いたる金のオーラ、いくらでも自分自身の想念、思いの仕方でなるんだよ。
タケル「はい」
素晴らしいね。
ミロクの36分、私は釈迦。

主晴(スバル)様   ~11時36分