日の神

身に美しいと書く「躾」、心も美しく、己を躾よ

人というのは、これ、思いの仕方次第で、まあ、「体の成長」というのは、赤子から生まれ、子供そして大人へと成長し、まあ、時期が来れば成長も止まり、そして段々と老いていく訳であるが、これ、ま、それが成長と申すが、「心の成長」というのは、これは、限りが無い訳である、うーん。
心掛け次第で幾ら様でも、これ、今ある心根から、少しでも成長しようと思わば、出来うる訳である。
これは、そういった意識を持たねば、成長があろうがこれ、今の自分にまずもって満足しているのであれば、そこで留まってしまう。
常にこれ、所謂、想念界を向上しようという風に、向上心を持てば、一段でも二段でも三段でも、成長の階段、昇る事が許される訳だ。
何事も、これ己次第という事。
我(が)の強い者は、頑固として譲らないという風な想念である訳であるから、これ、なかなかもって、ス直な者より変えようという意識が、まあ、無い者が多いという訳である。
この様にして、思いの仕方次第で、心の成長は成し遂げる事ができる訳だ、うーん。
もって、まず自分の心の中を、よーく覗いてみると良いという風に、この前も伝えたが、まず自分を知るという事だ。
そこから始まる。
どうも、他人(ひと)を悪く見る癖があるのに、自分の事を良く思ったり、良く見せたりという風にしやすい訳だ。
何故なら、自分が一番可愛い訳だからだ。
必要以上に、よく見せようとする。
まあ、見せかけであるが、これ、今の時代は、昔はそれで一応は通った様ではあっても、バレバレのバレの時代、見え見えである。
人は割と、客観的に物を見るから、でも自分は、なかなかもって客観視というもの意識しないと、いい人だと、いい人間だと思い込んでいる場合が多い訳だ。
であるから、そこでス直でなりて、他人(ひと)を鏡として自分に置き換え、ああ、この人の悪いところ、自分の中にもあったな。
今、気が付いた、直そう。
これが、成長の第一歩だ。
そこで、非難で終わってしまうから、マイナスの想念となってしまう訳だ、うーん。
他人(ひと)を叱りつけて、直そうという風な思いは、これ、まずもって、その資格は無いし、そんな事相手に、「あなた、こういうところがあるから、直したらいいんじゃない?」と言うと、大概は逆手に取り、「なにをー!」ってなってしまう訳だ。
大きなお世話という事。
自分だって、完璧じゃないないかという風に、相手はとる訳である。
然しながらも、中には、ス直に受け取り、「ああ、至らないところを教えて頂いて、ありがとうございます」と言う風な思いの者もおる訳だ。
であるから、人は、皆受け取り方が違うという事。
もって、他人(ひと)を直す必要も無し。
他人はお任せであるであろう。
それぞれの自由である訳だから、自分にもし誰かが、そういう指摘をして、自分はどう受け取るかだ。
これも、言い方もある。
最も親しき仲であり、また相手が目上の方であり、尊敬しうる方に、そういう風な御指摘を頂く場合は、ありがたしと受け止める場合もある訳であるから、これ、何事も人は神が使い、言わせたり行動させたりしているという事。
これ、「宇宙一切、神の声なりよ」という訳だ。
「怒(いか)る」と「叱る」では、まったくもってこれ意味が違う。
口偏に、ヒと書く叱る。
これは、ま、我が子可愛さに成長を見守る為には、子供は善悪の判断がまだ付かなき、幼き時に、親が子に躾として叱る訳である。
又、先生が生徒を叱る場合もあるという事だ。
それは、飽く迄も、その者の成長の為、躾の為だ。
これは、必要ありての事であるから、怒(いか)るのとは違う。
然しながらもこれ、場合によっては、叱るが度を超え、怒鳴りつけるでは、子供の心も畏縮してしまうから、これ、怒鳴るのではない、怒(おこ)るのではない、感情でその様な真勝手なる、幾ら子供でも相手に対して、心傷つける様な事はしてはならぬ。
それは、自分の感情を剥き出しにして怒(いか)る訳であるから、これ、全くもって叱るとは、程遠くなってしまう訳だ、うーん。
余計、子供、反抗期になれば、この様な怒(おこ)り方をすると、逆手に取り反感を持つという事になる。
そして、飽く迄もこれ、言霊に気を付ける事。
子供とて、言霊一つで善想念にも悪想念にもなる訳だ。
飽く迄もこれ、優しさから来る、躾から来る叱り方である。
躾、身に美しいと書く。
所謂、心を正させる為に、考え方を正しい方向に導く為に、躾する訳だ。
これ、大人になった自分たちも、自分に対して躾けるが良い。
美しき身も心も、これ、思い次第で幾らでも変える事が出来る訳だ。
それが、心の成長である。
日本人、「大和の心」というのは、これ、他の外国の方々と比べる訳ではないが、奥ゆかしき「和みの世界」、所謂、茶の世界であるが、これ、静寂の中に、お茶をたて、その空間にいると雑念は消えてゆき、「美の世界」というもの、感じる事が出来る訳だ。
日本庭園、眺めながら頂く、「お茶の世界」。
そうして、自分の心を、目を閉じて見つめ直すという。
どうしても、日常の中にいると、これ、雑念というドンドン入り込み、余計な事ばかり考えてしまいがちである。
茶の世界というのは、そういった静寂の中の「美の空間」である。
和の心、これは素晴らしいもの、「おもてなし」の出来る日本人である。
「おもてなし」とは、相手の為を思って、相手の心見計らい、より良き「おもてなし」をする。
「心と心の触れ合い」というもの、これからの時代、大事になって来る。
言霊一つで、態度一つで、これ、大きく変わる訳だ。
であるから、自分に躾ける事。
タケル「はい」
私は、日の神。

2017年1月21日 朝6時48分~7時7分 日の神様