日の神

囲碁の如く、白黒ハッキリした世界なり

思う通りにいかないという事、多々ある。
それは、人はある程度、自分はこの様にしようという風に、願望を持つ訳であるが、これ、あらゆる現象というのは、周りと共に連動している訳であるから、うーん。
思う通りにいく場合もあるし、無い場合もあるという事。
何が起こるや分からないのが、一寸先という訳である、うーん。
であるから、これ、流れに沿うしか、勿論、無い訳であるが、出来うれば思う通りにしたいというのが、人というものだ。
では、誰の思う通りになるっているか、はい。
タケル「はい、神様」
ハハハ、結論は、それ。
タケル「はい」
神が良しとしない事は、これ、現象化しないという事になる。
それは、人から見て、良し悪し(あし)に関わらずだ、うーん。
何故、じゃあ、「悪し」の方で、神はそんな残酷な事をするか。
何度も何度も申すが、これ、「カルマの清算」となる訳である、うーん。
「悪し」は、「良し」の為に起こる訳だ。
でも、「悪し」のまま終われば、これ、人も所謂、一般的に言うと、不幸という事になってしまう訳だ。
神は、幸福の為に、悪しを与える訳であるが、これ、受け取り方で大きく違って来るという事。
所謂、「試練」というもの与える訳であるが、この「試練」、試すの練習と書く。
どういう意味か。
お試しで、神は、どの様な行動を起こすか、どの様な思考を持つか、という風に試しておる訳である、うーん。
所謂、「見返りの理」という事を伝えれば、必ずやって来た事が返って来ている訳であるから、そして、神の学校の優等生は、当然というこの「霊障」というのが関わっているという事を、まず念頭に置く訳だ。
まあ、そこの違いだな、劣等生と、うーん。
「現実主義」か、「霊的主義」かの違いで、受け取り方で、この同じ試練を与えても、乗り超えれるか、否かというのが、分かれてしまう訳である。
神は試練を与える時に、必ず乗り越えれる位の清算というもの与える訳だ。
そして、出来うればという事で、その原因となる霊障というものを、正しく伝える事が出来る場合もある訳だ。
否、これは、稀という事だ。
何故なら、霊障を読み取る力が無ければ、難しいという訳である、うーん。
所謂、優れたる陰陽師の様な者が、これ、その様な力を持ち、もって、どういった時代に、自分がどういう立場でありて、そして、霊障の原因となる相手、どの様な事をしたから、この様に、恨み、又は、恋しいなどの霊障を抱えているかという事。
「把握出来る」、それでもって「解決法」というのは出て来る訳だ、うーん。
神の教えというのは、まかり通る訳である。
でも、大概は分からなくしているから、また、それが神が与えたものであるから、とにかく起こった事は、自分が原因という風な考え方を常に持つ事だ。
例えば、自分の前に現わるる他人(ひと)様の言動、一つ一つが、必然で起きている事。
そして、その瞬時瞬時に、必要なものを神は与えている訳であるから、周りの者も、目の前に現わるる一人一人、又は、物事一つ一つが、今、必要あって起こるという事を、常にそういう風な見方をする。
であるならば、まあ、仲良しは別として、「何であんな人と出会ったのかしら」、「まったく、あんな人、紹介した人も、気が知れないわ」、ハハハ。
それは、結果論であり、もって自分が相手に、必ずや嫌な思いをさせたから返って来たという、「ブーメランの理」である。
その様にして、常に常に、これ、思考の持ち方を、所謂、霊的に変えると、「あー、見返りの理だから、自分があの方に迷惑かけたのだな」、「じゃあ、私は、もう、例えば前世ね、起きた事は忘れているけれども、じゃ、申し訳なかったんだな。ごめんなさいね」と心で謝れば、もしかしたら、その縁も復活するやもしれぬという位の、これ、正しき見解となる訳である。
神はその想念を、常に常に、試しておる訳だ。
それが、先程申した、試練という事だ。
これの毎日毎日、繰り返しである。
とにかく相手を非難しない事だ。
確かに嫌な相手は好きにはなれないであろうが、神が与えたのだという事だ、うーん。
そして、いい所は取り入れ、そうじゃない所は、「ああ、私も気を付ける様にしよう」という風に考える事。
そういう風に考えると、何でも良しになって来る訳だ、ハハハ。
「他人(ひと)は鏡」、本当に、これ鏡だ。
そしてね、嫌だなという部分を見せられる時に、大概は自分の中に、同じ様なものを持ち合わせているから、神は敢えて、これ、見せている訳である。
そういう事も多くある。
自分では気付かなくとも、大概自分というのは、いい人間だと思っているから、そして、正しいと思い込んでいるから、そうではなくて、常に向上心を持ち、「まだまだ至らないんだ」、「もっともっと自分を高めよう」。
それが、神の学校としては、最も霊層界アップする、きっかけとなる訳である。
自分のまず人格を高める。
そして神が、霊格を相応にて高くする訳だ。
これ、物凄く大事なことであり、今の自分に満足するなという事。
さすれば、幾らようでも、霊層界が上がると、これ、思う通りの世界に近くなって来る訳である。
邪魔が入るというのは、霊層界低いという事だ、うーん。
自分がそういう体験をしていれば、これ、見えて来る訳だ。
富士の山頂に近ければ近い程、見晴らしのいい景色、滞りなく遠くまで見通せて来る訳である。
ハハハ、五合目で満足してるのか、山頂でこれ、成功させて人生開花させるのかだ、うーん。
どちらでも自由だ、うん。
自由というのは、自分に由(よし)と書く訳だ、ハハハ。
自分が良し良しという事を、他人(ひと)は常に常に考え、行動している訳だ。
この良しの判断にも、勿論プラスとマイナスがあり、そのスイッチ一つで、大きく天地の差に霊層界が分かれていく訳である。
自分が正しいと思いながらも、実は、マイナスの方向に行ってしまうと、それを自分は信じて、正しいと思って、そうすると、いつのまにやら、とんでもない霊層界の低い所になってしまうやもしれぬという風に、この見極めが肝心となって来る。
何が正しいか、正しくないかだ。
みんなが注目して人気があるから、話題になっているから、有名だから、偉い方だから、あの方の言う事は正しいんだ。
ハハハ、はてさて、そういった、お偉ーい方の申す事、もし、これ、「神の理」に合わなくて、逆な方向に、という風な導きの者であれば、とんでもない事になる訳である。
又、逆に、名も無い者で、ちっとも偉くもなく、有名でない無名でありと、ハハハ、然れども、「神の教え」をコツコツと、これ、賜わいては、正しき方向に導く者、そして、まずあまり有名でないから、集まる人たちも、そう多くは無しと、然しながらもこれ、「神の理」に沿うた事であれば、どちらが正しいか、となる訳である、うーん。
結論は、言わなくても分かるであろうが、有名無名、まずもって関係無し。
お偉い、偉くない、これも関係無し。
「神の理」に沿うた者か、どうかという事で判断する。
だから、「神の理」をまずもってある程度知らなければ、「迷い子」となってしまう訳である。
テレビに出たからって、本に出たからって、マスコミで有名になったからって、正しいか、どうかというのは、分からないものだという事。
そういうもので判断するのは、ちと違うという事だ。
まあ、それの中で、正しい者がいるとすれば、それは良しであるが、勿論、そういう事で人を見極めるのは、安易な考えという事。
よく、ズラズラズラズラズラズラーっと、人気のお店に人は並ぶ。
そういった習性が、人にはある訳であるが、うーん。
時間なんかどうでも良くて、どうしてもその欲しいものを買いたい訳で並ぶ訳だ。
そしてそれが、何の店かも、あまり分からなくても、人が並んでいるんだから、並んじゃおう、ハハハ。
並んでいるのであるから、きっと旨いに違いない、という風に並んでみて、そして自分でそれを食べてみて、あれれ?並ぶ程じゃなかったじゃないという場合もあるという事だ。
所謂、これは、他人(ひと)が幾ら人気があるものでも、自分が試してみないと分からないという事。
今、言っているのは、ま、おいしい店の話であるが、味覚はみんな違う訳である。
であるから、考え方も同じという事だ。
間違った事を書いている本、多すぎる。
本を出したからといって、偉くも何ともないし、正しいとは本当に限らないという事だ。
でも、そういう事で、人は判断しやすい訳だ。
残念かな。
本というのは、まずもって、言霊を書いた書籍であるから、この言霊を見ているだけで、マインドコントロールという事も起こって来る。
「ああ、そうなんだ。へえー」、ハハハ。
「じゃあ、この様にした方が、いいのかなあ」
その様にして、お偉い方が書いた本、思いやすいという事。
もしそれが、「神の理」から離れている事であれば、思考の持ち方から、ズレが起こって来る。
うん。
であるから、如何に、神との波長を合わせるか、正しき見解、これ大事。
タケル「はい」
それは、「第三の目」で、ものが見れる様にするという事。
所謂、これ、直感。
直(ちょく)の神で、「直神」(ちょっかん)だ。
魂が曇っていれば、「第三の目」も曇ってという事だ。
だから、どうしても、この「肉眼の目」でしか見なくなる訳である。
「肉眼の目」じゃ、心読めるかと言う事だ。
他人(ひと)様の心も、自分の心根も、目で見えないものであろうという事だ。
そうすると、この「肉眼の目」ではなくて、「第三の目」である。
第三は、ま、三番目という意味もあるが、太陽のSUNだ。
所謂、日の神の御意図(みいず)というものを、賜わっているか否かで、この磨きが変わって来る訳である。
所謂、「第三の目」のレンズの磨きという事だ。
曇っている者は、真っ暗な者は、まったく「第三の目」で見えない。
直感というものも、ズレズレのズレだ。
そうなって来ると、とんでも無い事になって来る訳だ。
何故なら、正しいと思った事が、実は結果、間違っていた。
その結果になって気付いた時には、もう遅しとなると、とんでもないものだ。
これ、医療にも、関わっている。
医者の言う事は正しい、ハハハ。
まあ、専門分野であるから、そうしては、薬害で、どれだけの者が苦しんでいるかだ。
結果を見よだ。
目を覚ませ、となる訳だ。
であるから、お偉い、お偉くないは関係無い。
医者だって、色々いる。
勿論、素晴らしいお医者さんもいる訳だ。
そういう所に行くのであれば、行きなさい。
「人間性」というものがある。
医者にも、人間性がある。
人であるからだ。
まずもって、人間性、これ大事。
人を見る時は、それをまず見る事。
例えば、医者であれば、患者の立場なって、ものを考える医者だ。
「俺は、偉いんだ、偉いんだ、偉いんだ」
「患者なんか、分かってやしない」
「俺の命令で」、ま、命令という言い方はしないであろうが、「診断で実行させる」。
そういう風な考え方、そうではなくて、患者の言いたい事を聞き入れ、そうして、お互いにこうしたらいいねという風に、話し合うという事、そこである。
これ、医者だけではなくて、一般的にこの「人間性」、これが肝心である。
二通りだ、ハハハ。
ほんとに白黒ハッキリした。
面白いなあと思うわー。
囲碁の世界だな。
オセロの世界だ、ハハハ。
ああいったゲームの遊びの中に、ま、囲碁も昔からある素晴らしい、これ、大人の、ま、大人とは限らないが、趣味の一つとしてある訳であるが、白か、黒かで勝負する訳だ。
まあ、黒というのは、「苦労」という言霊に繋がっているから、この色霊、良きも、悪しきも、両方持ち合わせている色合いである。
礼装、所謂、服装、公けの場で黒いタキシードなどね、着る訳であるが、そういった高貴を示す色でもあるし、又は、そうで無い意味合いを持つ、墨の様な、ハハハ、これ、真っ暗闇という風な事も示される色である。
所謂、使い方、TPOだ。
お葬式で、まっかっかな服は、非難を浴びる訳であるから、一概に黒だから悪いという事はない、勿論。
そういう事ではなくて、御魂が黒という事だ。
これは、汚れているという事、結論は。
真っ黒に、墨の様に汚いという事だ。
白の人たちが集まっている所に、黒の人間が一人入っただけで、この墨の効果が起きて来る、ハハハ。
所謂、白い布に、一滴でも墨を散らすと、汚れる訳である。
この様にして、黒の人間は、「汚す役目」、ハハハ。
所謂、「人に迷惑をかける者」である。
それを、自分は、まずもって悟っておらんという事だ。
何故なら、「自己中」が多いからだ。
利他愛の者は、黒とは言わぬ。
白であるから、そして白は、清らかなる、澄み渡った青空の様に清々しい心の持ち主。
澄み渡るの「澄み」と、お習字の「墨」。
それが、地球に「住み」込んでるの、両方。
ね、分かりやすいなあ、言霊は、という事になる。
これは、しょっちゅうね、私も申しておる言霊であるが、大きい、所謂、その差、歴然としている訳である。
黒の者は、自分を黒だと、まったく思っていない、気付いていない、悟っていない訳だ。
何故なら、自分が正しいと思っているからだ。
自分は白だと思い込んでいる訳だ。
ところが残念、神から見たら、真っ黒クロスケだ、うーん。
どうも、この自己中は、自分が中心に、地球が回っている想念界であるから、ハハハ、手に負えないって事であるから、まずもって自分が、常に白か黒か、これ、コロコロ変わるという事だ。
白だからといって、いつも真っ白だとは限らぬ訳だ。
何故?
心は、心はコロコロ変わる訳だからだ。
ああ、今日は機嫌がいいが、明日は分からぬ。
過去も多く、「あんな事言わなきゃ良かった」、「あんな事しなきゃ良かった、あーあ」という事は多くある筈だ。
であるから、毎日毎日、24時間、365日、自分が常に向上心を持って、プラスの想念でいこう、その思い大事。
その中でも、コロコロ変わるのは、まあ、人間であるから、完璧でないから、それも流れであるから、という事だ、うーん。
そりゃそうだ、嫌な突然ボンと現われて、嫌な想いをさせられて、「ありがとう」、なかなか思えない、言えないものである。
「ああ、神の理で、見返りだから」、「ああ、ここは感謝なんだ」って思えるのは、相当の霊格の高い人間である。
それは神も、褒めたりだ、太鼓判だ。
そこまでいくと、富士山頂だ。
そういう者は多く無いから、私は口酸っぱく申しておる訳だ、うーん。
ハハハ、富士山頂まで、昇っておいで。
神のおわす神界は、常に上にある。
上(かみ)にある訳だ。
(上座)神座だからな。
今日は良いなーの47分が、日の出。
ドンドン早くなるぞー、という事でね。
私は、山頂の者。
日の神。

2017年1月23日 朝6時47分~7時21分 日の神様