日の神

心の成長により、神の大慈、又は大悲となるなり

神が言うの「計らい」(計という字、十はカミ、言うと書く)、神は常に計りたまいて、これ、相連動する三位一体なる御仕組み(みしくみ)という、常に常に、その折その折に、よは瞬時瞬時にと、まかり通るという風に、仕組みが起こって来る訳だ。
所謂、「必然」という事だ、うん。
与えられるもの、全て、「必ず然り」という事だ。
いいにつけ、悪いにつけ、意味がある。
神が、そうさせている。
であるから、「神は残酷なり」と申す者もおるであろうという事であるが、これ、何度も言う様に、「良し」の為に「悪し」を現象化させる訳だ。
所謂、浄化。
浄むる為に、それぞれに「試練」というもの与えて、然し、それは奥深い意味があるという事。
計り知れないのが、神の想念界である。
不幸不運の真っ最中の者や、過去にそういう現象が起こった者は、「ついてないな」、「最悪だな」、「あいつのせいだ」、「世のせいだ」という風になりがちであるが、これ、果たしてそうであろうかという風になっている訳だ。
何度もいう様に、やって来た事しか返らぬ仕組みになっている訳であるから、絶妙なる「計らい」というものが、必ずこれ、影響している訳だ、うーん。
ハッキリ申すが、神は大愛(たいあい)というもので出来ており、「大慈大悲」という風に、想念はなっている訳だ。
「大慈大悲」とは、何ぞや?
これ、「大きく慈しみ、大きく悲しむ」という風な文字の作りになっておるが、大愛であるからこそ、鍛えもするという訳だ、うーん。
優しい、優しいだけじゃ、鍛えにはならない。
成長させる為に、これ、チャンスを与えておる訳だ。
そのまま成長が止まってしまっては、所謂、霊層界、低いままでいては、仕組みというもの、これ、高い者と比べれば「貰いが少ない」という風になる訳である。
「貰い」というのは、所謂、「神の大愛」である。
御意図(みいず)というもの、うん、だから、例えばここで大きな、うーん、地震が起きたとしよう。
仕組まれる者は、どこまでも命守られ、安全なる地にと誘導されるという風に、又、危険な場所におっても、影響無きという風な御仕組みが起こる訳である。
逆の者は、大騒動という風になる訳だ。
この様にして、同じ時空間にいても、人によりて違うのは、これ、霊層界というもの、関わる訳である、うーん。
つまり、何度も申す様に、後ろにおる守護霊という「ソウルガード」が、自分の「相応の理」にての霊層界で、常に常にこれ、ソウルガードはチェンジする訳である。
自分が高まれば、高い霊層界の守護霊、そうでなければ、という風になっている訳だ。
であるから、守護霊というのは、「守る役目の者」である。
「見通しが利く」という風になっておる訳であるから、うーん。
一秒先、分かる者と、5分先、分かる者とではこれ、大きく差が出るというものだ。
それで、危険をキャッチして、事前に安全なる所に誘導させるという仕組みが起こって来るという事。
これは、守護霊の役目である。
守護霊はどこまでも、「守る役目」であり、憑依霊ではないから、恨みと嫉み妬み、恋しいは無い。
それは、当たり前の事だ。
どこまでも、ソウルガードだ。
お金を払わなくても就いてくれている、という風に、神が就けておる、うーん。
その上に、うん、色々と上へ行く度に、天使とか、又は、悪魔とか、神々にずーっと繋がっている訳だ、うん。
であるから、一番トップは勿論、ス神様であるから、繋がっておらぬ者は、一人もおらぬ。
否定している者にも、ちゃんと繋がっている訳だ、ハハハ。
当たり前、うーん。
繋がっておらぬ者は、命存在無し。
ただ、御親であられるス神様の御存在、又は、その下の神々の存在というもの、分かっている者と、そうでない者、どちらかという事になる。
又は、話は聞いていても、信じ得ぬ者は、これ、その者にとっては居ないという風な世界であるから、これ、まったく知らないでいる者よりも、うーん、親の恩というもの、分からない訳であるから、いつまでも、「現実主義」という風になっている訳だ。
それはそれ、そこまでしか、ハッキリ言って与えていないという事。
許されていないという訳だ。
逆を申せば、否、そういう仕組みとなっている。
であるから、神を信じる事が許される者と、許されない者という風に、所謂、神、選択している訳だ。
本人の発する思いというのは、つまりはそういう事。
許されるか、否かという事だ、うーん。
まあ、本人は自分で思っているからという風に、なっておるであろうがな、うん。
必然である訳であるから、心根さえも必然な訳だ。
全ては、宇宙一切「神の意志」で出来ているという訳だ。
然しながらも、心に自由を与えている訳だ。
であるから、その折、その折に、瞬時、瞬時に、神、所謂、プラスのスイッチであれば、「大愛」。
マイナスのスイッチであれば、これ大愛の中の「大慈大悲」というものがあるが、そこで違ってくる訳である、うーん。
神、気付かせる為に、あらゆる手段というもの与えている訳であるから、本人未だに気付かぬ者は出遅れてしまうという訳だ。
もうそろそろ、出航する箱舟、目の前にして、うーん、未だもって、それ信じない者は、見えない訳であるから、うーん、まあ、今回は見えない箱舟ではあるが、所謂、想念界を高めるという事が、まずもって条件な訳だ。
それが、大事。
想念界を高めるという事、イコール、人救い、世救いで、立ち上がろうと心根を持つ者、それを神は望んでいるという事。
であるから、箱舟は何艘でも、勿論、多ければ多い程、あーあ、良く頑張ってるなあという風に、神は思う訳だ、うーん。
自分の心根を、神に波長合わせすると、これ、光輝いて来る訳であるから、黙ってても人は集まる。
「ああ、あの人の話って、役に立つなあ」
「何か奥深いなあ。普段はふざけているのに」という風になる訳だ、ハハハ。
うーん、これ大事。
「小難しい話ばかりしても、ちーっとも分からないや」というよりは、その方が良いであろうという風になっている訳だ。
所謂、神の御心に波長を合わせる事だ。
たまには、「神様、どう思われているのかな?
「私の事、鍛えてくださっているから、きっと役目を果たしなさいって、おっしゃっているのかな」とかいう風に、神の心根というのを想像するといい、うーん。
不幸不運の時に、もし陥れば、特にそうだ。
「ああ、神鍛え、神試しなんだな」
「よし、神様、申し訳ございません」
そして、「御霊さん、憑いておる方々、苦しめてきて申し訳ございません」
「どうか、神様に救わせて頂く様に、私は精進努力します」という風な想念を持つ事、これ大事。
常に自分の思う心根は、憑依霊、聞いておる訳だ。
全て見通せる、それが霊界。
所謂、現界は何次元?はい。
タケル「三次元です」
霊界は?
タケル「四次元です」
この三次元、所謂、「SEEN」の世界、ねえ。
で、目に見えないから、こっちからは、霊界から「UNSEEN」になって来る訳だ。
でも勿論、その世界からは、姿がハッキリ見える訳だ。
肉身が無いだけで、幽体、霊体があるから、姿がハッキリ見える訳で、霊界同士の者、うん。
ま、神は、勿論そうであるが、この次元の違いで、勿論、次元が高ければ高い程、ハッキリと見通せる訳だ、うーん。
霊界の方が、高次元な訳だ。
あの世に逝った方が、高次元に住んでいる事。
天国に住む者、インスピレーションで話す事も許される世界だ、うーん。
何故なら、神の世界に近ければ近い程、その様に素晴らしい世界となっている、ハハハ。
ま、地獄界は別だがな、うん。
所謂、少しでも、今この瞬間に思う世界。
はい、今、自分の思う気持ちは、プラスか、又はマイナスかである。
もし、マイナスと気付いたのであれば、これ、瞬時にプラスにというのが理想であるが、これ、まあ、ことの場合によっては、簡単にそうはいかぬという場合も多い訳だ。
所謂、「不平不満」が「感謝」になかなか転換出来ないという事。
それは人間であるから、然れども、ス直な者、頑固な者より早い訳だ。
想念転換、許されるのかな、うーん。
頑固な者も、ス直になれといっても、なかなか、これ頑固だ。
所謂、心が凝り固まっている訳であるから、ハハハ、柔軟性が無いという事であるから、然れども出来ない事は無い、うん、努力次第だ。
我(が)の濁点を取れば、「か」だ。
神の「か」になる訳だ、うーん。
「我み我み」(ガミガミ)というのと、神々(カミガミ)というのは、意味合いが天地の差だとなっている。
私、俺、僕は自分の事、示す言霊である。
所謂、我(われ)という事。
これ、我(が)とも呼ぶ訳で、強いか弱いかで違う訳である、うーん。
我(が)、我(が)だ。
まあ、漢字で示せば、この我(が)だ、うーん。
心の余裕があるか、我(が)で目一杯で、受け皿が無いか、の違い。
心の受け皿と、相手の気持ちや意見、まずもって一旦受け入れ、そうして後に自分の考え申すのが、本来の会話というもの。
会話で、所謂、話し合う事、世の中、人との関わりと成り立っている訳だ。
会話無くして、成り立ちはしない。
いえ、それが会話。
会話は回すから、回話(かいわ)。
一人でベラベラと自分の事ばかり話して、相手の話聞かないのは、会話ではない。
回らないから、それは、「独り言」、ハハハ。
タケル「(笑う)」
ハッキリ言って、聞く方、大概、嫌になるであろうという風になる訳で、会話にならないからだ。
そういう者も、よくおる訳であり、まあ、本人、気付かないと、嫌われる存在であるなという風になる訳だ。
それはそれは、ハハハ、会話が成り立たないからだ、ハハハ。
自分の事ばかり、自慢話や、又は不幸な話。
相手が、思う存分思い通りに、そればかり話していては、ウンザリして来るという風になって来る訳だ、うーん。
どこまでも会話は、回す回話。
であるから、心の受け皿、広ければ広い程、これ、人様を、「ああ、この人といるだけで、癒される」
「話を聞いて頂けるだけで、ありがたし」、となって来る、ハハハ、うーん。
言霊というので、成り立っている訳だ。
言霊一つで、同じ様な意味合いがありても、又、その言霊を発する時の波動、大声で怒鳴っているか、普通に話すか、小声でポソリと言う、ハハハ、という風に、言葉は波動である。
又は、物事なりて、一言、たった一言で、相手の発する言葉一つで、勇気が湧き、やる気が起こり、元気になる、という言葉もあれば、一変にやる気が薄れ、マイナスの想念に陥ってしまう様な言葉もある訳だ。
言葉は、本人の心の表われであるから、これ、想念が載るのが言霊であるからこそ、相手に対し、影響多しという訳だ。
然れどもこれ、どんな事を言われても、霊層界の高い者、「ありがたし」と受け止める訳だ。
そこまでいくと、「全て良し」と受け止める訳であるから、神の想念近しという訳だ。
そうなって来ると、御仕組みがドンドン左回転になりて、それをバネに神の御意図(みいず)も多くなりて、人生開花して来る訳である。
神は、人を使いて、物事使いて、神試しする訳であるから、いい事ばかり言われたり、又は、されたりする事はまず無いという事、それを念頭に置く事。
「相手が急にあんな事を言い出すなんて、あんな人とは思わなかったわ」
そうでは無し。
全て、神がさせているという事。
相手は、所謂、神の使いという事だ、うーん。
そういう想念界になって来ると、神の学校、はい、誰?
タケル「優等生」
そうだー。
あー、そこ迄、タケルも行かねばなあ。
タケル「はい」
相手の一言で右往左往するのではなくて、「あー、神様の使いだ、ありがたいなー」。
「私は、いつかの時代に、この人苦しめて来たんだ、ごめんなさい」
そして、「後ろに憑いておられる御霊さん、申し訳なかった」。
うん、これ、大事。
そこまで行くと、かなりの霊層界トップである。
そうなって来れば、これ人生、見通しがいい、見晴らしがいい、うーん、晴れ晴れしい、至福の世界になって来るんだ。
いいかー、私は、そこまで望んでいる。
タケル「はい」
人類界を、そこ迄、引き上げたいのであるが、これ、「まあ、随分無理だなー」と、初めからなっているのは、神が、白黒ハッキリさせていて、黒は、まず無理だっていう事に、決定されているからだ。
ま、白は、努力次第で、幾らでもその様な、神に近しの霊層界になりうる訳であるから、精進努力、必要な訳である。
それが、「想念転換」だ、うーん。
何を教科書にするか、何を見て習うかだ。
それが、肝心。
タケル「はい」
うーん、間違った教えを信じて、実行しようとするのは、これ、「逆法」。
「逆法の世の中」であるから、多く逆な事が、はびこっている世界である。
その中で、真実を見極めるという事が、如何に肝心かだ。
「まあ、これも縁であるがなあ、どこまでも」、となっている訳だ。
タケル「はい」
であるから、神許されし者は、最も許されている者は、神直々に降ろしたる教えを、目で見たり、聞いたり、出来る者である。
これも飽く迄も御縁、うーん。
縁、まあ、近いか、遠いかという事もあるが、これ、近い者は、タケルと、この者の縁から繋がっている者は、私の声、直々聞く事がある者も、又は、主晴(スバル)が申している事を、直々聞く者おるし、ブログ、又は、Facebookの、所謂、通信で見るのもおるし、知らなくても、たまたま本屋で立ち読みというのもあるであろうし、うーん、たまたまは無い。
偶然は無い訳であるから、「引き寄せの理」で、全て出来ている訳だ。
それは、まずもって、全て神許されし者と、でも、その中において、信じる者、疑う者が出て来るが、そこは自由。
まず、知り得る事が大事となって来る、うーん。
反感、結構、コケコッコウだ、ハハハ。
そこは、自由なり。
タケル「はい」
節目の24日だなあ、うん。
節目の7時24分。
私は、誰?
タケル「日の神様です」
ハハハ、日の出の神。

2017年1月24日 朝6時47分~7時24分 日の神様