日の神

一般常識は、実は非常識であり、神の教えが真の常識なり

持って生まれた、よく性格というが、各々に与えたるもので、生まれた時から、これ、変わらぬものという事。
一生、輪廻転生、何度繰り返し、生まれ変わりても、容姿、殆ど変わらぬし、これ、不動なるものだ。
という事は、今の持ち合わせている性格が、過去世でも同じだったという事。
もって、その性格一人とて、この世に同じ者は、おらぬという訳だ、うーん。
自分の性格、これ、気にいろうが、いまいが変えれぬ訳であるから、まあ、全ては必然にて、与えられるしかないという事だ。
極端に、この性格というのは、明るい性格と、暗い性格があり、明るい性格の者は、周りをも明るく照らし出す訳であるから、人が集まるのはこちらの性格。
暗い性格というのは、一人で籠りがちであるから、あまり人は寄せられないという風な性格である。
所謂、これ、相反する、まったく違う性質を持っている。
暗い性格の中で、二種類ある。
おとなしい性格と、これ、激しい性格がいる訳だ。
激しい性格の者、外へ外へと、何かこと起こり、気に入らなければ攻撃しやすいタイプ。
もう一方は、内へ内へと、自分を非難してしまうタイプである。
この様にして、色んな、所謂、人格の者が、この地球(ちだま)に住んでいる訳であるから、そこで、まあ、御縁というものにて、今周りにいる者たちと共に共有し合っている訳である。
分かりやすいのは、周りの者たちが、明るいか暗いかだ。
これ、波長で出来ているから、ハハハ、明るい仲間の中に、一人でも暗い者がおると、違和感を感じるという風になって来る。
であるから、大概は離れていくという風事になるけども、縁でどこまでも出来ているから、出会う事は出会う訳である、うーん。
もって、そこでカルマが生じたりする訳だ
陰湿という言葉があるが、これ、心の根が何を企んでいるか分からないという風な性格の者で、陰でヒソヒソと悪さをする者は、この陰湿の性格。
それが、闇であり、悪党と申す。
悪い事をする者は、そういった性格の者である。
これ、決まっているという訳だ。
明るい性格の者も、中には悪さをする者も勿論おる。
否、明るく振る舞い、人を騙そうと思うて、やっている訳だ。
それは、本来の明るさではなし。
心の闇を持つ、演出家となる訳だ。
この様にして、色んなタイプが存在する訳だ、うーん。
人間、色々となる。
つまり、神がその様な性格の者たちを、創って来た訳だ。
もし、自分の今の性格が暗ければ、では、どの様にして明るくすればいいか。
これ、想念の転換というものありて、少しでも陽の気になりたいのであれば、思いきって暗い殻を脱がなければならないという風な事になる訳であるから、これ、努力次第で、少しずつでも変えれない事はない訳だ。
まあ、極端な話、思いの持ち方次第で、努力次第で、そこが「想念の転換」だ。
「あの人、明るくなったね」
それは、大概は「霊障」というものが暗くしていて、それが解消してくれば、本来のその者の性質というものが出て来る訳だ。
そういったケースも多々、何故なら、うつ病などは、霊障、勿論100パーセントが原因であるから、その御霊が救われれば、本霊がやっと、又、取り戻せる訳だ。
元々生まれて、うつ病というのは、まずないであろう。
赤子から、うつ病っていうのは、聞いた時がない。
赤子は、純真なる心にて、オギャーと生まれてからニコニコ笑うのが、赤子だ。
という事は、本人は元々明るいという事だ。
まあ、暗い闇の者たちも、赤子の時は、笑っていたとなる訳だ、ハハハ。
赤子の時からムッツリして、陰湿なる目をしたら、これはちと恐いという、まるで、うーん、オカルト映画のベビーである、うん。
タケル「(笑う)」
という事は、元々、日月の神から生まれし人であるから、明るくなりうるという事。
それを、カルマにて、又、本人の我欲にて、明るいか、暗いかという風に、立て分けられた訳だ。
暗い性格の者は、これ自分であるから、良いと思っておる訳でありて、これ、「世の中が悪いんだ」、「あいつが悪いんだ」という風な想念界を持ち合わせていやすいんだ、うーん。
何を企んでいるか、数知れない程の罪積んでいるのは、大概、暗い性格だ。
所謂、簡単に言えば、「陽陰」だ。
「要因」、何かしら原因があるという事。
必要の原因が要因と申す。
所謂、「陰陽」というのは、月の時代の呼び方。
今は太陽の時代であるから、陽陰だ。
陰湿な者より、明るい太陽の様な性格の者の方が上であるから、立て分けで言うと、陰陽ではなくて、これからは陽陰と呼ぶ様にする事だ。
これ、大事。
この、陽陰の原因なるものは、カルマである、うーん。
魔を刈る為に、与えているのが、カルマ(刈る魔)。
何度もこれ申す。
自分の中の魔というものを、持ち合わせている。
人間完璧ではないからだ。
たまには、腹が立って、いらぬ事言ってしまって、後で後悔。
それが人間だ。
「ああ、あんな事、言わなければ良かった」
「傷付けてしまった」
「困らせてしまった」
「悩ませてしまった」
「悲しませてしまった」
「陥れてしまった」
という風に、「しまった」っていう風な言霊は、これ、扉が閉まったから来ている、うーん。
何の扉?はい。
何の扉が閉まったの?
タケル「心の扉」
あー、もっと、深く詠む。
タケル「天の扉」
天の扉ではない。
天の扉という言い方はしない。
天(あま)の
タケル「天の岩戸」
「終いには」という言葉がある。
これ、終いにはと言うが、閉まった。
天の岩戸を閉めた。
本来、これ、今では伝説の様になっている話。
日の神を「天の岩戸」に押し込めた、扉が閉まった訳だ。
それは本当は、「しまったなあ」という思いにならねばならぬが、これ、闇の者は、シメシメとなった訳だ。
閉めろ閉めろのシメシメ(閉め閉めだ)。
この違い。
しまったなあ、というのは、善なる者。
シメシメというのは、悪の者、持ち合わせる想念だ、うん。
この様にして、大きく違いが出る訳だ。
よーく出来たものであり、シメシメという言霊は、相当陰湿な、これ、言霊である。
善なる想念は、絶対に持ち合わせないのが、閉めろ閉めろ、閉め閉めだ。
これ、何故かと言ったら、所謂、門に閉じ込めるの閉じると言う字の閉めだ、うーん。
〆縄の〆だ。
所謂、バツバツ(××)だ、うーん。
「ほくそ笑む」という言霊も、同じ様なニュアンスを持っている。
所謂、言霊汚しである。
「ざまあみろ」という事だ。
恐ろしやの想念だ、うーん。
これ、所謂、天の岩戸の伝説が節分と繋がっている訳でありて、これ、正神の神を追い出し、鬼は外になる訳であるが、それで副神の神を、うちへ呼び寄せる訳だ。
その現代も、尚続いている、入り豆を投げつけるという行為、いり豆は二度と目が出ない訳であるから、二度と世に出るなという風な暗示をかけたこれ、呪文という事。
それを人間が、未だもって神に投げつけているという状態という事だ。
つまりは、日の神、並びに正神の神を封じ込めるという風な、言霊が「鬼は外、副は内」と言いながら入り豆を投げ付ける行為だ。
逆法代表なるものが、節分の風習な訳だ。
未だもって、まだ気付かぬ者が多しであるし、気付いても、その他大勢の方が正しいと思い、神の申す事が違うとなって来ると、これ、いつまでも、副神系統の神、つまりは、闇を牛耳るのが副神であるから、この世の中、闇がいつでも、はびこっている訳だ。
うーん、それで良いのかな?
このまま、闇に封じられ、気付いたら地獄の様な状態になるという結果が生まれる訳は、もう見えている訳だ。
闇は、真勝手なる自分たち本意の悪どい計画を、ドンドン実践している。
気付かない様に、バレない様に、知られない様に、やっている訳だ。
それはそれは、巧妙なる手口である。
頭の良い、言い方変えれば、悪知恵の者たちがやっている訳であるから、今、本当にこの世の中は、悪のはびこる時代な訳だ。
然しながらも、これ、正しき知識であれば、免れる事は幾らでも出来る訳だ。
どれだけの正しき情報を得るか、否かによって、天と地に差が出来る訳だという事は、自分の命、家族の命、又は、仲の良い友人たちの命まで、これ大きく関わって来るという事になる訳であるから、如何に正しき情報を得るかという、アンテナを持つ事。
これ、最も大事なことである。
世の中の常識は、殆ど非常識だ。
非常事態発生の非常識だ。
非常事態だ。
こちらは、日の神の事を、教えを実践する、こちらにしようという同じ音霊で、「日常識」(ひじょうしき)、ハハハ。
日の教えを、常識にするという事だ、うーん、語呂がいい。
はい、どっちか、ひとつを選ぶという事、ハハハ。
非常識のまま、人生歩むのか、日の神の教え通りに、歩んでいこうとするのかだ、うーん。
これで、人生大きく天と地にハッキリと分かるる。
幾らいい性格の者でも、カルマを積んだままでは、これ、非常識に流されやすい。
不幸不運ていうのは、幾らでも、解除出来る訳だ。
殆どの者が騙されている。
であるから、一般常識と呼ばれているものを、自分なりに調べる事。
書籍を、なるべくだ。
口コミがいい。
友人の口コミや、知り合い話などを聞いて、ドンドン正しき情報を得る事が極めて大切となって来る。
もって、裏の組織を知る事、ハハハ。
何故なら、非が常(つね)と書いて、非常(ひじょう)、ハハハ。
否定したくなる様な内容の事を、常識的にやっているのは、非常識だ。
非常事態、発生だ。
ずーっと、もう昔からだ。
所謂、コントロールされ続けていた訳だ。
マインドコントロールというのは、間違った事を正しいと思い込ませる。
だから、親も教師もその様に騙されているから、とんでもない結果が、今、生まれている訳だ、うーん。
最も大事なのは、まず先程申した様に、正しい知識については、正しい情報を得る事。
そうすると、これ、正しい生き方が生まれる訳だ。
「いいな」の年にしたければ、今、申した様に、神の教えを実践実行する事。
そして、神の教えを、まだ知らない者、知ってる者が広めていくことが大事だ。
「自分だけの教え」にするのではなくて、一人でも多くの方たちに、信じようが、信じまいが、まず聞く耳持つを持つ者に伝える事。
それが、「人救い」だ。
よろしくなの、6時46分に、私は今朝起きた訳だ、ハハハ。
否、24時間、365日、起きたままである、ハハハ。
神は寝るか、寝ないか、はい。
寝る必要がない。
寝てしまったら、闇になってしまったらどうだ。
ああ、お日さま、休んでいて、今日は太陽昇らない。
真っ暗闇だ、うん?
ありえないであろう。
私は寝ない、寝る必要もないとなる訳だ、ハハハ。
寝てしまったら、大変だなあ。
タケル「はい」
うーん、という事で。
私は、寝ない神。
寝てられない。
闇をも照らす、日の神、ハハハ。

2017年1月26日 朝6時46分~7時21分 日の神様