日の神

人との信頼関係は、神との神来(しんらい)関係に繋がる

人の言う事は、自分で感じて、これ、その人のまず、「なり」というものを、所謂、「心のなり」も含めてであるが、それで信用なるか、否かという風になって来る訳だ。
この人であれば「信頼」出来る、「信用」出来るという風な、「人格者」と呼べるぐらいの者に、己自身も許されれば、これ、人は黙ってても、ついて来てくれる訳だ、うーん。
信頼関係というものは 、こちらの神来(しんらい・信頼)に繋がる、ハハハ。
神仕組みというものがありて展開していく、人生開花となって来る訳であり、何事も全てはその仕組みなり。
であるから、まず、神に信頼される様な己になるということが、まず大事なり。
この者なら、きっと世の末である現代において、「神の御用なすであろうなあ」という風な、神との信頼関係。
その為に神試し、神鍛えというもの与えては、これでもか、これでもか、という風に試しておるなり、うーん。
「かわいい子には旅をさせよ」という、これ、旅というのは、別にどこか遠くに行くというのが、旅という訳ではなくて、色んな体験をさせては、その体験の中から見い出して来る、己が自身の想念界というもの。
これ、実はその体験というものも、過去世からのいずれかの時代の体験に、相通ずるものであるから、これ、初めて体験するという風な事は、殆ど無い訳である。
だが然しこれ、その時代、その時代にも、特徴がありて、まあ今の時代は、古代文明からは遅れてはいるが、色んな体験というのを、実に与えられて許されるものな訳である、うーん。
まさしく、この地球号の体験の所謂、「リアル・レジャーランド」な訳だ。
色んな目には見えねども、乗り物がある。
ジェットコースターの様な乗り物や、メリーゴーランドの様な乗り物。
所謂、でこぼこ坂道を猛スピードで、という風な人生、穏やかなる安らかなるメリーゴーランドの様な人生、又、一つの人生の中に両方あったりする訳だ。
人それぞれ、これ、皆、体感する、所謂、乗り物、皆違う訳である、うーん。
「私は、何事もなく順風満タンに暮らして来た」
「俺の人生は波乱万丈だった」
いい時もあれば、そうでないときも、これ、人、色々ある訳だ。
いずれにしろ、その体験というものは、与えられて、人生いずれかは、この現界に幕を閉じる。
「我が人生、良かったなあ」
という風に終われば、これ、その後の世界にも、その思いが、そのまま移行する訳である。
向こうに逝ったからといって、急に変わる訳では全くなし。
そのままの思いが、その心の姿が移動する訳だ、うーん。
例えば、ケーキの箱を持った人が、乗り物に乗って、違う場所に移動する様な、そういう風に、心、所謂、想念は、そのままな訳だ。
ただ肉体だけを置いて、幽体、霊体のみが移動するとなる訳であるから、その想いというものは変わらぬものな訳だ、うん。
そして同じ様に勿論、考えているし、行動しているし、あちらに逝っても同じな訳である。
だが然し、行きたい所に行ける訳ではない、うーん。
神から信頼を受けたものは、それはそれは良い所に連れて行ってもらえるが、これ、人それぞれの訳であるから、なるべくなら、これ、パラダイスの様な世界に行こうではないかという風に、神の校長は申しておるなりよ。
一度でも人というもの、裏切る様な事をすると、これ、その信頼関係というものが一気に崩れてしまう訳だ。
積み木で言えば、毎日毎日積み木を組み立てては、「ああ、もうすぐ、ここまでで頂上だ」という風な完成間近の折に、一つ、その中の積み木が崩れてしまうと、一気に、ドドドと壊れてしまう。
そういった割と繊細なるものが、人間関係な訳である。
疑えば疑うほど、「うーん」となって来ると、これ、もうそこに信じてくれるという事が許されない訳であるから、真残念な関係に終わってしまう訳だ。
であるから、信頼関係というのは、とても大事なことな訳だ。
例えば、自分自身も、
「今迄あの人、信じてたのに、なーんだ、私の悪口、散々言ってたんだ。冗談じゃない」
と、なって来る訳である。
一度そういう事があると、それは人というものも、自分を含めて急に変われる人種ではない、ハハハ。
人間というものは、もう、その人格の「格」というものが、作り上げているからである。
自分自身の中に、その様な「裏切り」という思いや行為を、過去を振り返り、見い出せたのであれば、これ、大概は人間関係の積み木、崩れた事も、大いにあるに違いないという事だ。
であるから、人に対して「気配り」の出来る己であるならば、これ、常に、人の身になってという風に思い、相手はそこで信頼してくれるという、その関係が大事という事だ。
「あの人となら仕事組んで、これ、お互い「夢」を掴み、将来は「希望」というものを創り上げていけるな」
そういう己になれば、これ、ドンドンドンドンと人生開花していく訳だ。
人には、それぞれ個性があり、それぞれ良さというもの備わっている訳だ。
物を作るのが上手い者、それを売り込むのが得意な者、という風に、それぞれ良さというもの、お互いの相合わさりては展開していく。
そういった関係は、やはり信頼の中から生まれる訳である、うん。
絵描きがいて、その絵描きは、画家と呼ぶには、まだまだという者がおりて、ある画商に出会い、その才能をかわれて、一気に画家として有名になったとする。
その様に、お互い様で高め合うという事が、これ、成功への道を歩む事が許される訳だ。
作るだけでは、誰もあまり知られずに、そのままの絵だとする。
ある日、目利きの画商に出会った。
「おお、この絵なら、世の多くの人々に見て頂きたいから、是非、私にあなたの絵を売らせてくれないか」
という風な、そこで商談が生まれ、もって、その絵に価値観が出る訳だ、うーん。
名もない絵描きが描いた絵と、有名な画家が描いた絵とでは、同じ絵でも天地の差ほどの価格となってしまう訳だ。
そうして、その画家、有名になると、どんな作品を描いても、その価値観ずっと続くという風に、そして後に何年後かにも、「ああ、あの有名な画家であれば」という風に、0(マル)がドンドン増えていくという風な、そこまでの有名な画家の作品、うん。
それも神仕組みによりて、その様な「栄光」というものを賜わる訳である。
それは神との、まさしく信頼関係、この者の絵は真、素晴らしくという風に、まず芸術の神が担当され、もって、その様な御仕組みなって来る訳である。
芸術の神も、色々あり。
この世にいらっしゃる絵の先生も、色々あるのと同じ事。
まあ、そういう自分の夢を実現するには、目に見えない相連動する世界からの賜わり物という事であるから、大事になるは、まさしく神に愛でられる、神との信頼関係を築き上げる事によりて、これ、展開していく訳だ、うーん。
日の神の教えに、ついて行く。
学んでは行じ、もって、それを生活の一部に、という風に実践実行する。
所謂、真ス直な者は、これからの時代は、ドンドンと夢実現化してゆくなりよ。
もし、そこでうまくいかなくとも、必要ありての事であるから、
「ああ、何か自分にまだという風なサインが、気付けよとかいう風に、意味があるのだな」
と、何か自分にまだ足らぬから、その 足らざりしところを補う、うーん。
その様に、常にプラスとして、プラスは足す、常に、足す足す足すという風に持っていく事だ。
足らざりしところを見つける事。
自分に何が無いか、人に持ち合わせているものを見ては気付き、足らざりしところは、あったのであれば、これ、足していく事を、幾らでもそれは出来る訳である。
人に出来なくて、自分に出来ぬという事は、そうは無い事だ、うーん。
技術的な事は難しいが、才能的な事も難しいが、これ、出来うるという事も多くある訳だ、うん。
ス直になろうという事も、その一つだ。
「自分は我(が)が強い」
「この我を何とかしなければいけない」
と、いう風に思う事だ、うん。
我(が)あるうちは、ス直に受け入れる事がなかなか難しいから、まずもって自分というものを見つめる。
そこから、私は神、来たり。
日の神。

2017年2月28日 朝6時13分~6時39分 日の神様