日の神・主晴

『思いが、現実化して行く(19)年』

【日神理神示(ひかりしんじ)】 - 平成三一年一月一日
『思いが、現実化して行く(19)年』

明けましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願い致します。

普段、気付かぬという事。
まあ、気にすれば、気にかければ、気付くという事であるが、毎分、毎時間、毎日、そして毎年、否、一生、当たり前の様に、自然界は与えられているわけであるが、普段から日昇りては、世を照らし、一日が始まりて、日の光溢れるは、これ、生命エネルギーという事。
それは、目に見える世界から、又、目に見えぬ世界まで、実は相連動して、心も体も魂も、太陽エネルギーに満たされているという事。
「母なる大地」と呼ばれている、この地球(ちだま)において、昼は太陽、夜は月と、交互に照らされての相反するエネルギーは、同じ様でいて、反しているという風な事。
それが、この世の御仕組みとなる。
天地創造の神様は、感じてこその、これ、御存在となられているという事。
不動なる星の北極星、スバル。
当たり前に、不動でいるわけであり、否、不動の動となっておられるわけだ。
つまりは、何も無い、無の世界から、七次元界までの成りて生(な)らせるという、この七。
十字に組みての、これ、卍(まんじ)の型の様なる、この羽の様な、この型こそは、陽と陰、左回転、又は、右回転、どちらをも、例えば、海、母なる海(生み)。
鳴門の渦潮、成る戸、成らせる御仕組みというのが、無から有という原動力である。
この要の真中心なる、天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみさま)という名前霊。
天(あめ)、天(あま)、天(てん)、その真中心なる神だよという意味合いである。
古神道での神々の御名(みな)というもの、意味ありて付けられておる。
これ、同じ神の名前でありても、別な読み方、名前霊という風に、重複しているわけであるから、どの神が、どの呼ばれ方、又これ、「神仏の合一」という風に、分からない様なる状態であるわけである。
本来ならばこれ、もっと分かりやすくという風に、太陽の神は、まあ、簡単に申せば、日の神という事。
そして、呼び名、多く多くあるから、今だもって、分かりにくいという風になっている。
否、敢えて分かりにくい様にしているという事だ。
これは、全ての事に言えるわけだ。
それが、段々と分かってくる。
「成程な」と、なるわけだ。
「成程な」の、やっとここで、この成るという御仕組みが、ある程度分かってくる。
扉が開くという事は、そういう事。
真理の扉が、開いたわけだ。
だからこそ、奥に奥にという風に、今迄伝えていなかった事、敢えて隠していたわけであるから、それが、分かってくる時代。
昔よりも、今の方が、神の存在、霊の存在というものを分かってきたわけだ。
神と申しても、通ずる世の中。
それは、ス直な者ほど分かってくる。
又、体験を通して、知らされる。
実体験こそが、確信となるわけだ。
否、同じ、同じ不思議な事を与えられても、有り難しの「奇跡」と受け取る者と、有り得ないという「奇妙」に受け取る者の違いが、これから益々、この二通りとなってくるわけだ。
それでも、分からずやは、もう必要無しとなってくるわけだ。
三位一体なる御仕組みを、我(が)の壁によりて遮断するという、真実のこの智恵というものを、自分が、自らが、我と慢心にて、浅知恵で、知ったかぶりとなってくるわけである。
神の御意図(ごいと)。
経過も結果も、この糸偏だ。
何度も何度も、又、起こされる。
そして、その結果というのは、実にこれ、果実の果、如何に実るか、否かという風な事。
これが、因果応報の果となる。
結果は、何度も申すが、吉(よし)とされる、神が決めたる事。
旅に向かう、目的に向かっている、然しながらも、何か知らないカルマで生じたるのが、結果、行けなかった。
大雨で、又は大雪で、今帰省しているわけであるがこれ、飛行機や、宿など、予約しておっても、結果、望む通りにはならないという事も、多くある。
神は必ず、意図ありて起こすのが、これ、結果。
経過は、どちらに行こうかなという風に、向かっているわけである。
その結果、天地の差である。
うまく成就する事で、そうでない事、それは自分にとって、○、×という風に、「うまくいったな」、又は、「失敗したな」、「幸せだな」「不幸だな」、「嬉しいな」「悲しいな」、という風な事は、まさしく、このどちらか選ぶ事によりての、結果である。
天命は、天から与えられたる命の天命。
この命というもの、戦う、今迄は、戦々(いくさいくさ)のこの戦いという事。
繰り返すのが、国を統一する為の、まあ与えられている事であったが、それが何度も繰り返し、又、同じようなる勝ち負けの中でも、今だもって悔しい、仕返しするという妬み恨み嫉みの思いであったならばこれ、真残念ながら、輪廻転生許されず、という風なる修行の御霊たち。
その憑依が、地縛という風なる、一見、目に見えねども、それぞれ霊障というものを与えられているという事。
どれだけの者たちが、これ、病貧争災が霊障だということを、知り得ているかという事だ。
簡単に、他力本願にて、払い除けれると思い込んでいる。
霊の一人一人の気持ちの状態が、今の自分たちに関わっているわけだ。
例えば、この現代において、いつ何時、これカルマの清算という事は、何年何月何日、何時何分に何が起こるという事の時間と、どの場所でという空間。
この時空間なる、これも又、十字の仕組みだ。
常にこれ、今が、ラルロ(乱留呂)のラ。
(今という字に、ラが入っている)
神は、一人一人の命、この叩くという文字が入りての命。
蒲団も叩いて叩いて、埃が出る。
魂も、その様なる、鍛えたりという修行。
そこで、悟る者と、そうでない者。
ス直で謙虚なる者、感謝の者。
我と慢心で、不平不満の者。
この差というもの、その折、その折で、後にずーっと繋がっていく。
時空間というのは、一瞬たりともこれ、切れた事はないわけだ。
自分一人ならば、もし霊障というものが無いならば、どうなるだろうとなる。
自分自身が、我(われ)が悟るという、この小さい吾での悟り。
(悟りという字は、小と吾が入っている)
いつまでも、神との差を取る事なく、それがなかなかもって、カルマの清算、許されるか否かという事の、大きな差。
戦(いくさ)、戦いというのは、自分を真中心に、心の敵か味方か。
心の味方であっても、東軍と西軍という風に分かれてしまったという運命、さだめだ。
そうなってくると、やはりこれ、戦わずには、その仕組みに従わねば、反逆という風になるわけだ。
然しながらも、出来うる限り、やはり、そういう者たちには、出くわしたくないという思い。
なるべくなるべく、遠くにという風なる、これも又、実に、自分自身の思いから発するわけだ。
この今の人間関係も、今日の味方であっても、明日(あす)の敵という風に、又、その逆もありてこれ、仲良かった者も、理不尽な事で裏切られては、一瞬にして敵という事に、つまり味方が敵になりて、心程遠く、その御縁、残念という風になる事もあり、又その逆もあるわけだ。
又、ずーっと味方という風なる御縁もあるわけである。
今の与えられたる人間関係こそが、何度も繰り返す、これ御縁の流れというものだ。
然しながらも、今迄は今迄、新たなる年を迎えての、2019年は、そのままの自分の想念界が、霊層界に「行く」(19・いく)という仕組みなんだ。
だからこそ、今年一年が、勝負となる。
想念の上げ下げは、真もって、自らの由(よし・良し)という風に、自由なり。
その由(よし)が、果たして、吉(きち)の吉(よし)なのか、どうかっていうのは、自分次第だ。
又、この良しでもあり、又この善し(よし)なわけだ。
神にとっての、善悪の立て分け、それが結果となる。
一見、不幸な現象だと思っても、その後、幸福になる為の修行だったのだ。
昔の言葉で、終わり良ければ、はい。
タケル「全て良し」
これは、終わりというのは、結果という事。
全て、神は、吉(よし・良し)という事を示しておる言葉である。
経過は、何度も申すが、どの様に今迄過ごしていたかで、結果、果実の実るか、否かという事が違ってくるわけだ。
だから、この字を、過(か)、果(か)という同じ音霊にしている。
これは、飽く迄も、言霊というのは、音霊の同じ音で使いてのダジャレで、人を笑わせたり、又は、感動させたり、又は、またダジャレかという風に、せせら笑う者とか、色々あるがこれ、意味ありての事だ。
経過は人、結果が神、最期の審判にて、実るか否かという事で、上か下かになるわけである。
又、何度も繰り返す。
懲りないのが、殆どの者たちだ。
もし今迄通りに、他人(ひと)に理不尽な事、気に入らぬ言動、それで良し悪(あ)しを決めるのは、何も成長が無いという事だ。
人のせい、世のせいにする者、人に批難を浴びせ、反省せぬ者。
その様に、神はいつも、点数を付けている事を気付かずして、そうしては不平不満。
何でこんな目に会わなければいけないのかとなるわけだ。
点数(天数)は、天が付けている。
だから、チョン(主神・丸チョンの神)なわけだ。
神から見て、百点満点と、人間から見てのこの点数というのは、同じ場合もあるが、違い多しとなる。
「あの人は恵まれて、地位名誉財産与えられ、いいなー」という見方の者は、その者、人には言えない悩みがあっても、気付かないから、そう言えるわけだ。
又、逆の場合もあるわけだ。
地位名誉財産、どう見てもこれ、乏しいという者、然れども、心が豊かで、いつも幸せを感じている者という風に、自分自身にならなければ分からない事、多しとなる。
又、他人(ひと)の事を、感謝、又はその逆の不平不満と、同じ事を起こりても、この二通り。
この極端差が、2019年、この元旦から顕著化する。
Aさんという人物、とっても人気者。
明るくて、行動的で、そういう人だとする。
又、Bは、その真逆で、暗くて、目立たないとする。
どうしても、これ、明るい行動力のある者は、目立つわけだ。
陰徳が、誰も見ていない時に、本心が出る。
Bは、一生懸命コツコツと、この陰徳を積む。
誰が見ていようと、見ておらずとも、そういう時にこそ、神は見てあり、聞いてありなわけだ。
ハハハ、何故なら、本心が出るわけだ。
他人が見ている時に、悪者は、悪い事をしたら、すぐにバレ、捕まってしまったり、批難されてしまったり、という風になるから、見えない所で、心の中も見せない様に悪さをする。
然しながらも、バレバレのバレ。
逆は、ハレバレ。
やっと正直者がバカを見ない時代だ。
「天々、天真理」(てんてん、てんまり)の教えが、ドンドン奥義を伝えていくわけだ。
神の教え、長いだろうが、ハハハ、短いだろうが、難しいだろうが、分かりやすいだろうが、その者にとっての勿論、感じ方。
興味のある者、もっと、知り得たいと思う者、実践実行したいと望んでおる者は、どんなに長くとも、有り難しとなる。
この極端差。
両極の差が大きくなるのが、極端となる。
「屏風ヶ浦」、屏風というのは、やはりこれ、衝立の役目をし、岩の衝立でありてこれ、沈んだ所と、そのまま浮いて在る所との、両極端。
心も同じ事であり、沈む者、浮く者と、極端になってくるわけだ。
見ていたら、真面白いリアル映画となる。
色んな人物が、色んな感情で、分かりやすくなる。
その折、その折に、自分自身の学びとして、成長していく事だ。
タケル「はい」
この人の、こういう所は、参考にして、この人の、こういう所は、目を瞑ろう。
この人の、こういう所は、良しと受け留め、もっともっと高めていこうという風に、他人(ひと)を鏡と申しては、常に映し鏡。
神が、他人(ひと)を使って、物事を使って、心の中を映し出しているわけだ。
まさしく心の鏡、そのものである。
二通り、どちらか二通り、見せられる。
今日は、何日?
タケル「一日です」
今迄は、神開くの2018年だった。
(10は、十で、カミ。8は末広がりで、開く)
開くで、この日来く(ひらく)だ。
又は、これ、日楽(ひらく)だ。
日の神、来たりての、実は神開くである。
太陽信仰、まさしく、神の教えは、日の神、私が色んな時代に伝えて、もってそれ、人々に伝える為に、陰陽師の様なる能力の者に伝えさせて、御縁の者たち、知り得た者、知り得ても、これ信ずる者と、そうでない者という風に二極化、二通り、それが極端化する。
心そのままに行くわけであるから、思いの持ち方が、実に肝心となる。
なるべくプラスの善の想念と心がける。
ああ、又、マイナスの言葉、負の波動を起こしてしまったと気付いたならば、すぐに反省。
そして、上へ上へと、神に近付く。
ハハハ、この年(2019年)こそが、夢実現化する。
否、させるという方向に持って行く。
例え、結果がどうであれ、向かう事が肝心だ。
一生懸命、努力する事が肝心だ。
「御霊(みたま)の教え」というもの、光霊も、音霊も、言霊も、数霊も、色霊も、又は、主晴から与えられたる名前霊、地名霊、地形霊、香り霊、結び霊、等々の万物万霊の御霊(みたま)というものがあるという事を、そして全てに、陽と陰、この二つ、二通りがあるという事を示していく。
ドンドンと、教えを降ろしたるがこれ、必要なる者に伝えいく。
日月、日の神と、月の神。
本当のこれ、夜明けという事になり、そして、朝を迎えるとなる。
(朝という字に、日の十(カミ)、月の十(カミ)という字が、入っている)
闇の世界は、光の世界へ、「和の文明」は、まさしくその世界であるから、幕開けとなりての、「明けまして、お目出とう」だ。
うーん、数字がもう、次の日になった。
いよいよもって、2019年の幕開け、長文となりては、奥へ奥への奥義が、ますますもって、本格化する。
タケル「はい」
就いていける者と、そうでない者とにも、又、二通りである。
それで、オーケーだ。
どちらかに行くわけだ、ハハハ、うーん。
「かきくけこ」(書きくけこ)だ。
「さしすせそ」(指しすせそ)だ。
「あいうえお」の、この言霊の意味も、伝えていく。
タケル「はい」
アからワの時代への、移行となる。
もう、向かっている。
次の日に繋がりての教え。
私は、日の神(天照日大神様)。

2019年1月1日 夜11時11分~1月2日 夜12時05分

《引き続き、主晴(スバル)様からのメッセージ》
明けましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願い致します。
おめでたいわ。
本当に、元旦の朝日というもの、拝める事の有り難さ。
この光エネルギーは、実に大事だったんだ。
2019年、新たなる年を迎えたけれども、本当に改めるという風な年になります。
改めて分かる事、そういう事なんですね、うーん。
心改めるという事、大事なんだわ。
新たなる年を迎えての、改めるという事。
常に新しいという事。
段々、年を重ねる事によって、古くなってくるという事は、よく物はね、使うごとに古くなってきたりしますが、心というのは、新しい古いじゃない。
振るわせてこそ、心改めては、新たになってくるわけなんです。
振るい、振るわれ、人類界は、ザルの目で、その目が段々、大きくなる。
ドンドンと、残される者と、落とされる者とに、極端化されるわけです。
身近なる方を、お救いさせて頂こうという思いが、本当に大事。
それには、少しでも自分が、想念界を高めるに当たって、常に常に、「改心」、「改魂」という事が、大事になってきます。
改心してこそ、改魂がなんだ。
「私の運命は、何でこんな目に会うか」という不満の前に改めなさいという事で、この、新た、改(あらた)、同じ音霊にされている。
これが許されるのは、この改魂。
これこそが、霊層界、昇華(しょうげ)となるわけです。
霊層界というのは、実にこれ、想念界の高さイコール(行こう留)で、移行する。
一寸先を、改める。
常に、常に、改める。
ああ、これが自分の癖か。
気付いたら、改める。
他人(ひと)を見て改めるという事を、繰り返していく。
中々もってこれ、癖というもの、取れないという壁は取り外す。
絶対に改心させて頂く。
人類救済の為に、霊層界を上げて頂く。
箱舟の広さ、大きさは、心の広さ、狭さで決まる。
皆に好かれる人と、多くの人たちに嫌われる人。
嫌われる人に対して、自分も同じイコールであるならば、嫌われる人は、誰が救うかとなる。
我と慢心、横柄なる者も、神の子である。
聞く耳持つ様にするには、とにかく自分自身が、下座の行。
そして、横柄なる者に対して、謙虚なる想念が大事と、何かしら気付きをお与えさせて頂く。
ずばり言うと、角が立つ。
そこは、臨機応変にて、思いだけでも通じていく世界。
2019年は、遠隔でもっともっと、具現化、現象化、実現化しやすい時代。
祈らせて頂くという事。
祈らせて頂くという事が、大事だ。
意を乗らせるの、意乗り(いのり・祈り)の世界だ。
まあ、これ如何に徹底した下座になれるかという事だ。
さあさあ、改める。
今日は、長かったね。
日の神様の教え、ドンドンとこれ、奥深くなる。
私は、釈迦のS(主晴様)。


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