日の神・主晴

『大峠とは、大変動、大開拓、大改善』

【日神理神示(ひかりしんじ)】 - 平成三一年一月三日
『大峠とは、大変動、大開拓、大改善』

これ、何と読むかな?はい。
タケル「慌てる」
乞食は、はい?
タケル「貰いが少ない」 
この「慌てる」という字は、小さいと書いては、この荒々しいの「荒」、然しながらもこれ、よーく見ると、六芒星の「芒」が入っているわけだ。
六芒星というのは、言うまでもなく、宇宙根本原理を織りなす、陽と陰をという風なる、「二十字の理」。
常に常に、この御仕組み(みしくみ)というものが、相合わさりて、相反するエネルギーという風に、この世は成り立っているわけだ。
荒れるという事。
波荒立たせては、こと大きい色んな出来事、大事(おおごと)ということだ。
些細なる日常茶飯事という風に対して、波が起こらずという、平穏なる毎日というものは、当たり前ではないわけだ。
特にこれ、今は、想念界の建て替えの為に、「大変動」、「大開拓」、「大改善」という風なる事が起こってくるわけだ、ハハハ。
荒波、さざ波などの波というものは、この上下の波という風なる事。
どっちつかずの、西軍に味方した方が良いのか、東軍に味方した方が良いのかという風なる、例えばこれ、関ケ原の戦いにいた武将たちは、そのようなる心の波というもの、それによりて城主の言うままに、家来たちは命をかけるとなるわけだ。
自分が右に行きたいと思っても、主(あるじ)は、左に行けと申すならばこれ、「主と従」という関係にて、従わねばという風になるわけだ。
これも又、「二十字の理」となる。
これは、何も城主と家来だけではない。
神が主であれば、従は、はい?
タケル「人間」
そうだー。
神が、森羅万象、全て全て与えてはこれ、繁茂繁栄という風なる宇宙の御働き(みはたらき)、それに人は従うしかないわけだ。
大雪が降った、電車が止まった、車が渋滞した、目的地に行けるかどうかというのは、神一厘のこれ、救いか否かとなるわけだ。
そこで、これ、波に乗るしか方法はないというのが、人生である。
要領のいい者でさえも、こればかりは従わねばならぬ。
否、否、自分の命、いつなんどき、あの世に帰るやいう事も、自分次第ではないわけである。
この人類界にとっての、主(ぬし)であられる天地創造の神様、総べては神界霊界現界の頂点におわすわけである。
まず、この神を真中心にお祀りさせて頂いては、これ、元旦、初詣で、ま、御縁の神社にという風なる事であっても、天地創造の神様は、祈れば必ずや通ずるとなる。
目玉おやじ、丸チョンの神、主(ス)の大神、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、色んな色んな呼び方が、時代によって、又は人によって、違うだけであり、この宇宙をお創りになられたる親神様だ.
わたくしどもの神々も皆、生みの親は、親神様。
神でさえもそうだ。
だからこそ、まずもって、元旦だけではなくて、又は、神社に参りた時だけではなくて、普段、日常にて、朝目が覚めたら神様にお参り。
夜寝る前に、神様にお参りという風に、いつでもどこでも、神様は上に上に、天に、天上界にいらっしゃるわけだ。
だからこそ、個々の住まう家の、(上を指されて)何?
タケル「天井」
そうだー。
「天井」(てんじょう・天上)とよばせては、繋がっているという、この音霊だ。
であるから、いつでもどこでも、神参り、神に祈るという事。
いつもいつも御覧になられていらっしゃる。
もって、主神様(すしんさま)と、日の神、月の神、この三大神は、総べてのこれ、一人一人の、誰一人として、「私は、違う神よ」と、ハハハ、勝手なる思いは自由なれど、上におわすわけだ。
担当神が又、個々によりて、これ、それが、はい?
タケル「四十八(よとや)の神様」
そうだー。
四十八(よとや)というのは、「あいうえお」という四十八の神だ。
タケル「はい」
個性それぞれ皆、与えられては、これ、それぞれの個性、個々の性格。
四十八(よとや)からの、これ、分け御魂 (みたま)だ。
誰でも、良き所、又はそうでない所を持ち合わせておるわけだ。
それは、自分は一生いい人だと思い込んでいるやもしれぬが、これ、自分自身はそう思いても、こと相手によっては、そうとは言えぬという風なる事、多し。
どこまでも、これ、その様に皆、性格も違えば、御縁の繋がりも皆違うわけだ。
例え、「あの人と仲良くなりたいなー」と思うても、例えば前世、敵だとしたならば、これ、思い通りにはなりにくいとなるわけだ。
過去からの繋がりは、今の状態で、ほぼ分かる。
たとえ西軍の者であっても、自分にとっていい人と、そうでない人と思える者がいる。
又、それが、いい人、そうでない人という風なる事よりも、気が合うか合わぬか、趣味が同じかどうか、波長が合うか合わないか、という風なる事。
又は、利用は出来るか出来ないか、騙しやすいか騙しにくいか、金があるようだな、そうでもないな。
タケル「(噴き出す)」
ハハハ、と言う風なる事で、近付く者もおるわけだ。
人、色々。
だが、然し、今年からは、誤魔化しが効きにくくとなる。
今迄とは、大違いなわけだ。
大ひっくり返しが、ドンドン起こってくるわけであるから、人間関係も建前だけでは繋がりにくいとなるわけである。
噂、人の噂というのは、自分の事を、例えば噂されたならば、それはそれは思いの他、早く回るとなるから、人というのは何故か、いい話は広まりにくい。
ハハハ、そうでない話が広まりやすい。
今迄の時代で、よーく考えてみても、それはそれは、上へ上へと誰もが登りたい、山の頂上に登ってみたいという風なる事。
まあ、「そこそこでも、いいや」という者も、中にはおるであろうが、これ、特に戦国武将は、お山の大将だ。
自分の城、自分の国が、否、否、その山だけでは足りぬとなったら、これ、人の山にも登り詰めたいという欲が出てくるわけだ。
国盗り合戦(くにとりがっせん)、それは、多くの国が、一つの国へと統治する為に、治める為に、天下取らせるとなる。
此度の、まあ戦争は、あちこちで起こっておるが、これ、今の日本においては、平穏であるから、まあ、これからが色々起こりても、何度も申すが、幸せ、不幸せというのは、自分自身の感じ方一つだ。
日頃から、感謝というもの。
「ああ、朝目覚めて、布団の上で朝を迎えるというのは、ありがたいなー」
「屋根の付いた家の中で過ごせるのは、ありがたいなー」
屋根が無ければ、雨や雪、暖を取りたければ、ストーブやエアコン、コタツ、いずれにせよ、全ては、神必要ありて与えておる。
人は、全て与えられているわけだ。
出会う一人一人の御縁というものも、何度も申すが、自分が縁繋ぎしているのは一つもない。
「ああ、憧れのスター、会いたいなー」、「仲良くなりたいなー」、「一緒に酒を飲みたいなー」と思うても、御縁がなければ難しいわけだ、ハハハ。
まあ、スターでないにしろだ。
どこまでも御縁、神から与えられし、その御縁、一人一人との出会いを大事にすることだ。
明るい明るい、昨日は、これ、灯台の話をしたが、心の輝きというものは、感謝、ス直、心の下座、そういう想念が、神の御心(みこころ)に一番沿うた想念界だ。
ただ明るくしていればいいという事ではない。
はしゃいで、楽しんで、面白がって、それがいいか、どうかっていうのは、例えば、自分達が宴会をしていたとする。
ドンチャン騒ぎになって、「愉快だな、ワッハハハー」と楽しんでいる。
ところが、周り、近所の者は、うるさい、迷惑だとなったとしたならば、それは、「心の灯台」ではないわけだ。
「心の灯台」というのは、飽く迄も、先程の三拍子、はい?
タケル「感謝、ス直、心の下座」
そうだ、うん。
そういうものが、小さな小舟に乗った者、中くらいの船の者、又は、イカダに乗ってくる者、素泳ぎの者、自分の事を、普段は、そう連絡し合ってなくても、いざという時に、
「ああ、あの人ならば、話、聞いてもらいたいな」
「相談してみたいな」
「いい答えを、きっとお持ちだな」
「否、否、ただ聞いて下さるだけで、ありがたいな」
と思える様な、自分になりなさいという風なる事。
それが、救いの箱舟の主だ。
いくら、私は大きな船を作った。
多くの人たちに出会って、私はいい人だと思ってくれているに違いない。
人それぞれ、それぞれである。
多くの人と知り合えたからといって、沢山友達がいたからといって、いざという時に、という事。
ただただバカ騒ぎして、面白いという風なる人よりも、あの人、普段面白いけれども、深い話も分かってくれる人なんだという風なる事だ。
「心の迷子」、そのようなる者、ドンドン増えてくる。
右往左往とする者。
「どうしよう」、「どうしたらいいのだろう」、「どういう手段があるのだろう」、「どうしたら乗り越えられるのだろう」、「どうしたら救われるのだろう」、「どうしたら楽になるのだろう」と、いう風なる事だ。
何故かしら、この迷子という字は、迷うという字は、「米」、光が込められている。
だから、「心の灯台」。
迷子というと、小さな子供を想像するが、「心の迷子」は、子供だけの事ではない。
否、子供も、まあ迷うは迷うが、大概は子供は、親や学校の先生が導くという風なる事。
心を育てていくという事。
大人の「心の迷子」は、誰が先生か、又、誰が相談役か、又は、誰が救ってくれるのか、という風なる事。
まあ、今は色んな時代で、カウンセラーとか、ハハハ、○○術とか、○○学とか、○○教だとか、○○学会とか、○○講座だとか、ハハハ、あれども、これも又、実に必要あっての御縁で繋がっている。
それが正しいか、否かという風なる以前に、どこまでも御縁だ。
道というのは、選んでいるようで、選ばされているとなる。
必然とは、そういう事。
まあ、常に常に、善(ぜん・前)へ、善(ぜん・前)へと、善進(ぜんしん・前進)せよという事だ。
善悪の善の、この「善」だ。
まあ、これも、それが本当に神から見た善か、どうかは、イコールではないが、これ、今の自分にとっての、精いっぱいの善で、前進せよ。
これが自分にとって、良き事だ、良い方法だ、良い手段だ、良い道だ。
方向性を、常に善へと前進だ。
それは、勿論、変動するものである。
否、変動するというのは、必要ありての事。
不動も、又、必要な事もある。
徹底した善人に不動なりて、想念界は変動なれよとなる。
昇華(しょうげ)というものは、日昇りての昇(しょう)であり、「げ」という字は、この華(はな)、華やかなる人生だ。
彩り豊かという事だ。
まあ、白黒映画も、なかなかもって風情のある、そういう情景であるが、人はこの彩り豊かなる、素晴らしいカラーのカメラアイで、世界を見せてもらっているわけだ。
太陽の光は、勿論、子どもの頃に描いた、赤いクレヨンでという風なる、真っ赤っ赤(まっかっか)がイメージであるが、これ、それはそれは、全ての色が備わっているわけだ。
色も、まあ、これも大まかだが、イロハの 108。
色霊、そして形霊、そして光霊、肉眼で見る世界と、映像で見る世界と、写真で見る世界と、それぞれ違うわけだ。
アカシック(証しっく)レコードの動画は 、360度で撮影されているから、これ、それは、外見的だけではなくて、想念界も360度で映されているわけだ。
奥底の奥底の仕舞こんでいる、なかなか表面化させない、恥ずかしいと思える気持ち、又は、「思い出」というようなる事。
「これを言ったら恥ずかしいな」、又は、「誰かを傷付けてしまうな」、又は、「嫌われるだろうな」。
それはそれで、心に、心の引き出しに仕舞っておいた方が無難という事もあるわけだ。
ところが、アカシック(証しっく)では、全て全てこれ、映し出されているわけである。
あの世に逝ってから、恥ずかしい思いという事。
出来得(う)る限り、これからは、せぬようにとなる。
今迄は仕方なし。
これからが肝心だ。
一番、自分にとって恥ずかしいと思える事。
神から見て、これはと思う事は、同じようで、同じではない。
人が溺れかけているのを見て、見て見ぬ振りをしているというようなる事。
それも仕方のなき事であるならば、又、別ではあるが、余裕があるのに、「ああ、あの時、あの人悩んでいたようで、自分に何か求めていたなあ」
でも、こちら側が、なかなか時間が取れなくて、会えなかったとする。
そして、その人、もう二度と出会えぬという風なる事があったとしたならば、これ、これこそが、本当に恥ずかしいのではないかという風なる事だ。
恥ずかしいというより、人として、どうかなとなる。
もし本当に、「救いの箱舟」とならせて頂きたいのであれば、常に常に、アンテナというもの、これは親切のアンテナだ。
「親切」という字は、親を切ると書く。
ま、自分たちにとって、親は両親だが、人類界にとっての親は神だ。
心を接する、常にこちらの心接(しんせつ・親切) 。
「ああ、あの人なら、酒を飲めば、きっと話しやすくなるだろう。聞いてさしあげよう」というなる事。h
「ああ、この人なら、こういう事が興味あるから、そこで話をして、仲良くなろう」、等々、色んな、それはそれは、手段はあるわけだ。
これからが、肝心な時期だ。
神の教えというものは、一切これ押し付ける、暗記するものではない。
「神の学校」は、年齢関係ない。
門限、全くなしだ。
入学金、0(ゼロ)だ。
否、本を買う場合は、本代がかかるがな、ハハハハハ。
タケル「(笑う)」
普段のお伝えしている、まあ、今の時代のプログや、フェイスブック等は、無料で公開しているわけだ、ハハハ。
とにかく、心を接する、この心接(しんせつ・親切)。
今回は、2019年、年初めの 1月13日のつぶやき天使セミナー。
日の神の教え、伝えては、その後の楽しい宴会。
この心を接するという事だ。
御縁の縁で会うと書いての、「縁会」だ。
いつの時代も、同じ面々が仲良く、お茶や酒を飲みながら、楽しく愉快に語り合う。
ええじゃないか、ハハハ。
あれー?となる、ハハハハハ。
今年は、日の神様、実にこれ、日をまたいで、お話しされるなー。
ワードも長くなるなー、となるわけだなー、タケル。
手段、何事もこれ、こなしていくという手段を、まず考えるわけだ。
得意不得意があるから、得意なるものを、得意な方法で、場合によっては、得意なる方に頼んでは、これ、進めていくということが大事だ。
(亜鈴は、ワードを、片手でやっと打って、大の苦手という事を、神様はお話されています。去年は殆ど、ワード化できずにいます)
日神理(ひかり)神示、まー、今迄も毎日の様に降したるが、これ、出来得る限り、一人でも多くの方に、お伝えしていく。
それが大事ということだ。
タケル「はい」
今年からは、こなしていく。
今日は、何日?
タケル「三日です」
なってしまったなあとなるわけだ。
おー、まあ、この2019年という年は、日一日を、大事に大事に、過ごさせて頂こう。
それが大事だ。
タケル「はい」
たまには、心をゆるめて、体を休めて、楽しい事、自分がしたい事、夢に向かっていく事、つまりは、生き甲斐というもの、それも大事なりよ。
ハハハ、なあ、うーん。
私は、日の神。

2019年1月3日 夜11時11分~1月4日 夜12時08分

《引き続き、主晴様からのメッセージ》
うん、信長だった時に、この心の接するの、心接(しんせつ。親切)。
一人一人の民に、心を接したいという事を、常に常に、それが大事だという事を、側近の者たちによく話していたんだ。
自分たちばかりが、うまい飯を食べて、ふんぞり返っていては、国は、町は、村は、民の者たちは、心の平和なる時が、いつ来るかと、戦(いくさ)戦、戦、また戦、そうしては民の者たちも、いつなんどき、これ、わが命、不安なる日々を過ごすのかとなるんだねー。
だって、そうでしょう。
城主の、だった一人の考え方で、大きく変わるちゃうんだよ、ねー。
だから、この心を接するということ、大事に大事にしていきましょうね、うん。
ほんとですよ。
タケル「はい」
私は、釈迦のS。

~12時10分


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