日の神・主晴

『人生の金メダル、獲得せよ』

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年一月九日

「致し方ない」という事がある。
それは、仕方ないという事は、本来ならば、思う通りに、考え通りにという風なる事。
それを行動に移すわけであるが、これ、何かこと起こりては、致し方ないという風なる事、仕方というのは、どの様にしてこれ、自分と相手の、この二人、十字に組みての両方の御魂、平穏、平和に、平らかなる、なるべくなら、これ、大波を小波にという風に、大難を小難、小難を無難へという事。
こと荒立てる事なく、穏便にという事だ。
どちらもが、「言い分」というのがある。
片方の言い分だけでは、これ、お互いさまの事であるから、両方のまずもって、言い分というもの、それが必要なるが、会話だ、話し合いだ、となるわけだ。
よく、これ誤解を生むのは、AとB、何かこと起こりては、Aの言い分のみを聞くと、これ、Bが悪者。
又、その逆となるわけであるから、AもBもそれぞれが、何かしらのこれ、思いがあって、その結果が、こと起りたとなるわけだ。
それは、やはり過去世での繰り返しなる、重―いカルマという荷物が、ドドンと降りたわけだ。
そして、それは、お互いの背中のリュックに乗せては、山なら、その山岳地帯を昇り昇りてという風なる事。
人生は旅と申すが、まさしく荷物を背負って生まれてくるわけなりよ。
そうして、それは、その折りその折りにドドンと降されるから、背中がまた重くなりて、歩きにくく、昇りにくく、渡りにくくとなってくるからこそ、神は人に気付きを与え、今迄は、やはりこれ、この三位一体なる御仕組みというもの、伝えてない、伝えられていない時代、又は個々に与えられていない場合は、そういう風に、いわゆる宇宙の法則の考え方、思考の持ち方から、どうしても、人のせい、世のせいにしたりする。
然れどもこれ、そういう御仕組みが分かりたならば、やはりその重い荷物は、自分次第でいくらでも軽く、そして相手の荷物をも、軽くでき得るんだという事だ。
荷物の中は何?
「何が入っているんだろう?」と草冠に何と書いた、ハハハ。
(荷という字に何が入っている)
まさしくこれは、カルマという事だ。
然もこれ、「何」という字も、人偏に可能の「可」という風なる事。
その荷物は、まさしく可能という事は、起こるべくしての必然で、背負わされているわけだ。
何も神が好きで、背負わせているのではない。
旅も、やはりこれ、背中のリユック。
軽ければ軽いほど、歩きやすい、登りやすいとなる。
ましてや、今は楽な、キャリーバッグという物もある。
地面にズルズルズルズルと、これ、その方が重―い荷物、楽に移動でき得るわけだ。
そして、これ、今の時代、旅の途中、もし、お土産等で重くなったならば、宅急便という手もあるわけだ、ハハハ。
カルマの宅急便だ、うーん。
然し、不可能ではなーい。
いくらでも身軽にする事、それが神の教え、宇宙の法則に沿ったならば、学んだならば、そして実行できたならば、あり得るわけだ。
リュックを、キャリーバッグにしようではないかと申す。
ハハハ、分かりやすい。
タケルは、今、うんうん、うんうんと頷いておるが、これ、荷物は大事(だいじ)なる、本当に必要なる荷物だけで、実は生きて行ける。
然れどもこれ、ま、カルマの荷物は、こちらに置いといて、旅行に行く時には、必要と思えるものも、何かことあった時に、便利なものなどを、背負うわけだ。
そうして、まー、旅であれば、行きたい時に、行きたい所へと行くわけだ。
又、色んな用事、そういった事で、遊び、レジャーなどで行く時と、仕事で行く時と、他の用事などで行く時、色んな所に行くという場所的なる移動と、心の旅というものもあるわけだ。
心の旅というのは、これ自由なり。
いくらでも頭の中で、空想で旅できるわけだ。
それは、例えば、目の前に、又は、遠くにいても、ある人を思い描いては、これ、あの人の重―い荷物、又は重そうな荷物、何か最近元気がなさそうだから、その中身は分からなくても、たまには、お茶を飲んだり、酒を酌み交わせたり、又は、カラオケなどへ行ったり、又は、その人の好きそうな事で、今度会おうよ、という風に話を持ち掛けたとする。
そして、その重―い荷物の事を、自分に相談したとする。
話すだけで、その者、軽くなる事もあるんだ。
それは、解決する、しないという以前に、まずもって、人の心の痛み、辛さ、迷う事などを、それを、でき得る限り、少しでも元気になってほしい、心少しでも軽くなってほしい、という風なる思いが、利他愛である。
解決する、しないというのは、「心の医者」ではないから、まあ、ある時は、否々、心の医者になるかもしれぬが、最近の医者というと、直すというより、ひどくなるという事が多いから、ハハハハハ。
タケル「(笑いを無理に抑える)」
「心の医者」というのは、その医学の「医」ではなくて、ハハハ、こちらの「偉者」(いしゃ)だ。
どの様な者が、偉いと言うのであろうか。
身分で、皆その様なる事。
「あの方は、お偉い方だから」
どこが、偉いんだとなる。
神から見れば、これ、殆どが、そういう、まあ多いのは、偉そうにしている者ほど、心が狭き者、横柄なる者というのは、一番鼻持ちならないものだ。
役目があって、何々先生、だからどうしたとなる。
「心の偉者(いしゃ)」というのは、人の心というのは、その人その人で、性格も違うし、又、考えもその都度変わってくるし、色々あるわけだ。
少しでも、重―い心を、軽くさせていただいたら、いいなー。
それで良し。
否、それその一言、その一つの行動だけでも、またメールの一本でも、どれだけの救いになるかという事あるわけだ。
「そうか、この一言で、自分は救われた、ありがとう」
そういう風なる事。
それは、本当にお偉い事だ。
タケル「うーん(感心する)」
人は結構、結果で判断しやすい。
例えは、オリンピックであれば、やはり、銅、銀より、金メダルだ、ハハハ。
だから、その過程の努力というものを、称賛するというよりは、
「なーんだ、あの選手、あれだけ金メダルって騒がれていたのに、結局もらえなかったじゃないか」
結果で判断しているわけだ。
神は、そうではない。
一生懸命、頑張ったのであれば、結果はどうであれ、それで良しだ。
必要ありて、結果が起こるわけであるから、そんな事は大したことではない。
メダル取れなくても、オリンピック出るだけでも素晴らしい。
有意義なる夢に向かっての、これ、ありがたき舞台だ。
又は、オリンピックに出られない選手も、同じ様に、いつか目指そうという、そういう思い、夢溢れる、心振るわせる、そういう思い。
そういうもの持ち合わせるならば、それで良しだ。
途中経過の、頑張ろう、一生懸命練習して、目標を立ててという風に、何もオリンピックというのは、スポーツ選手だけの事だけを申しておるのではない。
例えての、そういう事だ。
「人生の金メダル」だ。
それを目指す事。
タケル「はい」
それは、決してこれ、競い合う事ではない。
自分にとっての、思い通りのオリンピックだ。
誰かに称賛されなくとも、夢、獲得したのであれば、金メダルだ、ハハハ、うん。
オリンピックというのは、聖火、ずーっとずーっと、その炎、永いこと繋ぎての、炎だ。
「心の炎」というのは、夢に向かっての聖火は、諦める事なく、燃やし続け、そして、夢の舞台目指して、頑張る、実現する、成功する、完成するんだ、という事なんだ。
今年一年、必ず「人生の金メダル」、獲得せよ。
タケル「はい」
私は、日の神。
続きは、主晴(スバル)。

日の神様    2019年1月9日 夜11時11分~


オリンピックっていったらね、五輪だわ。
それは、何を示しているの、はい?
タケル「五色人」
そうだー。
五色人、相集いてのね、まあ、オリンピックというと、スポーツ選手ね。
色んな国々の五色人の方々が競い合って、そうしてメダルを目指す、ね。
「人生の金メダル」というのは、本当に自分自身の築き上げるオリンピックです、ね。
競い合うなんて、何もないから、自分が一番と思ったら、金メダルなんだわ、うん。
黄金に輝いたる人生のね、オリンピック、頑張っていこう。
タケル「はい」
今日は何日?
タケル「9日です」
うーん、1月の9日、これは「行く」じゃないかとなる、ね、うーん。
そうだよね、行くんだ、んー。
まあ、スタートは、いつでもスタートだ。
だって自由なオリンピックなんだから、そうでしょう?ね。
今日からでもいいし、今迄の続きでもいいし、ね。
いつでもが、まずもって、その夢へのコール、もうスタートライン。
もうね、金メダルっていうのは、輝く、一番輝いているという事だから。
タケル「はい」
黄金のオーラが、神様のオーラですから、その様に近く、ね、輝いたる金のオーラ、いくらでも自分自身の想念、思いの仕方でなるんだよ。
タケル「はい」
素晴らしいね。
ミロクの36分、私は釈迦。

主晴(スバル)様   ~11時36分
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