日の神・主晴

『心のバネで、山頂へ』

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年一月十日

さてさてさて、うーん。
父さんの十になっちゃったなーという風なる、今日は十日だ。
ま、とうとう、という風なる事、起きてくるわけだ。
これは、ま、当然の当だ、ハハハとなる。
「当たり前」という事。
それは、起こるべくしての、当然の出来事、物事ということ。
いよいよもって、一番すばらしい時代になったという事だ。
次元上昇というのは、ついて行ける者と、そうでない者とに、ドンドン引き離されるという事。
もうやってられない、見てられない、かまっちゃいられない、という者もおる、ハハハ。
「てんやわんや」という、昔そういう漫才がいたわけであるが、「天やワンや」を、ハハハ 。
ワンというのは、ワンネスのONE、一つ。
天は、一つだ。
神の教えというのは、一つなわけだ。
まあ、枝葉という事で、昔で云えば。釈迦が仏教、イエスがキリスト教、という風に、まるで別な教えの様に思えるであろうが、これ、聖雄聖者、メシアたちが伝えてきた事は、同じなわけだ。
まあ、今も同じだ、ハハハ。
神界に、宗教は無し。
この世のみが、分かれているだけの事であって、これ、飽く迄も、ロイヤルストレートフラッシュという、まあポーカーの言い方ですれば、釈迦が直々その時代に伝えた事、イエスがその時代に直々伝えた事というのは、どの者も、天地創造の神を崇めたわけだ。
これは、何度も申しておる。
耳にタコだ、タコ焼きだ、ハハハ。
はい、釈迦は天地創造の神を?
タケル「梵天」
イエスは?
タケル「主よ」
そうだ。
又は、モーセは ?
タケル「在りて在るもの」
そうだー、合格となる、ハハハ。
どこから、御魂が来てるかという事。
それは何度も申すが、主神(スシン)様だ。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、この主(ぬし)という「主」(ス)という字だ。
天之御中主神というのは、真ん中、宇宙の真ん中だ。
誰もが自分自身を真中心に、こと思うし、考えるし、自分以外は皆、他の人だけれども、他人という言い方は、肉親には呼ばない。
やはりこれ、身内は身内だ。
然れども、心の近き者、遠き者は、別だという事という風なること。
自分にとって、一番大切な人というのは、一概にこれ、傍にいる者とは限らぬわけだ。
もし愛する人という者、この世にいるか、いないかで、やはり、心の彩りというものが違ってくるとなる。
否、一人が大好きという人は、彩りがあるわけであるが、これ、寂しい、誰か傍にいてほしいと思う者であれば、やはりそれは、心の安らぐ、温まる、和む、そして、愛(いと)おしいと思える者、大切にしたいと思える人、大事にしたいな、共に人生を歩みたいという風なる、その様なる者が、傍にいたならば、それは幸せという事だ。
まあ、自分にとっての宝物というのは、そういう、人であったり、又は物事であったり、又は物であったりと、それぞれ違うであろうが、又それが、いつなんどき、心も変るや分からぬわけでありて、これ、今の自分の気持ちに、真ス直なる事。
そして今、自分のステージが、どこにいるかという事。
勿論、想念界高き者は、思う通りの位置へと導かれ、又、逆は逆だ。
想念界の高いステージというのは、行きたい、導いてくれる、成就するという事だ。
それは、いくらでも、そういった思いの世界。
思うだけでは、いくらでも自由に、これ、天界の方へと、所謂、それがプラスプラスの心のスイッチだ。
常にプラスに置き換えるわけだ。
人はやはり、これまー、不幸不運という事、起こらば、心のスイッチもマイナス、底の方へと押される。
然しながらも、これ、そうとは限らぬのは、プラスとマイナスのスイッチというのは、常に二つ持ち合わせているわけだ。
あー、どうせ起きたのだから、プラスのスイッチ押そう、ポン、ハハハ。
そうすると、ポーンと軽くなって、明るーくなって、やる気が出て、これからだぞー、乗り越えるんだからという風になってくるわけだ、ハハハ。
どれだけのバネをつけるかだ。
心のバネだ。
どん底に落ちても、バネであれば、グーンと下に落ちて、ポーンと跳ねる。
下に落ちれば落ちる程、元気百倍となる。
何故なら、どん底の思い、落ちたとする。
その経験は、実にこれ、普通であれば、あまりしたくないなと思うであろうが、これ、なかなか体験でき得ないぐらいのどん底の体験、そうか、ならば、バネになろう。
するとこれ、バネという事は、心いくらでも跳ね返す事ができるとなるわけだ。
おやおや、他の者たちよりも、自分の方が、上に、とーべたとなるわけだ、ハハハ。
それが、心のバネという事、うーん。
それは、ここに落ちても、左回転で上へ上へと、いくらでも大きい大きい峠を、乗り越えれるんですという事。
例えて言えば、富士山。
コツコツ、コツコツ登っている者よりも、グーンと地上からバネに乗って、頂上だ、ハハハ。
富士山の例えで言うならば、ま、神様の教えが、富士山の山だとしよう。
杖をつきながら、一生懸命一生懸命、登る者は、それは、毎日の努力で学んでは、実践するという風に登っていくわけだ。
それは、それでよし。
人は、体験がモノをいう、実体験だ。
神様の教えを、何かの本で読んだり、プログで見たり、講演会で聞いたり、そういう風にコツコツコツコツと学んでは、実践、心の修養。
想念を上げていこうという風に、登っていくわけだ。
神の教え、一つなり。
二つとない「不二(ふじ・富士)の教え」なり。
そうしては、やはり人生、山あり、谷あり。
谷の崖っぷちの、もう今にも落っこちそうな、そういった体験が、又、体験というのは、実に神から与えられての、ありがたき実体験。
ありがたいと思うのは、いいこと、うまくいった事だ。
成功したり、称賛されたり、そういう風に、いい事であれば、ま、感謝もでき得るわけだ。
ところがどっこい、逆に、失敗したり、落ち込んでしまったり、会社が首になったり、その様に、こと不幸と思える時に、果たしてこれ、感謝ができるかとなる。
実は、不幸現象が起こりた時、はたから見たら、あら大変というようなる事。
その時こそ、如何にこれ、徹底した感謝ができるかな。
御魂でかしと、なるわけだ、ハハハ。
何でもプラスに置き換える。
学びだったな、となる。
そうすると、心のバネだから、一変に富士山頂だ!
それは、見晴らしがいい、よーく見えるという事。
そうなってくると、 霊心体、三位一体なるは、心のバネ次第で、それはそれは、上へ上へという、これ、エネルギーであるから、「あれれー?、本当に不幸な事あったの?」という風なる事。
それが、大奇跡と申すなり、ハハハ。
いつでも奇跡は、目の前、何度も言う。
はい、奇跡の奇は?
タケル「大いなる可能性」
(奇という字に、大と可が入っている)
そう、そういう事。
その大いなる可能性というのは、いつもいつもいつも、セットされているんだ。
大事(おおごと)起こることが、実にその時が大事(だいじ)、ね。
言霊、文字霊、音霊だー。ま、言霊だ。
昔話の絵のような、富士山であるが、(富士の絵を描かれる)これ、先程申した様に、一歩一歩と、この様に登る者もおれば、ここから先程の様に、心のバネだ。
山頂に登ると、見え方が違ってくる。
よーく分かってくる。
人の心根も、おおよそ分かってくるわけだ。
今の時代は、何かしらそれ、悩み一つでも二つでもあるわけである。
山頂から手を差し伸べるという風なる、自分になる事だ。
自分より上の人は、救わなくとも、救われているわけだ、ハハハ。
自分も今、富士山のどの辺にいるかは分からない。
山頂だと思い込んでいるだけかもしれないわけだ。
もっともっともっともっと、山は、もっと続くと思ったら、良しだ。
ここ迄というのは無いという事。
想念界は、迷妄の雲に、もっともっともっともっと、もっと知りたい。
神様の奥の教えを、もっと教えてほしい。
いくらでも教えますよ、となる、ハハハ。
まずは基本、基礎からという事で、何度も同じ様なる事、繰り返して申しているようで、実は、新たなる事も付け加えているという事だ。
それは、自分が気付き、自分から進み、自分から身に付けよう、心掛けよう、実践しようという風に、前向きなる姿勢が大事となる。
上向きなる心の姿勢も大事だ。
まだまだまだという風に、登る事だ。
タケル「はい」
想念界を高める事が、あちらの世界のステージを決めるわけだ。
いつなんどき、お迎えに来るかわからない。
タケル「(頷く)」
否、向うは、歓迎会だ。
そのようなる所へと、許される様に、とにかく 一日の中で、何か一つ、新たなる気付きというものを、まずもって見つけては、実践していく事。
面白いのは、神の学校というのは、どれだけの生徒が聞いているか、見ているか、分からないし、ハハハハハ。
こんな長い文書、見てられるか、という者もおる、ハハハハハ。
一生懸命、何度も繰り返し、読む者もおる。
またもっとも、知らない者、気付かない者もおるが、それは、神が与えるか、否かという事である。
これ、取り敢えずという風に、与えておる者は、必ず目にする、耳にする、又は、話をじかに聞くわけだ。
こちら側が決めている、選んでいるという事。
バトンを渡すわけであるが、受け取らない者もおるという事、ハハハ。
まあ、神の与えるバトンを持って走るが、利口となるがこれ、強制は全くゼロという事なりよ、ハハハ。
天界の点数を稼げとなる。。
タケル「(頷く)」
アカシックレコードの、毎日付けられたる「天数」だ。
合格か、又は不合格か。
毎日毎日毎日、テスト用紙、配っているわけだ。
試しの時ほど、ああ、神さまの今回のテスト、厳しいなーという事。
目に見えない世界にしておるが、幾重にも幾重にも幾重にも、その者にとっての、世界の中で他の次元、三次元にいながらも、他の次元に行く事がある。
まあ、これは勿論、神が必要ありて、与えている世界であるが、全てに意味ありて、何も与えなければ、五感を通してのみでないと、これ分からない、感じない、知り得ない、悟れない、体験しないとなるわけだ。
「不思議体験」と呼べるものは、こちらからすれば、まったく「まともな世界」。
三次元は限界があるから、現界であり、益々もって次元上昇であるから、もっともっと不思議体験が起こってくる。
「嘘でしょう、本当?」という様なる大奇跡だ、ハハハ。
神は、人を旅させる。
人それぞれに、体験させるわけだ。
その中で、共有する次空間。
それが人との出会いという事だ。
一期一会の者もおれば、腐れ縁といえる者もおる。
腐れ縁という者も、実にこれ熟していれば、熟せる縁だ。
リンゴもあまり熟し過ぎると、「腐れ縁」というか、まあそういう言い方は。親しきという風なる事だ。
お互いに心、もしぶつかれば、喧嘩もするし、そういった言い合いの中で、お互いの又、学びとして与えられるならば、その喧嘩も、ありがたしなわけだ。
心を裸にして、お互いにス直になって、嫌な所もさらけ出して、それでも仲良くできるという事は、実にこれ、熟したリンゴ同士だという事だ。
目の前の人が、又は、周りの者が、神様から与えられた、ありがたき、リアル映画のキャスト。
監督は?はい。
タケル「神様です」
よーい、スタートで、カチンコだ。
永い映画を見せてきた。
登場人物、毎度毎度、いつの時代もおんなじ。
冠をかぶっているか、ちょんまげ付けてるかだ、ハハハハハ。
でも、いつもだ。
同じ、三大神は元より、担当神も、担当の大天使も、毎回毎回、同じだ。
守護霊の交代というのは起こるが、それが「ソウルガード」として、目に見えないガードマンで守ってくれる。
高まれば高まるほど、高い霊層界のガードマンだ。
ガードマンは、見えないソウルガードは、お金を払えば、高い想念界の守護霊に代わってもらえるとなっておらないから、ハハハ。
まあこの時代、この現界においては、よっぽどのVIPの者であれば、高かーいお金で、ボディーガード。
お金を払わなくても、人類全員に、お一人ずつ、ソウルガード。
言うまでもなく、御先祖様のどなたか、お一人だ。
自分の霊層界、少しお高い所にいらっしゃる、どなたか、お一人だ。
だからこそ、自分が高まれば、守護霊の交代が起きて、もっともっと「先見の明」、所謂、見晴らしの良い、もっともっと山の低き所より、少しでも高い所の方が、見晴らしがよいとなるわけだ。
本当にこれ、大きく違う、うん。
又、オーラこそが守護してくれるクッションだ。
明るいオーラこそが、厚いオーラで守られる、うーん、ありがたし。
今日は、十日だ。
プラスの日だ、神の日だ、父さんの日だ。
何でも十時に組んでゆく。
自分の得意な事と、相手の得意と思える事、これ、その者が気付かなくとも、何かしらのサインで、ああ、こういう事が好きだったんだな、得意だったんだな、やりたい事だったんだな、という事。
それが分かれば、ドンドンと、その道、歩むという事。
まだまだ気付かない者も、おるなりよ。
タケル「はい」
「褒める」という事と、「おだてる」という事は違う。
その者その者の。心の原石、磨けば磨くほど輝いてくる。
そうしては、ああ、そういう事かと気付いてくるわけだ。
やはり、人に褒められると嬉しいものだ。
やる気も起きてくる、元気が出る。
という事は、相手にも同じ様に、そういう風に、「贈り物の言葉」を差し上げる事だ。
タケル「はい」
心で思っているだけでは、届かぬこと多し。
これ素晴らしいね、君が作ったの?あなたが書いたの?
いい事は言霊に出すようにする事。
又はメール、一つの文でも良しとなる、大事なり。
タケル「はい」
ゴーゴーでゆく事だ。
私は、ここに書いた、(日の神と書かれた字を指されて)ハハハハハ。

日の神様    2019年1月10日 夜11時11分~11時55分


「や―ると思えば」という風なる歌、あったっけな?
タケル「はい」
これは、昔の歌だ、ハハハ。
「どこまでやるさ-」。
やると思えば、どこまでもやるという事だ、ね。
やる前から諦めない。
よくね、目標に壁を作る人っているんだよね。
そんなこと無理に決まっているじゃないかってね。
自分で壁作ってるの、気付かないんだね。
そう言っちゃうと、そうなっちゃうんだわ。
見えない壁ね、無理だっていう壁なんだわ。
私はね、一度だってそんなこと思った事ないです。
ただ一つ言える事は、初めは天下を取ろうと思ったけれども、こんな事、ずっと続いていたら、せっかくの人生ね、国取り合戦で終わってしまうから、神ごとしたいとなったんだ。
まあ、これは、私の前世の話ですけどね。
だから、その思いが、神様、今世繋いでくれて、神ごとさせて頂いたんですよ。
(何十年も前に、主晴様が現界に生きておられた時に、ある教祖様でした)
まあ、私がこの世に、現界に居た時の話ですけど。
今は神霊界ですが、お陰様で、私の御縁の方が、周りに集まっていらっしゃるんです。
直接、ま、亜鈴さんの口を借りて、私が直々話す事。
話を聞いておられる方々は、やはり過去世においても同じです。
私の言葉、例えば「つぶやき天使」に載せて、それを見せて下さっている方。
やはりこれも、前世において、私の言葉を、どこかで聞いている方なんだわ。
まあ、人づてであってもね、そういう事になってんの。
何処までも、縁というのは、人なんだ。
神様の御意図の意図(いと・糸)ね。
だから、御縁をこれからも大事にしてほしい、うん。
織田家の方、豊臣の方、そして徳川の方。
何かしらこれ、御縁で皆さん、出会ってますからね、うん。
本当に愉快な方たち、楽しんでね。
人生、みんな謳歌してほしいです。
タケル「はい」
自分次第で、できる事なんだ。
私は、(時計が12時ちょうど)丁度ですよ、本夛君。
ぎりぎりセーフの、釈迦、ハハハ。

主晴(スバル)様   ~12時00分