日の神・主晴

『こっちの御意図(みいず)は、天意(あまい)ぞ』

【日神理神示(ひかりしんじ)】 - 平成三一年一月四日
『こっちの御意図(みいず)は、天意(あまい)ぞ』

人生は、映画という、リアル映画だ。
否、作り物の映画よりも、摩訶不思議という事。
これは、それぞれ与えられているビジョン、体験となるわけであるが、これ、どうも、この三次元界的に、つまりは現実的に見るのであればこれ、あり得ないという事。
それを摩訶不思議、奇妙、又は奇跡という言い方をするわけだ。
映画の終わりに、まあいわゆる完成の「完」、完成というのは、元々決まっての結果だ。
(完成という字に元が入っている)
神は人を創りては、また言い方を変えれば、生んでは、この目に見える肉体、見えない霊体、幽体という三位一体。
元々は、どこから来ているかとなるわけの、この元という字が、この完成の完に入っているわけだ。
うーん、このチョン、習字、墨で字を書く場合は、まずチョンから始まる。
筆をまず下しては、習字。
例えば、一も、こうだ。
ペンで書くのと、習字で書くのとでは、まあ違ってくるわけだ。
チョンから始まり、チョンで締めくくるという風なる事。
すなわち、これ、チョンは言うまでもなく、はい?
タケル「天地創造の神様」
そうス神さまだ、
御魂(みたま)は、神から、分け御魂という風なる事。
このチョンは、見れば分かるが、これ何の形?
一般的に言う、はい?
タケル「御魂です」
これが、はい?
タケル「我が魂(わがたま)」
うーん、一般的に言うと、はい?
タケル「勾玉です」
そうだー。
まあ、タケルは日頃、学んでおるから、勾玉というのは、曲がった言い方という風なる事を、これ、釈迦のスバルから、文字霊で伝えられては、この「我が魂」という言い方が望ましい。
然れども、この世の中、通じるのは、共通なる言葉だ。
まあ、今回、主晴(スバル)というペンネームでの、昔は釈迦であったが,いつの時代もこれ,聖雄聖者であったり、人として生まれた御魂なり。
だが、いつでも世を救うという役目だ。
チョンの神は七次元界。
六元界、神々。
その下に神霊界、そして霊界で、現界だ。
どうしてもこれ、現界は限界があるわけだ。
ところが思いというのは、限界がない。
いくらようでも、広き心、器になれるわけだ。
高めようと思わば、ドンドン想念向上、許されるわけだ、うん。
住居の居、この居るという事。
何もこれは、住んでいる家、土地という場所だけではない。
心の居場所というものも、あるわけだ。
この中(居という字)に描かれている、この字なあに?
タケル「古(いにしえ)」
そう、「古い」と言わずに、「いにしえ」と申したタケルは、花マルをあげよう。
住まう土地も、出合う者も、 古(いにしえ)から繋がりての、この住居の居。
例えば、ここに一つ、何かものがある。
まあコーヒーのカップとしよう。
今の時代は、マグカップという様な言い方もするが、それは古ければ古いほど、まあ、それは時代の価値観によって、人のまた価値観によっては、変わってくるが、これ、古ければ古いほど、価値の持つもの、価値の無くなるもの、あるわけである。
それは一概に、目利きの骨董、よくそういう物が、例えば、欠けている器でも、それを金で修正(金継ぎ)しては、古伊万里の器などは、価値のあるという風になるわけであるが、これ、人によっての価値観というのは、皆違うから、例えばを現代物で安物であっても、本人にとってはお気に入りという物もある。
そして、その古伊万里の欠けた物は、古いのは、あまり好きではないとなるとすると、飽く迄もそれは、自分中心なる価値観なわけだ。
おしゃれな人、それはそれで、やはりこれ、人というのは外見から判断されやすいという風になるし、身綺麗に、その場その場での服装、たしなみというもの、それは大事なわけだ。
だがそこで、心はどうかとなる。
見かけ倒し、見かけ倒れ。
立派な家に住み、高級な車に乗って、身分も何々先生と呼ばれての、それはそれはいい暮らし。
然しながらも、横柄で、ふんぞり返ったる、天狗の鼻へし折られる様な性格であれば、神から見たら、「愚の骨頂」という風に、愚図愚図の天狗だ。
こちらの「天愚」(てんぐ)だ。
鼻高々しい、どこが、人と比べて満足しておるが、これ、そういう天狗の鼻は、必ずいつか、へし折られるとなるわけだ。
今迄は、今迄。
天秤ばかり、天の計画(はかり)、これから本格化するわけであるから、見かけだけ、うわべだけの.◯◯先生と呼ばれているような者ほど、地獄でウヨウヨと、これ、落とされては、蓋をしめられる者も多し。
あの世だけは、お金だけでは動かぬ。
立場も役目もそういうもの、一切関係ない。
下座の座、「座る」という字。
これを書いているわけだ。
(人、人、土)
「頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」は、実るほど、垂れるわけだ。
心が実るというのは、どういう事かというと、利他愛の者、まずは人の事を、なるべく人と会う時は、又は、人から連絡あった時は、又は、必要のあると思った時は、真剣に我が事の様に受け入れる器。
人と人は、同じ所にという風なる事。
「俺は、身分が高いから、身分の低い者はどうでもいい」
自分よりも少しでも高い者に、ヘーコラヘーコラしておいた方が得だからなあ、という風なる事。
その下心、見え見えの見え。
下座と下心じゃ、えらい違うわけだ。
よく「頭(ず)が高いぞ」という言葉がある。
例えば、天皇陛下の御前にて、これ、頭(こうべ)を殆どの者が、深く深く下げてはという常識、まあ今の時代は、この常識も非常識なる事。
非常識なる思想や考えもいるにはいるが、これ、現人神(あらひとがみ)である天皇は、世界の真中心なる立場であるわけだ、うん。
天皇が使うお言葉に、これ、ヤマトの古(いにしえ)のお言葉が込められているわけだ、うーん。
昔から、ずーっと長い事、世を治める役目として、天の浮き舟に乗せては、世界中を統治していた。
そういう超高度文明の時代があったからこそ、天皇家の、まあ一般的にいう菊の紋章が、世界あちこちに遺跡として残されているわけだ。
その天皇が、いつの時代も日本の天皇。
日の本(もと)つ国の、代々からの神祈りをささげては、平和を祈るという事。
それは、一般の者には知らされておらず、代々天皇だけが受け継いでいるわけだ。
ある時代に、ヤマトタケルという者、これ当時、天皇になった事を伏せては、これ、その座を降りて、日の神の神社の前に、まずもって神の社(やしろ)を必要ありての所へと祀り歩いた時代があった。
それが、日本のあちこちで残されており、伝説にも残っておる所と、そうでない所も多くあるわけだ。
そこに、日の神を祀り、この日本の日にち)は、日(ひ)と書いての本(もと)の日本。
日本(ヤマト)という呼び方もするわけだ。
その時代、武尊(タケルノミコト)が行脚した中で、登場する事多しの、白い狼。
これ、何度か、こちらに代表なる狼が、そなたたちに伝える為に、又、知らせる必要のある方々にメッセージを寄こしているわけだ。
動物は、人間の言葉を話せるわけがないという風なる事。
否、否、それはいくらでも転換できるというのが、仕組みとなる。
よく動物の言葉か分かるという風なる者おるが、これ、まあ正しいか否かは別としテ、その様なる転換。
今は、パソコンでよく言語を転換させては、外国語など、分からなくとも分かる時代になった。
天界のこれ、音声、変換は、動物も植物も虫も、いくらようでも、こちらに伝えさせる為に、人間の言葉で、日本語で伝えさせているわけだ。
スイッチボンの世界。
また超古代文明のレムリア語は、これはまあ、人間の言葉だが、六万五千年前となると、分かるわけがないであろうというのは、こちら側は、必要があらば、いくらでも変換、スイッチポンだ。
色んな時代の者たち、どれだけ寄こしてはこれ、必要ある事、伝えてきているわけ。
全て全ては、神がさせているわけだ。
御霊が勝手に、こちらに来れるわけがないと分かるわけだ。
全てに心が宿っている。
考え、気持ち、思いというもの、人間ほど、勿論複雑ではない。
であるが、心を持ち合わせては、考えておるわけだ。
小さな小鳥も、リスも、ウサギも、鹿も、モモンガも、猫も、犬も、そういった動物たち。
そして白い狼。
ま、狼は、大きい神という言霊、まさしく神の使い。
ヤマトタケルの神社の狛犬、そこに鎮座されたる、「あ」と「うん」の狛犬のメッセージは、数カ月前に必要がありて寄こしたが、三峯神社というのは、何故、三つの峯というの?はい。
三つの峯だ。
タケル「はい。数霊が三で」
なんで三なんだ?はい。
この世は?
タケル「神幽現の」
神幽現の?
タケル「仕組み」
それが、なんというの?
神幽現の仕組みを?
タケル「……」
大丈夫かなあ。
タケル「三位一体です」
ピンとこないと、ピンとくることが肝心だ。
タケル「はい」
ヒに、○と書く、ピだ。
ヒントがあって、ピントとなる。
ヒントというのは、目の前にある。
何かしら、これ、サインという言い方もする。
気付かせる為に、気付きを与える為に、色んな事を、現象化させているわけだ。
たまたま偶然など 一秒たりともない。
水一滴も漏らさぬ仕組みであるから、これ、三つの峯は、神幽現の三位一体は、相連動しているから、そして、その世界、この現界の上に霊界の上に神界。
場所はどこ?
見えてないだけであり、相即相入の世界。
簡単に申せば、宇宙が、宇宙全てが三位一体だ。
霊界と現界の旅人が人間。
あの世に帰らねば、勿論これ、霊界にちょっと旅してみようというのは、あるはずないと思うわけだが、これ、必要ありて起こしたるが、この者に異次元のUFOに乗せては,霊界探訪させたわけだ.
(霊界探訪は、つぶやき天使・第二弾に載せています)
存在するから,旅したわけだ.
まあ霊界といっても,数年前の旅は,地獄界をUFOに乗せては、探訪させたわけであるが、本当にそういう世界ま見てきたわけだが、UFOの中に乗りながらも、ビジョンは目の前の世界に広がっていたわけだ。
そして、この世は目に見えない人たちが歩いては、これ、霊界も同じようなる所に、家並みがここにあれば、家並みもあり、山や谷、道、あらゆる所に相即相入で存在しているわけだ。
まあ、いい方変えれば、相即相入を「パラレルワールド」という風なる事も、その者によって違うが、同じ様なる意味合いだ。
ただ、パラレルワールドと申しても、色んな時代にいる御霊たちは、勿論、今だもって、ずーっと、考え感情思いというもの、生きているわけであるから、現界の人間と同じなんだけれども、憑依霊の場合は、亡くなる寸前の思いが、執着となっているから、地縛の縛は縛るという、いわゆる心がそのまま執着となっているわけである。
霊障という事は、万人がその様なる霊障を与えているわけであるが、
「私は違うわ」
又は、
「そんなのは、すぐにでも、払い除けなくては」
又は、
「ある力の、いわゆる除霊という事を頼もうか」
という事。
自分がもし、もしもだ。
ある執着があって、そういう憑依という修行を与えられたとしたならば、これ、知らない者に払い除けられては、その思い、どうなるやとなる。
然も、憑きたくて、自分が望んで、憑依霊になっているわけではない。
気付いたら、その様なる所に存在している。
ましてや、亡くなった事さえも、気付かぬ地縛霊もおるわけだ。
憑依霊と申しても、その者によって、その数も勿論、色々であるが、例えは、自分がこの世に生まれて、今迄、色んな、四字の?
タケル「病貧争災」
を与えられた。
それが、ある時、教えを頂き、霊障だど分かった。
その前迄は、知らされていない時は、「ついていないなー」とか、又は、「こんな目に会うなんて」、とかいう風なる事、思うわけだ。
今迄は、平穏無事だったのに、突然やってくるのが、そういう、いわゆる魂の浄化である。
どうしようもならないわけだ。
なりたくて、なっているわけじゃない。
誰だって、幸せで、健康で、お金にも困らずという風なる事。
人生、山あり谷あり、それぞれみな違う。
だからこそ、人と比べるな申す。
参考にはしても、比べては、羨ましいという事だけでは、別に問題はないが、マイナス-なる想念になってくると、恨み妬み嫉みという風なる、これが、まさしく主晴(スバル)にも申したが、心のゴミだ。
いいか?
浄化の浄は、さんずいに、はい?
タケル「争う」
そうだ。
争ってきたから、国と国との争い、個々の争い、心の争い。
トラブル(取ら振る)というのは、振るわせて取るの言霊であるが、これ、これからは如何に、これ、浄まりたければ、争いの心、一切捨て去る事だ。
憑依霊の御霊たちにも、除霊ではなく、はい?
タケル「浄霊です」
ハッキリ申すが、「除霊」と「浄霊」では、天地の差だ。
タケル「はい」
浄霊は、天へ天へと、お救いさせて頂くわけであり、徐霊は、地のどん底へと陥れているわけだ。
この差、これ、現代の人間、これ憑依霊の一人、この者の辛い所、痛い所、苦しい所。
例えば、体もそうであるが、心も一緒にずっといたかった。
「愛している。離れ離れになりたくない」という風なる思いも、執着だ。
又は、お傍に、お傍にという風に、この者、例えやすく言えば、ある戦国武将としよう。
そうして、恋しいと憑いているのは、ある姫だとしよう。
そして、お傍に仕えていた、側女(そばめ)、腰元、家来もそういう風に、お傍に、お傍にという思いなわけだ。
そして、この戦国武将の敵が憑いているとする。
その者、あっぱれという風なる武士の、これ、戦いは飽く迄も、勝ちか、負けかという風なる事であるから、精一杯、国の御(おん)為に、上様の言うままに、命をかけて戦おう。
結果は、一生懸命やれば、それでよしという風なる事の、そういう者と、裏切られた、味方につくと申しておったのに、見事にこれ、無念だと、そういう思いの者で恨んで憑いておる者もあるわけだ。
いずれにせよ、ある執着を持ちて、持ち過ぎた為に、憑依という修行になって、この武将が、この世に生まれかわっては、その何人もの者たちが憑いているとしよう。
あの霊能者の所に行けば、お払いしてくれるの、除霊。
まあ力のある霊能者、こういう風に払い除けたとしよう。
だけど、その思いは勿論、残ったまま強制的に離されたとしよう。
すると、いずれにせよ、また舞い戻りては、その霊能者をも恨むとなるわけだ。
だから、霊能者の様なる者達は、末路が厳しいとなる。
又は、教祖も間違いたる教えという事で、邪神邪霊を使いての団体であればこれ、除霊、ドンドンと地に、地獄にという風なる事で、陥れてしまうわけだ。
神の光、教えにての、こちらの浄霊は、天の方に救わせて頂く、この差だ。
だか、この本人は、どちらにしようかな?あのねのね。
あっちのみーずは、苦いぞー。
こっちのみーずは、天意(あまい・甘い)ぞー。
ほっほっ、ほーたる来い。
神の意志の、この天意(あまい)、天意(あい)とも呼ばせているが、これ、この違いだ。
陰陽師も二通り、ハハハハハ。
まー、誰とは申さぬがこれ、正神の神、副神、邪神系統の神、どちらかだ。
本来の救いというのは、どこまでもこれ、清明正直なるという事。
清らかで、明るく、正しく、ス直なる想念。
まるで、空の快晴の様なる、雲一つなき青い美しい空。
晴れ晴れしいなー、そういう世界。
心のキャンバス、心の空は、今、快晴であるだろうか?
白い雲がプカプカ、そういう空であろうか?
どんよりと曇った曇り空だろうか?
又は、大雨だろうか、雪だろうか、という風なる事。
春の様に温かな穏やかなる心なのか。
身も凍るような、寒い冷たい心なのか。
繋ぎ目は、一日一日の繋ぎ目というのは、まあ、この 一日、24時間の節目の、半分の 12時。
この12時を境に、昨日と今日、今日と明日へとなっていくわけだが、一年も12か月、一か月一か月、大まかなる計画。
一日一日の細やかなる計画、又は、一生どういう事をしていこうか、という、もっともっとスケールの大きい計画。
タを入れる事によっての、「タスケジュール」(助けじゅーる)。
ジュ、で受けてのル(留)。
相手の気持ち、我が事の様に受け止めては、これ、助けるという、タスケジュール。
助けるというのは、何も困った人だけではない。
そういう事ではなくて、お互い様で高めていこう。
何かみんなで楽しい事、計画して、それぞれが左回転で展開していきたいんだ、という事だ。
嬉し、楽し、はい?
タケル「楽し」
ん?
タケル「はい」
何?
タケル「嬉し、楽し」
うん、それから?
面白し?
タケル「嬉し、楽し、面白し」
そうそう、この三拍子、ね。
昨日は何日?
タケル「4日です」
今日は?
タケル「5日です」
うーん、本当に今年から始まったなー、長文が。
タケル「はい」
ワード化がだ、うーん。
「嬉し楽し面白し」と思えば、光のオーラとなって、ドンドン左回転していく。
逆は右回転だ。
いやいや、やる事、仕方なくやるという風なる事だ。
どうせやるのであれば、「仕方ない」という風な捉え方ではなくて、「ありがたいな」という風に、毎日のお風呂も楽しいな、その後の一杯も楽しみだな、そういう事。
小さな事から感謝できるという事。
否、小さい事なんて何もない。
全ては、ありがたしだ。
タケル「はい」
ちょうど 一時間。
もういい加減にしての「いい」と、いいなーという「いい」、どっちかな?はい。
(12時11分になったので、11分の数霊の事)
タケルは?
いい加減にしてほしいの…
タケル「いいな」
いいなですか?
長文でも?
タケル「はい」
うーん。
今日はハハハ、丸一時間。
私は日の神。

2019年1月4日 夜11時11分~1月5日 夜12時11分

神様はね、クヨクヨしないで急ぎなさいという事ね。
(急という字にクエ汚想除(おそうじヨが入っている)
これ、私も何度も言うんですけど、このクヨクヨしている暇はないんだな。
もう急ぎなさいっていうね。
急ぐという事は、慌てるという事では決してないんだ。
備えあれば、ね、なんていうの?
タケル「憂いなし」
そうだ、本当は、嬉しいんだけど、なしという言い方をするんだね。
(うれいなし・嬉い無し)
ハハハ、ねー。
急げ、然らば、救われん。
どれだけの人たちを心繋いでいき、高め合っていくか。
今年が、ほんとに大事なってくるわ、ね。
今まで繋いできた、繋いで頂いた、御縁の一人一人に恩返しする思いで、頑張っていこう。
タケル「はい」
もうだいぶ、何人かから反響あったね。
タケル「はい」
今年から、元旦から長文で、今までは長くて読まなかったよ、という人もね。
たまたま、まあ開いたら(フェイスブック)、目の前にあって、そして、そのある悩みが解決してしまったという連絡が、何軒かありました。
必要なる人に、必要なる事を、神様はお与え下さるという事、ね。
本当にそうだ。
迷惑と思ったら、読まなくてもいいんです。
正直が大事。
何も無理をする必要は、一切なーい、ね。
タケル「はい」
そういう事で、私は、はい?
タケル「お釈迦様でございます」
んーと、意志の14、いいよーの14。
釈迦のスバル。

~12時14分


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