日の神・主晴

『宜しくは、日の出の神への挨拶』

【日神理神示(ひかりしんじ)】 - 平成三一年一月六日
『宜しくは、日の出の神への挨拶』

「今晩は、よろしくお願いいたします」のよろしくは、なんていう字書くの?
ウ冠に、はい?
タケル「旦」
ん?
タケル「元旦の旦」
それはどうしてだろうか?
果たして、何故、宜しくが「旦」という字を書くのかな?はい。
タケル「……」
ん?旦という字からすると、
タケル「日の出を表している」
そうだー。
とすると、どなたに宜しくという意味かな? 
タケル「日の神様」
に宜しく、となる。
元旦から、それだ。
日の出、これ、左回転で開―く開―く(ひらく・日開く)という、こういう渦巻き。
日の丸、これが地平線という風なる事。
(旦という字)
正月、この日の出のエネルギーを賜わるという事は、一年中の宇宙エネルギーというものを、賜わるに等しいと申した。
勿論、毎日、お日様、昇るわけであるが、これ特に元旦は、 1年の誕生だ。
新しく又、新年という事であけたわけだから、「あけましてのおめでとう」という挨拶になるわけだ。
だが、年末から繋がりしの元旦だ。
一見、昨日から今日にかけて、まあ、ほぼ毎日と変わらないという風なること思えども、否々、新たなる 一年がまた始まった。
「よーし今年こそ、頑張るぞ」という風なる一年は、やはり一生から見れば、節目節目の一年だ。
そういう意識を持つ事ができる。
よーく考えてみよ。
まあ今世だけの話にすれば、これ、自分が何年何月何日に生まれた。
この一年、一年の、もし節目という事、無かったとしたならば、何歳という風なる言い方もなければ、数え方もないわけだ。
生まれてから、まあ、何日目、何十日目、何百日目、何千日目、ハハハハハ、気の遠くなる様な言い方。
「あなた、何日目?」、「生まれてから、どのくらい?」
さあ、数えるとなると、「ひふみ」と簡単には、なかなかできないわけだ。
疲れてしまうとなるわけだ、ハハハ。
忘れちゃう。
だからこそ、一年一年、節目というもの、与えている。
ああ、ありがたし。
よいか、毎日、お日様昇るわけだ。
月と交互にだ。
それを、一日。
だから、この 一日だ。
一日 一日の反対が、この旦だ。
(旦という字は、日と一が入っている)
毎日、日は新たに生まれているわけなの、一日。
そして元旦こそが、一年の新たなる年という風なる数え方だ。
そうすればこれ、一年、365日ごとに 一年一年、さあ数えやすいとなる。
昔の年は、「数え」でと言う様な数え方。
数えで何歳、それは何でそういう数え方をするのかな?はい。
タケル「生まれた年を入れるからです」 
だから、「数え」でというのと、満幾つというのと、どう違うの?
タケル「満というのは、一年過ぎて満一歳」
うん。 
数えで言うと、なんで一年が多いの?
タケル「生まれた年を入れるからです」
言葉が足りぬのーという事になる。
同じ事を今申した。
んー?どっから数えているかな?はい。
タケル「生まれた年を、からです」
生まれた年が満で、生まれた年が数えかな?
タケル「生まれた年から、丸々一年たって、一歳」
それが、どういう数え方?
タケル「それが、満一歳」
じゃ、数えで。
タケル「数えでは、生まれた年を入れて一年目。それで、次の年で二年目という数え方です」
お腹に誕生した時を、数えているから、「数え」だろうとなるわけだ。
それじゃあ、理解不能という説明の仕方。
まったくもってこれ、人に分かりやすい様に話すことが大事となる。
自分で頭で分かっていても、丁寧に分かりやすく話すということが大事だ。
然もこれ、相手に合わせて、例えばこれは、
「相手がどういう事に興味を持つのかな?」
「知りたいと思っているのかな?」
「学ぼうとしているのかな?」
という風なる事など、人との会話というのは、興味のない事を、べらべらと目の前で、然も一方的に話すとなると、苦に思う、思われるやもしれんとなるわけだ。
目の前で「うーん」「うーん」と、この振り子人形の様に、(首をウンウンとされる)ハハハ、よく窓辺にツンツンと鳥の形の振り子の様な置物。
頭は、上の空。
だって興味が無いから、という事もあるわけだ。
如何にこれ、分かりやすく、何を聞き出そうとしているのかな?という事。
それは言葉の使い方だ。
人はやはり、いい人と思われたがる。
この「たがる」という思い。
確かにこれは、悪くはない。
が、「たがる」というのは、果たして本当は、本心は、別の所にあるが、いい人と思われたいから、
「ああ、この人から電話が来たら、もしかしたら又、長電話かなー」、ハハハ。
「でも、とてもいい人だから、私にお電話してくれるだけで、ありがたしだな」
「お友達なんだから、心の交流というもの、大事にしよう」
と、心がけるものだとすればこれ、色々と、それなりに楽しく、相手のお話、又は、真剣に相手のお話を聞く耳を持つという態度ができるわけだ。
然もこれ、まずもって、今や、やる事多しの毎日であるならば、それなりの接し方で、とにかく、まずは、相手の心を受け入れるという風なる思い。
受けての想念というのは、「相手が何を求めているのか」での救いだ。
「ひしゃく星」、これ、ひしゃくというのは、救うという形霊。
クルクルクルクル、北極星、スバルの星の周りを回っている。
それが、正しく天体ショーにおける「救いの形霊」だ。
今年一年は、今年一年こそが、一日一日を充実させて頂くという事。
まあ、今迄も、同じ様なる事であるが、然しこれ、本当に新たなる年を迎えたこの年は、今年こそが、ドンドン思いが天上界に届く、という風なる年だから、貴重なわけだ。
今迄やりたかった事、山積みの者。
「本当は、こうしたかった、ああしたかった」
ただ然し、去年一年は、色々あって、また今年にその思いが、希望が、夢が延長という風なる事になった。
これも、必然なり。
今迄は、全て準備。
これからが本番という繰り返し。
然しながらも、今年こそ実現に向けて,まず一歩踏み入れる,行動をする,実践実行するという事。
頭の中で、「いつかやろう」「いつかできるだろう」という風なる思いより、まずは、一歩でも進むという事だ。
夢に向かってのマラソンだ。
中には、こういう者がいる。
「よーし、向かうぞ」
まだ、どこに向かうゴール、目的地も決めずして、もう走っている状態だ.
然し、そう実行力のある者が、グイグイ行く。
然もこれ、「横」のラインではない。
人救いと思ったならば、神と繋がるから、天上界へと、「縦」に昇るわけだ。
ドンドンドンドンと、縦に、然も階段、エスカレーター、エレベーター式、ハハハ。
とにかく救いという事を一念に思いてはこれ、色んな手段を使って、とにかく救いの、「心の救いの箱舟」。
「もう、出航だよ」
誰を乗せるかを、乗せるか、その都度その都度、
「寄っといで」
「見においで」
「参加してみて」
「たまには、覗きに来て」
「会いに来て」
「一緒になって、輪になって、光りの箱舟、夢への実現化のUFOに乗っていこうよ」
そういう思いは、グングンと昇り昇りては、毎日、日が昇る如く、毎日毎日、その瞬間に、神に届くわけだ。
何々して欲しいという、この欲しい(ほしい・星い)という言霊。
「星に願いを」という言葉がある。
それはそれは、すばらしい歌。
この者が、一番大好きな歌だ。
星という字の組み合わせ?はい。
タケル「日が生まれる」
(星という字に、日と生が入っている)
うーん。
日の神様から、日の光から、御魂は生まれしよ。
まあ、その上におわす天地創造の神様は、北極星を御担当されていらっしゃるから、不動なる星。
もって、「何々してほしい」という風なる、流れ星を見かけると、三回祈りを捧げると、叶ってくるという風なる事。
まあ、この願いというのは、何故、何々してほしいかは、天上界の神々に一瞬で届くわけだ。
だから、主晴(スバル)に申させているがこれ、頭の中で願い事。
まあ、これは、本来であれば、年末、新たなる年を迎える前に、次の年の計画というのが望ましいが、来年は、又、年があけた後であれば、今年になったら、今年こそ、何々が叶います様に、という思いを、思っただけでなくてこれ、文字化する事によって、「文字霊」という根付いたる御霊(みたま)に繋がるわけだ。
言葉を発すると、言霊。
文字にすると、その奥の奥という風なる事。
思考は現実化してもらうには、形にするという事、うーん。
一年の目標、大まかなる目標。
今年こそ、何々がしたい。
例えば、まあいつも、すばらしい仲間に囲まれている。
「でも今年は、この人に出会いたい」
「あの場所に行ってみたい」
「そういう望みを叶えたい」
という風なる事を書き出し、一つ一つ書き出すわけだ。
一つでも、幾つでも、書き出すわけだ。
そうしては、願いが叶えば、ピカピカピカ―という風なる事や、まあこれでも良しであるが、印を付けて、そして、叶えなかった事は、又、持ち越しさせて頂くという風なる事。
それは、日々の計画。
月ごとの計画。
一年の計画という風なる事。
ざっくり、一生、こういう事をやっていきたいという事も、まあその各々のやり方で計画を立てるという事。
せっかくなったなら、せっかく生まれたのであれば、せっかく人生、与えてくれたのであれば、これ、大事に大事に、充実した人生というものを……。
否々、私はのんびりした事が好きだ。
否々、私は忙しくとも、やりたい事をやっていきたい。
という風なる、それぞれの思い。
又、一生懸命、日々働いては、たまの休みには好きな事。
それは、それぞれの過ごし方というものがある。
過ごす。
これは経過の過。
どの様なる過ごし方というのも、経過は人、結果は、はい?
タケル「神様」
が決めるわけであるが、これ、一生懸命、頑張った事であれば、悔いは無し。
結果の果は、果実の果。
果実というのは、実にこれ、実るか、又は、実らぬか、熟すか、熟さぬか。
過ぎてしまうと腐ってしまうか、という風なる結果。
自分の人生、今迄、振り返ってみれば、これ、まだまだ今は、青いリンゴ。
これから、真っ赤なリンゴになっていくんだ。
一生懸命、頑張って努力して、そうしては、自分の人生。
結果は神様にお任せであるから,とにかく、向かっていく事、努力する事、頑張る事、一生懸命一生懸命、悔いのない様に、そういう風なる思いとすれば、その舟の「航海」は、まさしく「後悔」の悔いは無しなわけだ。
だって、何が起こるや分からぬ。
人生は、毎日一瞬一瞬がハプニングだ。
勿論、平平凡凡という風なる日々、続いたとしても、これ、蓋を開けなければ中味が分からない様に、一日一日の玉手箱は、浦島太郎、ハハハ。
開けてしまったら、あっという間に、おじいさん。
人生というのは、長い様で短し、という風なる事。
しかし、これは感じ方である。
年齢に捉われず、今でも青春。
いつでもやる気一杯、これから本番だ、そういう考え方。
実にこれ、今が旬だ、ハハハ、うーん。
人生謳歌というのは、考え方一つ、想念の持ち方一つ。
この地球上に誕生し、まあ、覚えているのは、今世。
過去世も教えてもらっている者も、中にはおるが、すばらしい体験をしに光のUFOに乗って、やって来た、ハハハ。
まあ、言い方は色々だ、色々である。
生命は、魂は、形霊にすればこれ、勾玉の形。
動物も勾玉の形。
動物の目、人の目、植物の字が違うが芽、
この両方の目で、世界を見せて頂いている。
現実的に存在する世界をだ。
そして第三の目は、この松果体、過去の記憶全てが備わりしの、アカシックレコードという記憶。
全て輪廻転生、御魂生まれしの記録。
霊界厳現界長―――――いという風に、短い長いのではなくて、永遠の永という「永い」だ、ハハハ。
そうすると、伸ばさなくともいい、ハハハハハ。
まあ、ワードでいうと、これだ。
――――――。
これでは、やってやれない。
これが、御魂生まれしの一回目、うーん。
これが二回目。
これが二回目。
じゃ、なくって、こっちの永い。
永遠の永。
永遠、十文字メビウス。
この縦は、例えば、霊界と現界、行ったり来たりのこの魂、宝珠の形。
この形は、この勾玉の形と繋がる。
これも、魂、ね。
神と人、人と人だ。
(十文字メビウスの説明)
何度も何度も、この十文字メビウス、説明しているが、神の教えは、繰り返す事多し。
確かにこれ、永遠なる御魂、霊界現界、また霊界現界。
でも中には、憑依霊、地縛霊の場合もある。
今迄は、霊界現界、霊界現界。
ある時、執着を持った時に、ずっと霊界という者もおるわけだ。
但しここで、最期の審判だから、そういった地縛霊、又は憑依霊の御霊たち、一人一人、この最期の審判にて、まあ霊界の計りであるが、これ、カルマの清算が許されたならば、いわゆるそれは、こちら側に繋がりし者はつまり、憑依霊、そして自分。
自分次第で、その憑いておる御霊も、救わせて頂いたなら、また和の文明に生まれるという風なる事。
だから、どれだけの救いとなるかである。
又、今迄輪廻転生、霊界現界、繰り返しの今、ここにおる者たちの中で、もし、地獄界に落とされた御魂は、それこそ最期の審判。
もう生まれ変わりは無い。
この「最期」という字、期限の期(き)。
もう、後が無いんだ。
日と書いて、取るで、最。
(最という字に、日と取が入っている)
うーん、期限切れ。
これが最期の審判だ、うーん。
これは。神様が決めている審判ではなくて、この秘密の密、密談だ。
どういう事かというと、この審判も神が計るの神判(しんぱん)だ。
秘密になっているんだ。
宇宙の秘め事、秘密、山盛りてんこ盛り。
この密という字は、ウ冠に必ずと書いて、山と書く。
必ず分かりにくく、見つかりにくく、見えない世界が存在しており、これ、「確信を持てる者」と、「もしかしたら、神の世界はあるのかな」という風なる、「まだ断定はできぬが」という風なる思いの者と、「そんなもの存在するわけがないじゃないか」、まっこうから否定している者と、しかし、(神の世界は)在るわけだ、ハハハハハ。
よーく考えてみよ。
心臓は自分で動かしているか?
自分が手を使って、一生懸命、ポンプの様にやっているか?うーん。
血液、どうやって流しているんだ?
黙ってても、何故排泄するのだ?
考えてみたら、全てが不思議なんじゃないの。
それを、「妙」という言い方もする。
「妙だな」という言い方をするけど、でも、妙(たえ)という言い方もする。
女偏に少ないの妙だ。
秘密の秘だ。
これは、神々が計りに計りての、「あなたは天国行き」、「あなたは地獄行き」という風なる最期だ。
最期というから、この後は無い。
何度も申すが、この期(ご・後)と書く。
後(あと)の祀り。
これ程、寂しい、ガッカリした事はないであろう。
楽しみにしていた祭りも。終ってしまった。
否、「最期の祭り」というのは、祭りに行けなかったからという、残念なる思いだ。
天国に行けなかった、残念だな。
もう天国行きのUFOは終わり。
終わり良ければ、はい。
タケル「全て良し」
糸偏に、冬と書いての「終わり良ければ、全て良し」。
どんな不幸と思える現象も、終わり良ければ、一つの体験。
貴重なる体験。
まあ、人それぞれ考える事、思う事、いろいろあるがこれ、最期がそれこそ肝心なわけだ。
途中ずーっと人生、うまくいった。
思い通りなる人生謳歌となったようだが、これ、最期の最期に残念ながらという結果になったとしたならば、もう片方は、とても人生謳歌と呼べる事は一度もなかった。
然れども、最期の最期に夢が実現した。
やっと、夢が叶った。
そっちが、人生謳歌と呼べるだろうとなる。
つまり、結果が肝心だ。
最期のゴールは、言うまでもない。
ハッキリ言うと、この世では「お葬式」と呼んでいるが、。あちらでは「歓迎会」、「誕生会」。
どこかにそれを、「幽界誕生」という言い方もする。
よく来たね。
御先祖たちに囲まれて、そうしてアカシックを見せらるわけだ。
恥ずかしいなー、見てられないわ、というシーンが、どれだけあるか?
まあ、それはそれで、体験だった。
そして、そこから又始まる。
一生懸命、一生懸命だという事。
さすればこれ、必ずや、あちらの世界でも、謳歌となる。
そうして又、新たなるすばらしき「和の文明」を迎えるわけだ。
ここに生まれ変わった者は、一生パラダイスだ。
病貧争災は一切無い。
嬉し、楽し、面白しの、この三拍子しかない。
天国を実現化、この物質界で実現化させる。
それは神が、昔から初めから計画していた事。
初めは皆、同じスタートラインだ。
みんな美しい御縁だった。
真の勝手なる自分の歩んできた選んできた事が、結果を招くわけだ。
でもこれは、どれぐらい罪を積んできたか。
カルマの清算が起こりても、一つ一つ、ああ、申し訳なかった。
手が痛ければ、肩が痛ければ、足が痛ければ、そこに辛い思いをしている方が、どなたかがいるのだな。
救わせて頂きたい。
人救いに頑張ろうという思いだ。
利他愛の想念は、左回転のエネルギーであり、開く、日楽(ひらく)という風なる扉。
人生がドンドンと、それこそ開花させるわけだ。
憑いている者たち、ちゃんとと思いを見せられているわけだ。
だからこそ、「終わり良ければ、また始まる」。
んー?おやおや、となる。
と、しらじらしく神が申すが、今日は何日?
タケル「6日です」
(1月7日に延長)
いいなー、1月7日か。
いい日にしようとなる。
これ、幸せの4分。
自分にとっての幸せ。
それが何かという事。
自分だけを愛したいの自己愛か、他人(ひと)様の御為と思う利他愛かだ。
自由なり。
自由なり。
私は日の神。🙏

🙏日の神様    2019年1月6日 夜11時11分~1月7日 12時04分

この言葉は好きな言葉だ。
みんな同じスタートラインで始まった。
「終わり良ければ、全て良し」となる。
今、この瞬間がホントに旬。
新たに生まれたる時空間、ありがたし。
大事に大事に、一日一日一瞬一瞬を、とにかく磨いていこう。
そうすると、美しき輝ける人生になってくる。
私は、ハハハ、ここまでが神様で、ここからが主晴(スバル)だ。
私は、本当に、皆さんと御縁があってありがたいです。
ですから声も掛けられるし、ありがたし。

🙏主晴(スバル)様    ~12時06分
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