日の神・主晴

物事、末広がりと捉えるか、八方塞がりと囚われるかは、自分次第

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年二月三日

うん、笑う時は、何と笑うかな?はい。
タケル「ワッハッハ」
和が広がる。
腹の底から、ワッハッハー。
よく神が、このハッハッハーという風に、ハハハと、教えの中に定番となっているか、これ、このハ、八(はち)のハだ。
で、何か、タケルが目の前でニコニコ笑っているが、はい、八は?
思い当たる節のある事。
タケル「末広がり」
ドンドンと人類界はこれ、末広がりという風なる、この頂点、チョンにおわす神様から、三位一体に渡っての末広がりとなっているわけだ。
まあ、どこまでも、末広がりなら、例えばこれが、人の数だとすると、ドンドンと増えていう勘定になる。
だが、増加があるうち、この霊界に、そして、この現界に、人は旅人であるから、今必要なる修行の場に、それぞれ住んでいるわけだ。
もって。神の教えもできうれば、この様に末広がりとなって、実に行きたいものであるが、実は、この末広がりというのは、こういう風に循環している。
元帰りということだ。
人間は、この元々、丸チョンの神様からの御意志一つで、全て宇宙が生まれた。
美しい御魂に元帰りしようという風なることが、起こってくるわけだ。
このキラキラの御魂だ。
やはり八方に、光を放つとしよう。
こういう動きがある。
この循環である。
だから、よは、クルクル、クルクル、クルクル、クルクルとなる。
人というのは、色々と二通り持ち合わせている。
「二十字の理」というのは、物質界だけでは勿論ない。
善悪の心が生まれては、これ、どちらもが神試しで、今の想念界、どっちかな?と、神は常に、テストしているわけだ。
そうしてはこれ、八方、はい?
タケル「…」
(八方塞がりと、書かれる)
タケル「八方塞がり」
いう言葉がある。
末広がりの真逆だ。
末広がりのはずが、塞がってしまったという。
そのようなる状態というのは、まさしくカルマの清算となっているわけなりよ、うーん。
でも、これも、実は捉え方次第。
如何に、捉えるかだ。
「ああ、今は休憩時間なんだな」
「今、休んでおいて、心も体もエネルギーを貯めて、また頑張っていこう」
そうすると、この塞がるという状態は、解除となる。
どうしてもこれ、思いの持ち方一つで、ドッと変わるわけだ、うん。
八方塞がりは、「にっちもさっちも行かない」と言い方もする。
やればやるほど、うまくいかない。
塞がってしまう、うん。
まず人は考える。
物事十字に組ませ、これは、実はこれ、この世というのは、色んな宇宙の仕組みがあるが、まずもって、今この時空間、空間は縦、時間は横の動き。
そして、これが今だ。
やはりこれ、流れ、ずーっと、これが過去だとすると、もう過ぎたこと。
これが未来。
その中に波がある。
一部上場、ドドーンと株価が落ちる、ハハハ。
今日は上機嫌、今日はへたばっているというようなる事。
そして、この今。
まあ こっちの上の方向に、どうしても人間は、昨日よりも今日、先程よりも今、例えば、元気になっていこう、頑張っていこうというという前向きなる思いが大事だ。
そうすると、そういった思いが、本当にこれ、八方塞がり的なことが起こっても、段々と、そのフタが開かれてくるわけだ。
今日、神が申したいのは、地獄界のフタの話。
はい、今、まあこちら側は、神の上の方で、これが霊層界だ。
それはそれは、沢山、沢山の霊層界。
そこに住まう者たちは、行ったり来たりができない。
同じ世界の中での、暮らしとなるが、この霊界、もう八方塞がりというのは、結局この現界だと、 「あーあそこ、こないだ、火山で噴火して、住みにくくなったから、別な安全なような所に引っ越ししよう」
まあ、引っ越ししようと思えば、移動できるのが、この現界。
ところが、霊界は、そうはいかないわけだ。
そうすると、今迄は、どの霊層界、例えば、ここの境界線、こっちが、天国の世界、こっちが地獄の世界。
今迄は、地獄に落ちた者も、天国に逝った者も、生まれ変わりがあった。
それがもう、あの世に帰ったら、フタをされる所がある。
それが、八方塞がりとなる。
これは、実に厳しい審判となった者。
勿論、地位名誉財産は、まったくもって意味がないから、どこどこの大臣と、現界で呼ばれた者も、やはりこれ、もし地獄界に落ちたとしたならば、八方塞がりになる。
で、実は、この状態は、勿論、霊界ではハッキリとフタをされるが、 この現界も、この様なる仕組みになっているわけだ。
霊界と現界っていうのは、相即相入になっている。
自分の今の霊層界、イコールの所に、あの世に帰るわけであるから、今、何々大臣、あまり性格がよろしくないとしたならば、こういった八方塞がりの様な事が起こってくるわけだ。
今迄は、うまくごまかしきれた時代。
ところがどっこい、神は、この霊界と同じようなる世界に、今ドンドンと、次元上昇しているわけだ。
生きながらの天国、もしくは地獄。
人とは浄化を賜わっている時に、それは辛い思いを受けるから、幸せとは言えないだろうが、幸せになっていく為のお掃除だとすると、お掃除の後は、必ずこれ、綺麗になっていくわけである、うん。
元帰り、綺麗な御魂に元帰りするために、心も体も、また他の事も、もし今、浄化の時期であるならば、今のそういうお掃除の時期を、感謝とお詫びで乗り越えることだ。
必ず乗り越えられる。
乗り越えられないカルマは、初めから降ろさないという風に、本来はなっているわけだ。
「まあ、そんな事言いながら、神様は。あの世に逝ってしまったわ、あの人」
それはまた、別の意味だ。
何度も申すが、この世に生きていたからといって、天国とは言えないし、「あの世の天国、この世の地獄」という言い方もある。
そして、あちらに逝って、本当に素晴らしい所であったなら、その人じゃないと、これは、一概に傍目からは分からなくなっているわけだ。
早く天国に逝った方であっても、そういう事では全くないわけだ。
本当にそうなっている、うん。
この世での執着というのは、いつでも取れるような準備をしなければいけない。
本当にそうだ。
今を精一杯、生きることだ。
極端な話、「最後の晩餐」、毎日と思えばよし。
それぐらい、どちらもが同じ霊層界なんだよということ。
そんなこと、この世に長く執着を持つことを考えるのではなくて、夢を達成しようという、考え方だ。
精一杯、今という時を生きようという考え方だ、うん。
それが大事。
楽観的というものがある。
楽天的という言い方もある。
楽になることだ。
悲観的に物事を考えても、つまらないであろうとなる。
本当に、これ、前向きな思いと、そうでない思い、違ってくる。
先程のこの図、今ここ、さっきまで落ち込んでいた。
「ああ、どうせ私、ダメよ。うまくなんかいかないわ」
そしたら、又こうなって、又こうなってという風になると、今度こちら側に、上に昇るには、距離感が出てくるわけだ。
よは、落ち込んでいくという。
一日一日を前向きに考えるというのは、こういう上に上にという風なることだ。
この差は大きい。
自分次第。
この心の在り方、持ち方というのは、神がすることではない、自分だ。
自ら分ける、どっちか、善想念なのか、悪想念なのか、悪とまではいかなくても、マイナスの想念なのかという風なることだ。
悪想念というのは、先ほど申したが、人というのは、善想念も悪想念も持っている。
それは、人に対しての、悪影響を与える者が、悪想念となる。
「またあの人、今日、機嫌が悪いのよ。全く、私、何もしてないのに」
と思うであろう。
相手が悪想念でも、自分が悪想念になる必要はない、ハハハ。
右に習えの必要はない。
結局、自分の中に、こういうものがあるから、引き出される、うーん。
とにかく、八方塞がりとならないようにね。
末広がりで、頑張っていこう。
今日は、何日?
タケル「三日です」
そうかー、節分だという風なることがある。
節分が、八方塞がりの意味がある。
今だもって、節分に豆まきは、本当にこれ、日本の文化も、正神の神を、押し込め祀って、副神、邪神の神を崇め祀るという、残念なる、これ、習わしがある。
節分というのは、節(せつ)を分けるという事、うん。
私は、日の神。

日の神様    2019年2月3日 夜11時11分~11時35分



8という数霊は、縦のメビウスの、これ数字、8。
神様と人というのは、常にこういう風に、御意図(みいず)が降りての、自分の御魂がある。
ひょうたんというのがあるが、そしてここに、チョンがあるなー。
この辺に 神界で、この辺に霊界でとなるなあ、この辺に現界だなー。
まあ、霊界も現界も、人の世界だ。
逝ったり来たりしているわけだから。
まあ、神と人だなあ。
ひょうたんというのは、 そういう意味合いの形霊だ、うん。
永遠に、この8、縦のメビウスの仕組み、人は横だ。
だから、メビウスというのは、この横になっている。
人と人ともいう言い方もあるが、こっちが例えば霊界で、こっちが現界だな。
逝ったり来たりしているけど、自分は自分なんだ。
あの世に帰ったら、暫く自分というもの、勿論、覚えているもんなんだけど、段々と記憶を無くすために、戒名というものを賜わって、この世に執着というの無くなってきます、ね。
そして、新しい世界にね、又暮らすから、精一杯又ね、人生が始まるんですよ。
いい所は、本当にいいからね、うーん。
この違いが凄すぎるんだよな、霊界は。
これは、色んなやはり、例えば同じ東京都でもね。
そこの場所、そこの駅、そこの町。
霊層界というのがあるから、それぞれの雰囲気、皆違うでしょう。
面白いと思いませんか?
だって同じ地上なんだよ、本多君。
タケル「はい」
たから横になっているんだね、この世は。
向こうは、縦なんですよ、ねえ。
たけれども、この前まではね、素晴らしい所だったけど、今、天災、または人災などでね、ドドーンと来ててしまった。
またこれ、ね、住みにくくなったりしますよね、うん。
ですから、どこまでも、地場というのも、神様は綺麗にするために、浄化っていうの起こされる。
その時に、自分はどこにいるか?
が肝心であって、何も、いつもビクビクする必要全くない。
ですけれども、準備は勿論必要だよ、ということは、何度も言っていた。
これ準備してない人はね、いざという時大変ですよ、うん。
だって安全な所に行くために、準備するんですもの、ね。
少しは食べ物飲み物ね、背負っていけるようにしないとですけど、はい。
後、暖を取れるようにする工夫があるけど、やっぱりね、絵に描いた餅で、餅は食べられませんからね。
うん、そういうこと、大事です、はい。
節分の後は、立春です。
明日、二月四日、神界では、お正月です。
節目なんだ。
(二四は、節・ふしの数霊)
明日から、また生まれ変わろうっていう意志を持つことだ。
常に常に向上心というものを持って行くと、上へ上へと行けるんだよ本当に、ね。
タケル「はい」
11時41分。
節分の話はね、つぶやき天使、第一弾を読んでください。
私は、主晴(スバル )。

主晴様   ~11時41分