日の神・主晴

立春を期に、ハレバレ、どちらかに極端化するなり

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年二月四日

予測がついているという事の、予定の「予」。
(予という字は、マアと書く)
マアマアマアとなるが、予定通り、予測通り、事が運べば、まあ達成感という風なること等々があるだろうが、予定は未定であって、決定ではないから、何が起こるや分からないのが、寸分先なわけだ。
一寸先という言い方もする。
一寸、得ること。
(得という字は、一寸が入る)
すなわち、与えられる事。
与えられて、色んなこれ、その者にとっては、良きかなあと思う事もあれば、悪しきかなーという事もあるであろう。
マアマアマアという予定の予。
予め、これ、実は決められている。
天界が織りなすから、この展開だ。
全ては、天から人は、色んなこと与えられているわけだ、うん。
何事も予定通りとはいかないが、一応予定というものを立てる。
そうすることによって、定まる。
何が起こるや、分からないのが、人生の舞台。
それこそ、いい事もあるかもしれぬ。
しがない足軽だった秀吉が、まさかまさか天下取りになるとは、誰も予測がつかないわけだ。
だが、ちと違うのは、本人は必ずや天下と取ろうという予測を、実はしていたわけだ、うーん。
信長、そして秀吉、家康というのは、やはりこれ、神からの役目を持って、この世に三大武将として与えられているわけだから、又、そこは、普通の武将とは違うが、うん。
神が決めていく事いうのは、所謂、合格、又は不合格、それでOK、又は、やり直し等々のことが、色々起こされる。
いい加減に、何度も何度も同じ方向に向かって走っていても、どうやらこれ、からまわり。
ネズミがチョロチョロと走る、あのクルリクルリの輪の中で、どうも辿り着かないというようなる事。
方向性が、当たっているのか、否か、同じ所を、どうも何度も繰り返してくる。
それだけ繰り返す必要があるからだ。
それでも、目的に向かって邁進していく。
諦めたら、万事休すだ。
九という数霊は、色んな意味合いがある、うん。
こちらの「救」もあれば、こちらの「急」もある。
色んな、やはり人は、どうも過去に捉われやすい。
あの人は、一度やってもらったけど、大した事なかったから、別の者に頼もうよ。
ま、それもそれで選択だ。
今度は、もしかしたら、うまくいくかもしれないという事、あるわけだ。。
自分自身だって、うまくいく時と、そうでない時があるわけである、うん。
人生というのは、どうも神からの決定権で成り立っているわけであるが、これ、9は英語でナインのも言うが、6の反対が、9という、この陽と陰の勾玉の形にも、否、その形霊になっているわけだ。
御魂がドンドン、今度、もし天国ではなくて、地獄に落ちたら、ロックされるという、69.
蓋という字は、去ると書いて、皿と書く。
昇り昇りての御魂。
それは、まさしく、御心に沿うた想念ということであり、逆は、残念ながら、蓋。
何度もこれ、伝えておるわけだ。
水の浄化。
神の光、教えを賜わり、次から次へとやってくる。
まだまだ、蓋をされないうちに、霊界はもう必死なわけだ。
もう霊界の者たちは、とうに知らされている。
何故なら、もう立て分けが、既に起こっているからだ。
もう地獄の門番に、相応の理で逝かされては、これ、よっぽどの改心、改魂、否々、中々その様なる修行を与えれば、与えられれば難しいという風に、地獄界の修行。
もし、目の前の家族、または友人知人の中で、地獄界に逝きそうだなと思えるような者に出会ったとしたならば、蓋をされないうちに、どうかどうか、お導きさせて頂こうという事が、救いという風になるわけだ。
苦しいの苦(く)から、この救(きゅう)という風に、どちらも呼ばせている数霊だ。
パーポーパーポーパーポーとサイレン鳴らしながら、救急車が、それはそれは、そこどけそこどけで、急いで病院に連れて行く。
地獄界は、そうは鳴らぬが、まあ、パーポーパーポーと鳴らすとしたならば、これ、世間でうるさいのなんのっていう風になるであろうなー、うん。
どっちに逝ったのやら、大よそは、死相で分かる、うーん。
眠ったように、又は笑ってるように、そのようなるお顔であの世に逝く者は、相応で天国だ。
間違いなく、天国である。
例え、その前に、どんなに苦しい修行だったとしても、浄化だったとしてもだ。
本人が、感謝とお詫びという想念を持って、あの世に逝かれたということだ、うん。
よは、何度も申すが、終わりが大事。
最後が肝心。
最後は、最後のようでいて、始まりである。
それを思えば、肝心となるわけだ、うーん。
急がねばならぬ事というのは、まず自分の想念を立て替える。
そうして、目の前に現れる人を救わせて頂こうという思いが大事。
又は、逆の場合もある。
「あの人、話聞いてくれるだけで、落ち着くなー」と思えば、そのようにする、して頂くという事。
つまりは、自分にとって、何かしら必要あるから現れるわけだ、うん。
何せこの者、例えばの話だが、平安時代、国ごとに色々と、まあ、国を治めるために、陰陽師で働いたわけであるから、その関わりの御縁たちが、救いを求めてやってくるわけだ。
神の光は、御霊たちからは見えるわけだ。
姿は見えねども、主晴が見せているわけだ。
だから、この現世において、主晴は人として生まれさせ、そういった者たちにも出会わせているという風になっているという事。
出会いがなければ、出会えない、そういう仕組みだ。
霊界、その上に神霊界、その場所に、そこにいるメシアたちは、この現界に降り立つわけであるが、彼らは、霊界という所は一度も逝った事はないが、探訪はさせた事がある。
この現世において、主晴は、霊界探訪させたわけだ。
そして、この者にも、同じようなる仕組みを起こさせた。
傍から見たら、分かりにくい。
然れども、そうだ。
神も、苦渋の選択をすることがある。
周りもこれは、この方法は、中々もって、色んな意味合いで、苦しいだろうなーということさえも、させるわけだ。
そして、摩訶不思議なること、本人は体験するわけだ。
選択するために、洗濯だ。
大いにこれ、この様になっているわけだ。
魂の洗濯というものは、一度にこれ、例えば、異次元の世界、体験させるとなると、そこ、パラレルワールドに移行させるわけであるから、時空間、こちらと全く違うわけでありてこれ、見える世界、いる世界、全く違う。
何せ、地獄界の者達は、肉体が無いから、この者にとっては、透明に見えたわけだ、うん。
そして、色んな地獄界を見せてきた。
あーそういう世界、本当にあるんだということだ。
然れども、この者は、光のUFOに乗せたまま、色んな霊界を見せてきたわけであるから、本人は苦しくもなんともないが、まあ、いずれにせよ、そういう世界が、本当にあるんだという事を伝えさせる為に、体験させる。
まあ、昔の陰陽師の時も同じようなる事、起こさせた。
主晴にもだ、うん。
主晴は、勿論、天国界も探訪させておるが、だから素晴らしさがよーく分かっているわけなりよ。
たまに、人間界にも、夢の中でも、天国の体験をさせるという様な事もある。
夢なのか、現実なのか、どちらか分からない様な体験。
そういう時は、そういう異次元に旅している場合も、多くあるわけだ。
自分が感じて、そうだと思えば、それでよしと、自分しか分からないし、人に同意を求める必要は、何ら無いわけだ。
瞬間移動も、分身も、そういった、摩訶不思議だと思える事は、ちっともこちら側は摩訶不思議でも、何でもない。
そもそも、超能力の時代は、当たり前だったのが、レムリア時代。
だからこそ、今の時代もそういった能力のある者が、同じようなる体験をさせているという事。
ま、本人がエスパーでなくても、エスパーの者を憑けているという場合、多くあり。
まあ、エスパー同士は、どうしても関係してくるから、大いにあるが、でも、タケルは、レムリア時代は博士だったから、そういった事で、いい事にもそうでない事にも使われたということがあった。
此度は、是非是非いいことに、大いに役立ってほしいという事だ、うん。
救、これも急、これも9、落ちていきそうな御魂は、この様に、急いで救うという風に、心の運ぶねになるべし。
今日は、何日?
タケル「4日です」
何の日?
タケル「はい、立春です」
それは、どういう日?
タケル「神のお正月です」
うん、うんうん、めでたい日だ。
本当に、めでたい日。
私は、日の神。

日の神様    2019年2月4日 夜11時11分~11時35分


さすがにね、春らしく段々とね、なってきましたねー、うーん、ねー。
春が立ち上がる、立春だ。
春という言霊は、勿論こちらにも繋がってます。
(晴という字を書かれる)
やはり、雲や雨よりも、晴れの方が、ルンルンという感じするよね。
やはり、お日様というのは、本当にエネルギーたっぷりですから、でも、必要あって、曇りや雨がある。
自分の心も、そういう事。
いつも晴でなければならないという事は、本当にない。
疲れている時は、ちょっと休む、ね。
休憩っていうのも大事。
そういう時は、横になったり、好きな所行ったり、好きな風景見たり、好きな事したり、好きな食べ物食べたり、自分にも本当に、ね、暖かな春のように、晴れやかなる心になれる様なこと、大事なんだわ。
本当にこういう事って、大事なんですよ。
あまりね、時間が無ければ、お友達とメール交換でね。
まあ、メール交換も長ったらしかったら、またね、大変でしょうけど、うん。
そういう風に、心の交流ね。
好きな人だったら、そういう感じ。
一人がが好きな人なら、プラ―ッとね。
色んな電車、乗ってね、色んな景色を見る、ね。
色々好きなことって、皆違うから、うん。
よはね、心晴れるということが大事なんですよ、本当に。
晴れ晴れだ、うん。
今日は、めでたい日ですから、神様ね、ハレバレだって思うでしょう。
ハレっていうのと、ハレというのと、両方言ってるよね、私。
晴れるけど、片方はバレていくっていう仕組みが、本当にこの立春の日を期に、まずます極端化してきます・
自分にとって、という考え方。
例えば、自分に親切、ね。
何かと気遣ってくれる、ね。
そういう人が、いい人、ね。
振り向いてもくれなかったら、悪い人ですか?
だから、御縁なんですよ、どこまでもね。
そういう見方は、しないようにするといいな、うん。
噂だけでね、あの人は、どうも、いい噂、聞かないよね。
本人が会ってもいなくて、本人同士が、自分自身がですよ、どういう御縁か分からないわけでしょう?
まあ、よっぽどね、何かね、もの凄い悪いこと犯した人は、そう見ても仕方のない事もありますけども。噂というのは分からない。
本多くんも、美味しいラーメン屋さんだと思って、並んでいるから、自分が食べてみたら、全然美味しくないという体験あったでしょう。
そういうことって、本当によくある話なの、うん。
あの人、本当に立派な人だよー、ね。
誰かが宣伝した、ね。
そして、実際に会ってみた。
自分にとっては、そうでもなかったら、そういう風に思い込む必要」はないでしょう?
ですから、分からないものなんです、本当に。
でも、立派とか、立派じゃないっていう考え方ではなくて、その人の持ち味というものあるから、ね。
いい所を見て、そうでない所は目を瞑るっていう、そういうね、なるべくなら、悪想念を自分自身が抱かない様にすることが大事なのよ、うん。
「人は、色々いるからねー」という一言で良しだ。
自分だって癖だらけなんですもの。
そうでしょう。
私だって、癖だらけですよ、本当に、ねー。
そうなんですよー。
本当に癖だらけですから、ね。
私は、主晴(スバル )。

主晴様   ~11時41分