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日の神・主晴

充実した人生とは、個性を活かす事

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年二月五日

全ての文字というのは、チョンから始まるわけだ。
習字は、分かりやすい。
筆がそうなっている。
チョンと降ろしただけで、御霊(みたま)の様なる形をするわけだ、うん。
そうしてはという風に、また押さえるわけだ。
撥ねるということもある。
逆に撥ねるということもある。
色んな文章は、いろんな文字にて成り立ち、チョンからという風に、全てこの言霊は、始まっているということ。
すなわち、言葉一つ一つ、お文字一つ一つに、御霊(みたま)あり。
であるから、文字を書くという風に、手紙というのは、その感情、思いが、筆に載るわけだ、うん。
この者、真剣に我に手紙を与えたしか、否かという風に、武将同士は、腹の底の底の底を探ってくるわけだ。
建て前なのか、本音なのかという風なる、その文章、ハハハ。
なにせ自分の城、自分の国のこれ、未来がかかってくるわけだ。
どちらにつこうか、迷いどころ、うーん。
特に、これ、天下分け目の時は、かなりの迷いどころがあったはずだ。
勝ち組に応援する事が、自分にとって勝ちなのか、自分の心、ス直に従うことが、自分にとって勝ちなのか、その勝ちも、価値観によって違うわけだ、ハハハ。
要領のいいもの、これ、高みの見物という者もあったハハハ。
命惜しいが為に、そういう事する者もおるし、迷いどころとなったわけだ、うん。
いずれにせよ、文字というもの、言葉というものは、思いが入るとなるわけである。
だが今は、機械化の時代だ、うーん。
誰が打っても、ワードの文字は、まあ変換しだいで、同じとなるであろうとなるが、これ、その文章の奥の奥というのは、本来はス直に表われておるなりよ。
隠そうと思いyても、何かしら、これ、相手に伝わる時代だ、うーん。
それが、重々分かっていても、敢えてこれ、嘘も方便という風に使う者も、勿論おる。
重々の重だ。
今日は、何という字、はい?
タケル「十です」
ハハハ。
自分と相手、我が城と、相手の城、そういった前世においての繋がりが、どうしても今世に関わってくるわけだ、うーん。
直前世というのは、まさしく分かりやすくなっている。
特に、直前世の、なにがしという風なる人物、知らされた者たちは、横の関係が、見える見えるとなるわけである。
真実の歴史は、ここにある、うん。
十というのは、色んな意味合いがあるが、こちらの十や、重々承知。
重い重いの重、充実という風に、充ちるという充だ。
この十というのは、いくつものいくつもの、結び目というものがあるわけだ。
例えば、こういう風に、想念界が、上がったり下がったりという風なこと。
まあ、物質界で言えば、山に登ったり、下ったりということもある、うん。
右についたり、左についたり、うーん。
Aさんと仲良くなったり、又はBさんと仲良くなったり、どちらも仲良くなることもあるが、そういうわけにもいかない時もあるわけだ。
このようにして、色々とその時その時の自分というもの、全ていくら様でも、これ、変えようという風に思うのであれば、変えれることも然り。
変えれぬようなこともあるわけだ。
例えば、ある会社に入った。
ある規則があった。
それに従わねば、これ、退社となってしまう。
そうして、上司に言われたままにするしかないということもあれば、自由にしているところもあるり、色々だ。
学校も、そうである。
家庭もそうだ、うん。
「何時までに帰ってきなさいよ」
子供に、よく言う。
「その時間が過ぎたら、鍵かけてしまうわよ」
母は、愛情をもって言うが、子供にとっては、もっと自由にしてほしいという風に、今度は不満をもってくるわけだ。
「もう、僕は、こんなに大きくなったのに、小さな時と、扱いが全く変わらない。周りのものたちは、もっと自由にしているのに、なんで俺だけ、こんな目に合うんだろう。全く、あの家は、いやだな」
まあ、色々それぞれ起こってくるわけだ。
であるから、同じ状況下というのは、何一つない。
人は、みんな違う世界に、実はいるわけである。
その時の環境、その時の思い、その時の立場、その時の役割、その時すること、しなければいけないこと、等々がある。
行きたくもないのに、塾に行かされたり、全くつまんないのに、強制的なる事。
それもよくある話だ。
それでプロになりたいなんて、思ってもいないのに、と言いながら、子供はブツブツ、それでも従ってしまう、うーん。
どうしても、この社会は、金太郎飴という風なる、これ風潮。
誰もが、頭が良しという風なる事。
良き学校、良き会社、それが、良き人生、うーん。
前にもこれ、申した事があるが、自分がやりたいことは、まず何なのかという事も、もう消されてしまっている。
本来ならば、子供の頃から、
「ああ、僕、又は、私はこういう事が好きなんだな。大きくなったら、そういう風になりたいな」
という夢。
ところがどっこい、いい学校、いい会社、そして、女の子だったら、いい旦那さん。
どこがいいのか、悪いのか、という風に、どこも金太郎飴だ。
個性を磨くという、自分が本当にやりたいこと、達成したい夢。
それが、充実した人生と言えるのではないだろうか。
右から左。
クレーンじゃないんだから、ハハハ。
ズズズ―ッと、クレーンが引き上げて、自分のズボンのベルトあたり、ズズズ―ッと上にあげて、ヒョイと行きたくもないのに、乗せられてしまう様な所。
「あーあ、俺の人生、言いなりだ」
それも、一生だと思うと、その子は大人になった時に、後悔する時が、もし来たとしたならば、うーん、考えものである。
その子にとっては、一生ものなわけだ。
「今世、充実した人生とは呼べなかったな」
あの世に帰った時に、思ったとしたならば、これぐらい悲しいことはないであろうと、神は思う。
そうではなくて、子供のうちに、親は、又は、先生が、
「この子は、こういうところが、他の方よりも、まあ、比べるものではないけれど、どうも好きそうだし、長けているように見えるから、伸ばしたら、いかがでしょうかね」
という風になることだ、うーん。
子供は、右に習えで、ベルトコンベアーみたいに、なんか同じ様なるダダンダダンダダンダダンて、毎日繰り返される。
学校に行ったと思ったら、山盛りてんこ盛り宿題もやらなければいけない。
山盛りてんこ盛り、なにやら習いものもやらなければいけない。
遊ぶ暇がない。
子供にとって、遊ぶということは、どういうことか?
心を養うことだ。
子供だから、子供ならではで、遊ぶこと。
昭和の子供達は、ドロだらけになって、川らで遊んだり、道路に、まあ道端に絵を描いたり、ま、色んな」ことをしたわけだ。
でも親は、誰も怒らない。
鐘が鳴る。
カラスがカーカー、帰っておいでという歌が流れる。
そして子供達は、お家に帰って、目一杯、精一杯、一日を生きたわけだ。
そういった昭和の子供達は、間違いなく、今の時代の子供達よりも、心が充実していたはずだ。
満たされていたはずだ。
金太郎飴なんて、嫌だ。
どこを切っても同じということは、どの者見ても同じ、個性がないように、うーん。
まあ、それも好きで選ぶ者はよし、うん。
だが、僕は違う、私は違うと、もし子供達が気付いたのなら また親が、そういう風に気付いてあげたのなら、否、気付くべきだという風に、この個性を生かすということだ。
それは、古の昔、個人個人に与えたる、神からの贈り物が、個性である。
何十億いたところで、誰一人として、同じ個性はない。
個人個人に、全ての者に与えてきたわけだ。
いつの頃からか、ベルトコンベアー、うーん。
人生、それで良いのかとなるわけだ、うん。
十字に組む。
何事もよきこと、十字に組んでいこうという風にしていく。
まだ間に合う、子供たちの個性、磨いて、それをお手伝いさせて頂いて、そうしてなりたい職業、それを見出すことができたら、そこに夢を叶えていく。
うーん、最高だ。
十は、充実の充、まさしく、十字に組む、うん。
本当にこれ、古、古き良き時代に、子供だった方々は、それは危険なこともおかし、大怪我したり、親を泣かせたりしたこともあるであろう。
然しながらも、子供の時期ならではの冒険。
大人になって、誰がするかとなるわけだ。
雪降っただけで、大わらわ。
子供の頃は、嬉しくて楽しくて、ルンルン気分だ。
「ああ、降ってきたなー。明日、雪だるまを作ろう」
全くこの思いが違ってくるわけだ。
だから、その時に、その純粋なる子供心。
今でも、それは遅くはない。
大人になってからでも、
「私は、こういう事が、本当に好きなんだ」
ということに、もし気付いたのであれば、その夢、叶う、叶えるべし、うん。
世のため、人のためになることであれば、必ずや神、応援するなりよ。
今日は、何日?
タケル「5日です」
昭和に、戻るわけにはいかない。
勿論、それはそうだ。
昭和の頃の体験した、昔ながらの遊び、実に復活すると良いなーと、神を思う。
どれだけ、子供たちは喜ぶかだ。
バーチャルなゲームばかり、やらせてないで、本物の虫たちと、遊ばせる事だ。
図鑑などでは、波動は伝わらない。
昭和の時代が、おじいさん、おばあさんや、父母であった方々、今の子供、孫達に、是非、この昭和の時代の遊び方を、少しでもお話したり、体感させて頂きたい。
私は、日の神。

日の神様    2019年2月5日 夜11時11分~11時33分



古いという字はね、よーく見なくてもね、十と書いて、口と書くんだわ。
本当に充実した時代だったよ、うん。
手塚治虫(おさむ)さんていうね、有名な、日本第一任者といえる漫画家。
治虫から、治虫(おさむ)という名前を付けられた。
虫好きな人が、大好き大好きでね、そういう名前で、漫画家になった。
ですから、彼も、自分のね、子供の頃から生き方が、漫画に現れているんですよね。
やはり、こういうことって、作品に必ず現れるもなんだ。
他の漫画達も、まあ漫画家だけではなくて、芸術家達は、そうなんですよ。
自分の思いますというもの、入りますから、はい。
いつかの時代にやってきたことが、古だ。
同じようなこと繰り返している。
本当にそうなんですよ、ね。好きなこと、やっていこう。
タケル「はい」
本多君もそうだよ。
我慢することない。
タケル「はい」
今年は、大きなこともやってくださいね、はい。
主晴(スバル )。

主晴様   ~11時35分
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