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日の神・主晴

もののけ(黄)、ものには全て氣が宿る

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年二月九日

(十四と書かれる)
重要なること。
自分にとって重要なること、世の中にとって重要なること、色々ある。
神、重大であり、これが重要なることというのは、これも与えられるべくしての情報となるわけであるが、これ、必ずそこに意味深い、伝えるべき事が入りてのことで、実にこれ、重視したること、記憶に留めておくべきこと。
記録されることというのは、その様に、その者に与えられることなわけだ。
よは、記す、記されるという、記録を記憶させる。
世の中、多くの多くのこれ、情報というものが、はびこっている時代であるが、その中において、何を重視すべきかということ。
その者にとって、必要であるから、目にしたり、耳に入ったりという風になるわけであり、
「あら、あなた、こんなことも知らないの?」
と、如何にもこれ、みんなが知っているからといって、別に知らなくても不思議ではないわけである。
知っておいて方が、よきかなーということも、多くある、 うん。
だが人は、この記憶という事、忘却するということに意味ありてこれ、、 忘れさせるべくして忘れさせられる。
相手は覚えていなくも、本人が忘れず、またはその逆もありて、
「あんなことも覚えてないんだ」
よくある話である。
記憶力というのは、これもまさしく与えられたるものでありて、まあ今世だけではなくて、もし前世、今迄ずっと記憶しているのであれば、これ、膨大なる、それこそ情報となってしまうから、この世に、また生まれ変わるときには、脳には記録されていても、記憶というもの、忘却されて、生まれてくるわけだ。
「ここで会ったが、百年目」なんて、毎度毎度、人に会う度に覚えていたら、
タケル「(噴き出す)」
とんでもなことになりかねない。
「あやつだなー、裏切ったのは」
ハハハ。
いらない記憶である、ハハハ。
しかし、残念ながら同じようなること、起こしかねないということが、「見返りの理」。
然れども、全てが全て、返ってきているわけでは、勿論ない。
そんなことやったら、毎日、戦だ。
考えてもみなさいということ。
まあ、あなた達が戦国時代、何がしで戦っていたのであれば、これ、毎日毎日、毎夜毎夜、寝てもいられないとなる、ハハハ。
押し寄せてくるかもしれないという、恐怖感。
だから、忘れるということは、ありがたみも、大いにあるのだよーということだ、うーん。
もし家族の中に、敵同士でこれ、縁結びとなった者にとっては、とんでもない、まあ人生だろうがこれ、いずれにしろ、何かしらで返ってくる、うーん。
だから、主晴も、バツイチ、バツ二という言い方は違うよと申すなりよ。
忘れることへの感謝と、覚えることへの感謝だ。
どちらもこれ、必要で起きているわけだ。
まあ、相手が楽しい思い出を覚えていて、本人が全くもって、忘れていたとしたならば、少し残念ということもあるであろうが、それはそれ。
とにかく、こういう風に、必要、必然、よは必ず起こるということなわけである。
神が成らしての「神成らず」(かならず)、そうして然りとなるわけだ。
神は忘れはしない。
一切の記録を持ち合わせているから、これ、ハハハ、まあ神が忘れたら、とんでもないことになってしまうから、 最後の審判だって、ハハハ、できやしないわけだ。
その者その者は、御魂の計りにかけられて、「あっち」、「こっち」、「そっち」、という風に、ハハハ、振り分けられる時がくる。
その時に、慌てても遅いよということ。
前にも申したが、感謝される人は、神にも感謝となるわけだ。
「よく、あのものに優しくしてくれたね、ありがとう」
となる。
それは、人だけではなくて、虫や動物たちにもだ。
瀕死になったような動物さんを、助けた。
お腹をすかしていたところを、そのたった一つの思いやりで、命を助けたということは、森に住む山の神、これは、生きとし生けるもの、全て全てを司っている神。
「大山祇の神」(おおやまずみのかみ)という神がおる。
人類界というのは、山を切り崩し、ドンドンドンドンと、動物たちの住まう所を無くしてきた。
食べ物が無くなるから、山里に行く。
それを、毛嫌いする人間たち。
そうして、動物たちを殺めていく。
それは、山の神も怒るであろうとなる。
「もののけ」というのは、「け」というのは、「氣」でありてこれ、全て神羅万象に「氣」が宿り、御霊(みたま)が宿っているわけだ。
あのアニメの、「こだま」が沢山映っておるが、全ての御霊、一つ一つが命なわけだ。
どれだけの命、宿っているかという風なることである。
山がまだ元気なうちに、無駄に木を倒したり、その様なことをするのではなくて、生かしていく。
世の建て替えというのは、そういうことだ。
無駄にするのではなくて、再活用していくようにする。
人間、悪さをする者もおれば、良きことをする者もおるなりよ。
自然破壊ではなくて、自然復活するように、一人一人が心がけていく。
森の動物たちも、虫たちも、草たちも、みんな共存していく。
そのように心がけるということが大事だ。
山里に住みながらも、未だもって毒を撒いている農家の方たち。
まだまだ騙されている方々が多いわけだ。
そんな、薬を振り撒かなくても、程度こそあれど、青虫さんが食べたキャベツだって、いいではないかとなる。
否、食べてもらえるぐらいでないと、食べ物と言えぬとなるわけだ。
そら、恐ろしや。
自らが汚し、 自らが汚されている。
それが、浅はかな人類界だ。
動物達を見よ!
人間に何かしてきたか!
虫達が何かをしてきたか!
あの映画は、命を語っている。
だから、共感する。
胸に打つものがあるわけだ、うん 。
やはり、作家の中で、世界に発信すべきテーマを降ろされてはこれ、世に発表する者たちは、 神の使いそのものである。
ただ面白かった、感動しただけではなくて、 そういう心根を、自分なりに繋げていく。
何かしらに形にしていく。
人に、感想を言っては、まあ見ていようと、見ていまいと、そういうことではない。
ただ大事なるテーマが、まだまだ多く、作品の中にあるわけだ。
違う作者も、勿論のこと、 アニメというのは、子供が見る漫画ではない。
嘗て昔、子供だった大人達にこそ、見せるべきだ。
自分たちは、大自然の中で育ち、古き良き時代に生まれ育った者たち。
今の子供達は、破壊された後で、虫や動物も、図鑑で済ませたり、博物館で済ませたりという風に、そうではなくて、生の本当にそこに住まう動物たち、偶然、否々、見せるもの、の聞かせるもの、全て必然と申しておるから、これ、山道走って、たまたま鹿に出会っているのではない。
山の神が、見せておるのだ。
「生きとし生ける動物たちの、ここは住まいだよ」
いうことだ。
後で道路を作ったのは人間だ。
それは、必要あってのことだ。
だが、そこには動物たちもいるということを忘れず、あまりスピードを上げずに、ほどほどにすれば、大ごとは起こらないとなるわけだ。
よく崖崩れ、山崩れ、起こしやすい所というのは、もうそこの土、氣というもの、根ぐされを起こしたり、何かしらこれ、意味ありて、そういうことを起こされる。
狼は、これではない。
獣の狼ではあるが、これだ。
ましてや白く、大きい大神(おおかみ)だ、の使いとなる。
タケルを守ったのは、神の使いのもの、狼た。
だから、挨拶に来るわけだ、ハハハ。
リアル・アニメーションだ、ハハハ。
今日は、何日?
タケル「9日です」
うーん。
(31は、最・さい)
何回、同じこと言っても、又、神様が、最高の最と言うたろうという風に、神もしつこくそう申す。
とにかく、「生きものたちの命というものを、大切にせよ」ということだ。
私は、日の神。

日の神様    2019年2月9日 夜11時11分~11時31分



今日だったんですねー、うーん。
神様もにくいねー。
先にアニメに見せてね、にくいねの今日は2月9日です。
(29は、にくい)
うーん、本当に、その時、その瞬間が旬だっていうけど、神様は文句は言わないんだわ。
この旬ですよ、
文句の句みたいだけどね。
ここに一本入って、旬になる、ね。
タケル「(笑う)」
私は、主晴(スバル )。

主晴様   ~11時33分
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