日の神・主晴

心の春、夢に向かって芽吹かせよ

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年二月二十三日

春になったら、春一番というのが起こるが、皆もこれ、春に一番に何を思うか、何を芽吹かせるのかとなる。
やはり、冬から春に移り変わりては、心も暖かく、又、ムクムクと芽も芽吹いてくるという、新たなる季節がやってくるわけだ
その時に春一番の風、吹き払うということだ。
今まで閉ざされていた長ーい冬、まあ、心の冬だ。
凍えるようなこともあった。
だけれども、なんとか乗り越えた、という風に、心の冬から、今度は心の春へと移り変わる時。
季節は、当然これ、四季折々のエネルギーというものが、皆違うわけだ。
新たなる、始まるということが、春のエネルギーである。
だからこそ、芽、心の芽、自分の中に、また新たに植える芽。
もう根腐れ起こしている芽もあるという風に、人にはそれぞれ、まあ悩み苦しみ、悶々としたことを、心の中に自然と植え付けられているわけだ。
いつまでたっても、これ、過去に捉われている者というのは、まあ長ーいこと、もう長ーい年月経っているのに、まだクヨクヨクヨクヨ、それでは新たなることに期待するより、これ、ワクワクより、クヨクヨの方が、多くなってくるわけである。
だから、拭き払えと申すわけだ。
春一番は、心晴れる一番だ。
さあて、また頑張るぞという風に、新たなるやる気というものを起こしていく。
やる気次第である。
人生というのは、いくらようでも、これ、やる気次第だ。
やるかやらないかは、それこそ、気そのもので変わってしまうわけだ。
あれだけ希望を持って進んでいたことが、何かちょっと、石ころにつまずいては、あらあら転んでしまった。
もうその希望とやらが、どっかに失せてしまったというようなること。
まあ、諦めが肝心ということもあるが、それこそ自分の希望とすることであるならば、簡単に諦めずに、一歩一歩、一段一段昇るべしという風に、神は思う次第だ。
どうしてもこれ、中には叶えそうもない夢というものもあるやもしれない、うん。
例えば、木星に行きたいなと思っても、今の時代じゃ難しいわけだ 。
それは極端な話ではあるが、これ、無理な話というものも、無理そうな話というものも、人はそれぞれ主観でものを考えるわけでありて、これ、そうか 黙想して、頭の中で旅をすれば良し。
まあ瞑想とも言うが、目を閉じると、周りの景色に捉われぬとなる。
そうしては、行きたい所に行ってこようという風に、想念が旅するわけだ。
思考の旅というのは、自由自在。
実は、それが本当にこれ、実現化する場合もあるわけである。
思考は現実化と、よく聞くであろうが、
「何この人、大きなこと言ってるの。
そんな風になるわけないじゃないの」
と、傍目は思ったり言ったりする場合もあるわけであろう。
だが自分が決めたこと、自分が希望したこと、そこに向かってるということに、神は応援。
まあ事情によって、応援できぬ場合もあるであろうが、 神応援すれば、可能となるとなってくるわけである。
だから、決めつけぬということ。
希望の壁は、自分で作らず、自由自在に思うことだ。
だから、木星という風に旅をしたいと思ったら、目を閉じて空想の世界で行ってみる、うん。
そういう物語も面白いとなってきたりする。
それを小説にしたり、マンガにしたりと、自由自在。
謂わば、何を申したいかと申すと、そう簡単に諦めるなということだ。
芽吹く心は、それこそ、湧きいずることだ。
今迄は、ずっと土の中。
そうして、ポコッと芽が出て、双葉になって、スルスルと成長していく。
心の芽だ。
もしかしたら、それが大樹になるかもしれない。
大樹じゃなくとも、まあそこそこの、木の芽かもしれない。
又は、草かもしれない。
花かもしれない。
とにかく、それぞれであるが、空に向かって伸びていく姿というのは、まあ、それが成長というわけであるが、植物が空に、神の世界に近づいているわけだ。
伸びよう伸びようをする姿。
植物は根付いたら、そこにジ―ッと、住む場所は決まってしまう。
昆虫や動物たちのように移動が自由にできない分、上へ上へという風に育っていく。
そしてそれが、また種となり新たなる命が芽吹いてくる。
自分の心の目は、それこそ育って育って、実になった時に、そこからまた新たなる芽が芽吹くやもしれぬと、そうなってくると、それこそこれ、面白い展開となってくるわけだ。
だから、思考の世界で、色んなこれ、計画ということを考えては、図にしたり、文章にしたり、表にしたりという風に、目で見てのこれ、絵なり、字なり、御霊(みたま)にまた、エネルギー、これ賜わるわけであるから、現実化というもの、起こしやすくなってくるわけだ。
神、結果はまあ見えているが、実は人生というものは、結果よりも経過ということが、実に楽しかったり、面白かったり、やりがいがあったり、色んなこれ、体験というものするわけである。
一つの山登ったら、別の山登ってみようと、人は思ったりするわけだ。
どうしても、だから一つの山、頑張って登ろうとする。
頂上に向かって、どんな景色かなーと、ワクワクするわけだ。
であるからこそ、達成する前の途中が、実は生き甲斐というものを感じとれるわけだ。
登山というものは、これ、険しかったり、なだらかだったり、色々だが、そこに咲いている、名もない花。
まあ、高山植物というのは、とても愛らしく、かわいらしい。
「こんな所に、こんな可憐な花が」
まさしくそれは、本当に、山の神からの贈り物と言えるわけだ。
頑張って、ここまで来れて良かった。
こんなに可愛らしいお花さんに出会えるんだとなる。
景色もそうだ。
登ってみなければ、見えない景色だ。
上へ上へと、登れば登るほど、それこそ周りが見えてくるとなる。
霊層界というものは、そういうもので、ドンドン上がれば上がるほど、見えてくるわけだ。
そうなってくると、今度は、何度も申すが上昇気流に乗る場合、乗せていただく場合は、今度は黙ってでも運んでくれるとなるわけだ。
実にそういう世界があるということ。
だからこそ、夢というもの諦めずに、それを生き甲斐として、頑張るということが大事だ、うん。
今日は、何の数霊?
タケル「うんと、二十八です」
うん。
相反するもの、ドンドンと戸は開いていく。
自分の人生の扉、開いていくわけだ。
今迄は、三割ぐらいだった、
だから、三割ぐらいの人が出たり、入ったり。
もっともっと開いていく。
そうすると、もっともっと見に来てくれる、出会う。
そのようにして、十八というのは、これ(十)もうイコール戸、これ(八)が、開くだ。
そして、神開く(十八)でもある。
目の前に扉というものは、実はいくつもいくつもある。
だが、一つしか選べぬ。
一本の道しか歩めぬからだ。
常に、これ、選択しているということ。
「ああ、明日はこういう予定だったけど、別な所でまた面白そうな事やっているわね。
どうしようかな?」
という風に選択してみる。
もし、Aという扉であれば、予定通り、もう予約されているわけだから、坐る席も決まっているわけだ。
Bの扉は、予約していないから、何が起こるやも分からなくなっているという風になっているわけである。
もしかしたら、その扉、もういっぱいいっぱいで、入れないかもしれないが、Aを断わって、何かBの所に行きたいと思うから、そうしようと決めたとしよう。
実はこれは、もう始めからBという風に決まっていたことであるが、人はそれ分からず、常に常に選択という風になっているわけだ。
何故?
結果が読めない、分からない、未来が見えないからだ。
でも実はもうすでに、霊界では、前もって準備というものなっているから、決まっているということ。
そしたら案の定、Aの所に行かなくて良かったという結果が生まれたとします。
何かしら、そこがアクシデントを起こして、とんでもないことになったとする。
だから、守護霊の御働きで、Bを選んだという風なことだ。
人生というものは、この守護霊の御働きというもの、必ずこれ、否々セットで神は仕組んでいるからこそ、自分の霊層界、少しでも高くなると、見晴らしのいい景色の見える守護霊が担当するわけだ。
低い霊層界だと、それなりに低い守護霊だから、10合目の守護霊よりは、もう5合目しか見えぬわけであるから、それこそ見晴らしがあまりよろしくないとなってくるわけだ。
だから、少しでも昇華すべしということだ。
今日は、何日?
タケル「23日です」
実に、この守護霊の御働きは、目に見えないからこそ、自分が昇華したら交代、自分が堕落しても交代だ。
サンサン(33)の神。

日の神様    2019年2月23日 夜11時11分~11時33分

夢を実現化しましょう
主晴(スバル )。

主晴様   ~11時41分