日の神・主晴

人生の旅で出会う人、毎度同じ面々なり

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年二月二十四日

人というのは、旅をしているようなもんだ。
度々の出会わされての、何度も何度も同じ面々、何たび出会わされているか、何度出会わされているかだ。
御一行様ですとなる、ハハハ。
今出会うている者たちが、真中心になる面々だ
というか、戦国時代は、歴史にまだ名を残したり、物事の記述が残っていたりということがありて、これ、レムリア時代は全くないわけであるから、そういった面では分かりやすいとなるわけだ。
まあ、歴史詳しい者と、そうでない者との、両極端が、周りにおるわけだ。
詳しい者は、本当に詳しい。
知らない者は、徹底してこれ、知らないという、この両極端。
何でもそういう風に、自分が興味を持つもの、専門的としているもの、そうでないものということが分かるわけである、うん。
まあ、ただ自分のことぐらいは、過去世を知らせている者。
「ああ、歴史は分からないけど、こういう人物だということ、教わったわ。
じゃあ、横の関係、どうなっているのかしら?」
うん、分かりやすい。
そのようにして、身近なる者、今、出会うているわけだ。
だからこそ、これからが肝心となる。
戦のある時代は、もう終わり。
これからは、和の文明へと移行するからだ。
まあ、元々これ、上からの命令で、敵味方という風に、見かけは敵、中味は味方、又は、その逆もあるわけである、うん。
旅行、好きな所に旅をする。
今迄、行きたかった所、人から薦めてくださった所、御縁を感じる所などなど、そういう風に人は、旅というもの、しようとしたり、したいと思ったりするわけだ。
やはり、これ、幾度となく、国内外関わらず、縁のある地へと、そこに出会う者、目に見えない者たちも含めて、
「また出会いましたね」
という風になっているわけだ。
まあ、しょっちゅうしょっちゅう、海外旅行などは、そんなに回数も限られているであろうが、これ、、最も行きたい所、行きたかった所、または導かれた所という風に行かされる。
その時代、その地に縁があったということだ。
そうしては、持っている者たちというものも関わってきたりするわけだ。
日本でも、同じことが起こるわけだ。
目には見えなくても、霊界の者たちは、ハッキリと見えているわけだ。
「やっと、主(あるじ)が、お帰りになられたな」
という風に、城の門番がいたとする。
そうして、話しかけるわけであるが、まあ、かなり特殊でない限り、分からない世界だ。
この特殊という、今申したのは、こちら側ということだ。
そういった能力のある者、元々そういったことで、役目をもってきた。
この者の口を借りて、話しかけたりするわけだ。
そうすると、どの時代に、どういうことをしてきたかということ、おおよそ分かってくるわけだ。
分かる、知らされるということに、意味ありて起こるということ。
意味がなかったら、知らせる必要もないわけだ。
何か意図あり、意味あり。
神が、そうさせているわけである。
直前世一つ知るだけでも、おおよその人間関係が見えてくるようになっている。
分かりやすい。
今回は、もう未来に向けての、今、準備が進めているわけだ。
古いことに、捉われるということではない。
過去に捉われるということでは、決してないわけだ。
過去を知ったところで、意味がないという者もあるであろう。
まあ、その者には、意味がないから、知らされないだけでありて、これ、先ほど申したように、必要あらばの者たちだけに、伝えているわけである。
本当に、微妙にもう今が、今の関係が見えてくる。
「だから、あの人、気になるのね。
だから一緒にいたいと思うのだわ」
気の置けない仲間、いるだけで楽しい。
ワイワイワイワイ、お茶飲んだり、ビールを飲んだりという風に、とにかく仲間というのは楽しいものである。
やはりこれ、分かりやすいのが、織田、豊臣、徳川と、この三大武将の家来たちが、周りに大勢いるわだから、見事に、織田から豊臣、そうして徳川に行った者や、織田どまりの者や、織田から、豊臣に行った者や、色々なわけだ。
つまり、織田だという者が、雲隠れしたわけであるから、当然そういう風に流れ、なってくるわけである。
「神は、何故、この三大武将のこと、よく話すのであろうか。
私たちには、あまり関係ないわ」
中には、そういう風に思う者もおるであろう。
関係ある、ないということは、一概には言えないわけだ。
何故?
当時は、そういう風なること、繋がっていたわけだ。
例え、その三大名の家来、関係者じゃなくとも、これ、何らかの関わりというもの持っているということ。
何故、関わるか。
そもそもスバルは、これ、織田だからだ。
その関係上、やはり周り、メインメンバーが集まっているわけだ、うん。
織田というのは、本来ならば、そのままだと、天下取り。
けれども、突然の変わった、何とかの変ということ、起きたから、ハハハ。
変だなあ、と言っているうちに、あれよあれよ。
まあ、当時にしてみれば、そんな馬鹿げたパフォーマンス、起こすなんて思わないわけだ、うーん。
何で変かと言うと、変だからだ、ハハハ。
今の時代のように、隠しカメラがあるわけではない。
ごまかし、いくらでも、これ、パフォーマンス利くわけだ。
それぐらい人類界というのは、戦いのはもうなくして、神ごとに向かうということだ。
豊臣も、徳川も、神ごとが大好きだ。
同じということ。
まあ、愛弟子あるから、織田の言うこと、聞くわけだ。
そういった繋がり、敵なんだか、味方なんだか、心は、みんな味方。
さあ、 いよいよもって、エネルギー一番発する季節、この時に発するエネルギーによって、本当にこれ、エネルギーというものは、種から芽が出る瞬間というのが、殻を破って外に生まれて、ドンドン成長していく、一番のエネルギー。
三月は、実るの三だ。
三位一体の三だ。
とても大事なる数霊だ。
今、そこに向かっているわけだ。
今日の数霊は、はい?
タケル「二十九です」
もうすぐ三十だな。
十九は、まあ、こう書くと二十九、これも29だ。
色々であるが、漢数字、必ずこれ、こういう風に、プラス、十という数字が入ってくる。
プラスにいくにしていく。
自分の至らないところ、相手は持っている。
相手の至らないところ、自分は持っていたとしよう。
だけれども、それは気付きでありて、黙ってても、
「ああ、私はここが足りなかったのだな」
という風に、まず気付いて反省し、補おうと努力する。
片方は気付かないで、そのままとなるわけだ。
まずもって、成長は、自分が気付いて、そうして直そうと努力することだ。
「私、これでいいのよ。
変わりようなんてないわ」
となったら、そうなる。
9という数字は、前にも申したが、ナインだ。
後がもうないんだ。
次は10なわけだが、とにかくこれ、今、この瞬間ということ。
サンキュウのキュウも、このQであるが、今迄、長いこと生きてきた。
また若い人たちは、それなりに今の年齢まで生きてきた。
それだけじゃ、勿論、年齢に従って思うだけであるが、魂年齢というのは分からないものだ。
「ああ、心から、自分はこういうことが好きだ。
誰がなんと言おうとも、大好きだということ。
やってもいないのに、やってみたいと思う。
きっとうまくいくと、そういう感じがするということ。
そういう風に、過去というのは、蘇ってくるものである、うん。
まあ、得意、不得意という、そういう区別ではなくて、上手、下手というそういうことではなくて、自分が好きか、嫌いか、やってみたいか、やらないかという風なることだ。
まず、それに向けて頑張る。
一生をかけて頑張るのも良し。
機関を決めて、頑張るのも良しだ。
誰がなんと言おうと、自分が、「これが大好きだ」ということ。
その生き甲斐が、魂を実に活性化させるわけだ
今迄は、やる気も失せ、何やってもつまらない。
ドヨーン。
ある時、見つけた。
生き甲斐のものを、たまたま見つけた。
否、必然で教えてくれたんだという。
「ああ、これが好きだった。
やったー、じゃあ、やっていこう」
こういう風に、一つでも、否々一つでよし。
それに向けて、努力して、頑張る。
そうして達成した時の達成感とやらは、それはそれは至福であろう。
また完成した時に、周りの者たちも一緒になって、感動してくれたり、そういう風になると、最高となるわけだ、うん。
サンサン(33)の時間だぞーと、ちらりと見たら、そうなっていた。
今日は、何日?
タケル「24日です」
私は、サンサン(33)の神。

日の神様    2019年2月24日 夜11時11分~11時33分


レムリアンセミナー復活してますが、24日の節目の日。
ね、今日も本当によく、皆さん来て下さいました。
レムリア時代というのは、SFの世界のようですけども、本当にこれ。今の時代段々、近付いてきてますね、うーん。
よく似てます。
では、また、お楽しみに。
主晴(スバル )。

主晴様   ~11時41分