日の神・主晴

これからは「物尊」の時代、物を尊ぶこと

日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年二月二十六日

てんは、点であり、天でもあるわけだ。
天というのは、まずもってこの点、天地創造神、主神様は、丸チョンの神とも申し、こういう形霊で示されること、多しなわけだ。
点というのは、まあ、こちらの天であるが、人類界は、見えなくても、聞こえなくても、感じなくても、分からなくても、悟らなくても、天との繋がりというものを、いただいているからこそ、生かされているわけなりよ。
まずもってそこが、肝心となる。
皆、神と繋がっており、これ、神社に行かなければ神様おらぬ。
どこどこの神山に行かなければ、神様おらぬということでは、全くないわけである。
まずもって、天地創造神、主神様、そうして、日の神、月の神の、この三大神だ。
昨日の続きの、今日は山。
この三大神に、繋がっているから、生かされておるわけなりよ。
ここが勿論、神界、ここが霊界だ。
仕組みというものは、面白いもので、神界が起きたことが霊界に起き、霊界が起きたことが、現界に起こってくるわけだ。
必ずこの影響を受けるのが、この現界だ。
地上界である。
山という山、まるまる富士と付くのは、勿論これ、そこの地方、または人工的なる建物も含めて、ピラミドウ。
そこに担当する神々がおわすわけだであるが、富士こそが、この三大神を祀られているわけだ、うん。
まるまる富士と付くものは、またこれ、担当する神々もそれぞれ違うわけでありて、まあ富士山がが本社であれば、まるまる富士は支社。
富士さん本店であれば、まるまる富士は支店。
という風になっているわけであり、そこの土地にてのこれ、み仕組みというもの。
神幽現の、み仕組みの波動装置。
巨大なる波動エネルギーを発しているわけだ。
それだけエネルギーが溜まるということなりよ。
だから、富士を御前にしたりすると、感動する。
何かしら、懐かしさを覚えたり、何とも言えない感動がこみ上げてくるわけだ、うん。
遠くから見るだけでも素晴らしいし、ましてや、登るというのも、これまた素晴らしいわけだ。
富士の教えというもの、富士の山頂はハスの花という風なる教えを説いた者がおり、八方に世界に広ごりてのエネルギーとなっているわけだ。
いつの時代も、まあ、レムリア時代もそうだが、富士山は、富士山だ。
一番大いなる、自然界のピラミドウだ。
神創りたもうたピラミドウなので、またそこが世界の真中心であり、何度もこれ、繰り返す噴火によりての、姿形となってきったわけだが、 それがまさしく世界のスイッチボタンと、主晴にも申させておるわけだ。
まあ最後にこのスイッチボタン、神が押すわけであるが、そうなってくると、「天地かえらく」となる、うん。
そうして、後の文明で、まるまる富士という風に、そびえ立つわけだ。
そこに、三大神が宿っておるわけだ。
そもそも、色んな呼び名で、まるまるの神という風に言っているが、そうごまかしているのも、こちら側。
とにかくピラミドウは、日来御堂(ピラミドウ)。
今日は、この日来御堂の仕組みの、少し奥を伝える。
始まりの時にも、天創造神は、まずもって山、この富士を創りたもうた。
そうして、三大神というもの、担当になったわけだが、その前に創られては、それこそ美しい三角錐、見事に広ごりての、美しき山。
そうしては、幾度も幾度もその山、繰り返し繰り返し同じ所に、そびえ立つわけだが、これ、地下ずーっとずーっと逆三角、逆さ富士というもの、想像するとよし。
表向き、普通に三角の山。
よく湖に映る逆三角の富士。
仕組み的に言うと、その逆三角の富士。
つまりは、表に出ているものが、勿論、陽、地下に潜っていろののが、陰の作用をしているわけだ。
仕組みというものは、そういうもの。
ダイヤモンド富士。
ダイヤモンドの結晶は、この形。
まさしく、富士、逆さ富士、相合わさりての、この形。
何度も申すが、天地創造神の光エネルギーと、日の神の光エネルギー、このチョンの所で相合わさりての、ダイヤモンド富士となるわけだが、これは直々見るのも勿論だが、写真を見ただけでも、そのエネルギーいただけれるわけだ。
最高なる神の光エネルギーだ。
だからこそ、よく、富士の写真や絵を飾る者がおるが、そういった神々エネルギーというものを、自然に賜わっているわけなりよ。
そして、富士は色んな姿というもの、その日、その時よって、毎日姿変わるわけだ。
雲の形も同じように、美しさはどこまでも変わらず、姿変わるわけだが、これ、宇宙の仕組み、陽と陰の容姿を申す。
ある人物、明るい性格、いつ会っても、ニコニコニコニコ、ワッハッハッハー。
周りを笑わせたり、喜ばせたり、という風に、明るい者がおるとする。
ところが、それは表向きだけ。
実は、悩みなどあっても誰にも言わず、悩んで悩んで悩んで、という風なる者も、中にはおるわけだ。
又は、むっつり、日頃から、むっつり。
何考えてるんだか分からないような、無表情の人。
でも実は、物凄い愛ある人で、いざとなったら助け舟を出してくれる。
人にはそういう風に、表と裏というもの、持っているわけだ。
一つではない、何度も申す。
一点だけから人を見るのではないよと申しておるが、自分自身も同じように、色んな面を持っているわけだ。
まあ、昨日と今日は、まずもって、少しずつでも違うであろう。
考えていること、思っていること、違うのは当たり前だが、その中においての、良しとするの選択を、実行しているわけだ。
今までは、今まで。
常に、今が大事。
だが、この今までを、踏み台にして、学びとして、今があるわけである。
だからこそ、経験はものを言うということ。
悩み苦しみも、今まで経験したことないものより、一度でも経験した者は、相手の同じようなること、身にしみて分かるわけだ、うん。
だから、何も無駄一つなし。
ありがたしの世界だ。
陽と陰の仕組みというのは、常に常に起こっている。
だが、先ほど申したように、傍目明るい者でも、悩みを抱えていて、それ誰にも相談できず、という風なること。
行き場がなく、ということもあるわけだ。
だからこそ、人を表だけから見るのではなくて、話の端々に感じることや、目で訴えていることなど、そういう風に、接しさせていただくことが大事だ。
これからの時代は、何が起こるや分からぬとなっている。
今まで、まあ当たり前の世界だったことが、当たり前ではなくなってくるということが、実にこれ、増えてくるわけだ。
そうなると、人間はパニックを起こしやすい。
「今まで、ちょっと、職安に行ったら、仕事をもらえるのに、中々見つからないんだよね」
これは大変なことだ。
「欲しかったもの、買おうと思ったら、物凄い値が上がりしたのよね」
これも大変なことだ。
あるものがなくなったり、ということも多くある。
また、無かったもの増えたりということも、勿論あるが、いずれにせよ、当たり前の世界というのは、何一つないわけだ。
本当に、一つ一つが、どれだけ今まで与えられていたのかと、つくづく身にしみてわかる時が、必ずやってくる。
だからこそ、今を大事にせよと申す。
自分の持ち物も、ポイポイ捨てないで、何か利用できるかな?
人に差し上げて喜ばれるかな?
何か考えるということだ。
これからは、もの一つ一つも大事にせよと申す。
今までの当たり前、いつ店に行っても、買えたものが、突然買えなくなったりすることも増えてくる、うーん。
本当にそうなる。
だからこそ、物を大事にせよ。
再活用できるものを、そのようにせよということだ。
陽と陰の仕組みも、あからさまの時代になってきたから、この陰(かげ)の部分が、今度見えてきたり、分かってきたり知らされたりするわけだ。
何だ、こんな仕組みだったのか。
やらせじゃないかという風なること。
公に流すニュースなどに、そのようにあるわけだ。
ほとんどのもの、気付かず、右往左往している。
を直してほしいわけだ
だからこそ目の前にある真実というものに、向き合うということ。
まず、周りが大事だ。
自分の周り。
遠い外国のことと思うのも分かるが、身近なることを大事にしていく。
物尊という言葉がある。
物を尊ぶことだ。
使い捨て当たり前ではない。
なるべく使い捨て、もう慣れている時代ではあるがこれ、そうではなくて、再利用、再活用できるもの。
昔の物は、そうだった。
だら、できるわけであるから、それ事実である。
今日は、何ていう数霊?
タケル「三十一です」
三十、三位一体なることが、統一。
まさしく、神幽現の統一。
霊体幽体肉体も統一されている。
一見一つ、実は三層になっている、うん。
この世は大きく三層になっているわけだ。
神様、まあ声を出したら、神に必ず届く。
思っただけで届いておるが、これ、まるまるの神様とつけると、その神に届くようになっている。
それはそうだ。
別な神が、何だという風に、返事するわけなし。
だが、これ、なるべくなら順番というもの、まず天地創造の主神様からの順番だ、うん。
今日は、何日?
タケル「26日です」
うーん、早くしてくれ、しれー(40)。
また、この時間だ。
私は、日の神。

日の神様    2019年2月26日 夜11時11分~11時40分

元々、物を捨てないようにしないようにして、なるべく何かに使えるということは、昔の人は、そうだったんだわ。
やはりね、戦後、物がなくなった時代だから、大事に大事にするんだね。
今は、使い捨て、平気だね。
当たり前。
マスクも使い捨て、当たり前、ハハハ。
ね、不思議でしょ?
ですから、見直しましょう。
主晴(スバル )。

主晴様   ~11時41分