日の神・主晴

何とかなるさ、そう思って実行すると、何とかとなってくる

『日神理神示(ひかりしんじ)』 平成三一年三月二日

前世、まあ、過去世繰り返しであるが、元々それなりの身分で生まれた者たちは、自分で働くということの経験が少ないわけであるから、これ、まずもって働くことが苦手という者、多いわけだ。
やはり経験というものが、物を申すわけだ。
何事も経験だ。
まあ、そうは言ってられず、一生懸命頑張って働き口を、捜すわけである。
又は、手に職を持ったものは、そういう風に収入を得るわけである。
このようにして、何度も何度も。又、この地に降りては、経験するわけだ。
そうして上手くなってきたり、上達したり、極めたりという風になっているわけである。
まあ、働くこと苦手でありでも、昔経験した豊かなる暮らしというもの、何となく覚えているわけであるから、今の生活、こんなはずではなかったというようなること、思ったりする者もいるわけだ。
然し、これは、今、上昇気流でなくても、そのうち想念界、霊層界、上昇して、それこそ上昇気流に乗って、人生うまい具合に流れるということ。
そこまで行けば、スーイスイであるわけだ。
何も今、例え、苦労のど真ん中にいたとしても、それなりに楽しいこともあれば、生き甲斐というものも持つこともできたりという風に、一日の中で、一つでも二つでも、そのように喜びを見出せることというのが、魂の活性化に繋がるわけだが、現実的主義という風に考えると、
「老後はどうなるのかな?
念金もあまり貰えそうにもないし」
という風なること、ハハハ、うーん。
これからの時代というのは、ドンドンドンドンとこれ、変容の時期であるからこそ、また思い通りの世界というものを、自分が作り出していくという風になっているわけであるから、本当にこれは、思いの持ち方一つなわけだ
不安になっていると、不安な現象が起こりやすくなってくる。
ビクビクビクビクしているものだから、心配事が増えたり、悩まなくてもいいところで悩んでしまったりという風に、所謂、陥りやすいと いうことだ。
陥る、落ち入る。
一度どん底の沼に陥ってしまうと、なかなか抜けられない、抜けずらいとなりやすいわけだ。
だからこそ、想念の持ち方を、ググーンと、常にアンテナ上に向けて、向き合っていくわけだ。
現実に、今生きているわけであるが、思考の持ち方次第で、本当に世界が変わるわけだ。
実に、今の心の状態ということ。
さてさて、幸せに満ち足りているのか、 不安に陥っているのか、極端にいえばそういうこと。
実は、これは本当に、どう捉えるか、どう捕らわれるからだ。
今、10円玉一個しかないとする。
これ極端な話だが、ハハハ。
「ああ、明日はアメ玉も買えないな」
となる。
でも、何とか食べなくてはいけないから、木の実や山菜もうそろそろであるから、それを天ぷらにして食べようとする。
「何とかなるさ」となる。
もう一方は、まあ、100万円持っていたとしよう。
100万円もあるのだから、一日の糧、十分に、何でも買えるわけだ。
ところが、もう、このお金は、また入るとは限らないから大事にしなきゃならない。
それこそ、これから先どうなるのか、不安で不安でならない、という風に、色々である。
いくら持っているか、というのは全く関係ない
どのように捉えるかだ。
今、自分でも一勝懸命頑張って、何とかしようとする。
そうしては、そのように頑張っていく。
今までの生き方というのは、何事も当たり前と捉えているから、いつも同じような状態が続くと思い込んでいるわけだ。
ところが、どっこい、これからの時代は、ドンドンドンドンと変化していく。
これでもかというぐらい、いいことと、そうでないことの極端化が進むわけだ。
いいこと起こっている者は、ドンドンドンドンと昇って行く。
そうでない者は、ドンドンドンドンと落ち込んでいくわけだ。
この違いは、どこから来るからだ。
絶対うまくいくと確信して実行する。
まさしく今、この瞬間の想念の持ち方というものを、よーくこれ、考えてみるとよい。
何度も使うが、「先見の明」
先を見通す目というものを養う。
それが大事。
今、足元だけ見ているのではなくて、先を大よそでいいから、見通すわけだ。
自分の人生、どういう風に計画していくかだ。
まあ、今、平和であるから、トントン拍子に事が運ぶという計画に、一応、今のところなっているとしよう。
ところが、何が起こるや分からないということでありて、これ、病貧争災も含めて、色んなこと起こってくるわけだ。
だが、それは浄化、お掃除だから、という捉え方で、人よりも早く乗り越えたい、乗り越えようと努力する。
そうして、先へ先へと準備、今のうち準備するわけだ。
先を見通す目というのは、今準備するために、いただいているものである。
何もしないで、先を読めているだけでは、何も意味をなさないということだ。
これから、必要なるもの、いつも必要なるものというものを用意しておくわけだ。
余力、自分で目一杯なら、人救いはなかなか許されない。
余力を持って、準備していくこと。
人生というのは、足し算引き算ではない。
掛け算割り算でもない。
1+2は、3なわけではない。
そんなものではない。
考え方一つ、行動一つで、ググーンと、昇っていけるわけだ。
それが、先見の明。
絶対うまくいくと、確信して、実行する。
タケル「はい」
そうして、その時こそ、自分の夢、実現化し、周りも喜んで下さり、人生謳歌となる。
そのように進むには、今から先見の明なわけだ、うん。
人は、何を興味持つか、何が好きか、何が可愛い綺麗と思うか、何を共感するか、感動するか、懐かしいと思うか、涙するか、大好きだと思えるか、ということを念頭に入れていく。
そうすると、自分の夢が誰かの目に触れた時に、そういった感情、持ってくださったなら、ありがたしである。
「そんなもの興味ないよ」
振り向きもされない。
これでは寂しいわけだ。
やはりそういった魅力的なるものというものだ、うん。
みんなが祝ってくれるような、夢実現化が、望ましい。
今日は、何の数霊?
タケル「三十五です」
三十で統合(十五)していく。
統合に今向かっているわけだ。
治まるべくしての治まりとなる。
仲間もそう。
同じようなる仲間。
そんな中でも、勿論流れがある。
そうして、繰り返す。
「また光のサロンに行ってみたいな」
「またあの人たちに会いたいな」
と、思われるような、自分たちになりなさいということだ。
「もう二度とごめんだわ」
「会いたくもない、行きたくもない」
では、寂しいであろうとなる。
だがこれも、縁というのは実に決まっておる。
うーん、ハッキリとな。
出入りというものは、いつもいつも決まっているわけだ、うん。
出たり入ったり、入ったり出たりだ。
今日は、何日?
タケル「3月2日です」
私は、日の神。

日の神様    2019年3月2日 夜11時11分~11時31分



明日は3月3日ですけど、明日の教え、楽しみにしててくださいね。
主晴(スバル)。

主晴様   ~11時32分